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親不孝の親は不幸で子は幸福なのか。

親不孝とは[デジタル大辞泉]親を大切にしないで、心配や迷惑をかけること。また、そのさまや、その人。「親不孝な娘」

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最近友人たちが親との関係が険悪だったが、良好になってきたという話をきいて、嬉しい気持ちが反面みじめさを感じることがある。私と両親はあまりいい関係と言えないが、めちゃくちゃ悪い関係とも言えない。どうすれば親ともう少しいい関係性を結べるのだろうと、事あるごと(やりたいことがあったときや進路)に悩んでいろんな人に相談してきたが、あまりうまくいかない。今日は私がどんなアドバイスをもらって、どういう心持ちでいるかを書いていきたい。

親と衝突した時の周りからのアドバイス①〜④

①親も子どもの幸せを願っている、味方につければ一番の応援者になってくれるはずだと諭してくる人たち。
子どもがどんなことをやりたいか、どんな道を選択しようが、親は子どもの幸せを願っているから頑張りなさいと諭してくる人たち。親の思っている幸せと、子どもが思っている幸せが違うからぶつかるんだよ、ばかやろー。幸せになるからっていって全て好きなようにさせてくれる親だったらこんなに苦労してない。

②親の壁さえ突破できずに自分のやりたいことができるのかと、なぜか喧嘩腰の人たち。
親でさえ説得できないならば、今後も自分がやりたいことはやりきれないと決めつけて煽ってくる人たち。(私はカンボジアのバーで初対面の日本人に1時間ほど、「お前は甘えている」「親の壁も突破できないならお前の人生終わりだ」的なことを言われ続け、ただ耐えるしかなくて号泣する事態に陥った。今なら「黙れ」と言ってやりたい。)

③自分のやりたいことを説明すれば親もわかってくれると、話し合いが全ての解決法だと思っている人たち。
これを私は高校2年の時から事あるごとにやってきた。ある時は父が帰ってくるのを待って、「お話があります」と言ってどれだけ自分がそれをやりたいか、またできたときには私の人生に対してどういうリターンがあるかを説明した。(結果無理だった。「もういい!」と言ってプチ家出した。)大学に入って一人暮らしをしていた時は片道約3000円する電車を乗り継いでわざわざプレゼンをしに帰った。でも、同じ威力でぶつかれば壊れるだけなのだ。最後には気力がなくなりもう親にメッセージを送るどころか、ご飯を食べるのでさえ嫌になった。

④強行突破。黙って自分のやりたいことをやっちまえ。そして親と距離を取れ論。
今のところこれが一番うまくいっている。もう21才で親の許可がなくても、大抵のことは実行に移せる。今のところ成功しているのは、しれっと大阪の家を引き払って東京にでてきたことと、内定承諾書を出したことだ。事後報告だと説得しなくてはいけないというプレッシャーもなく、「もう決めたから」と言える。

もちろん、①〜④のどれか(または全く別の方法)でしっかりと自分のやりたいことを実現している人も多い。私の親はどの方法もうまくいかなかったが(④はまだましだったが)、あなたとあなたの親がどの方法がいいかは全くわからないし、こうした方がいいとも言えない。強いていうなら、親もあなたも人間で殴ったら血がでる人間だということだ。

親と子の気持ち。それを詳細に記したものを以前インターンをしていた代表が記しているのでぜひ読んでほしい。(だから、私が詳細に書く必要はないと感じている。)

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数々の親の壁にぶつかってきたけど、あまり後悔してはない。あの時の私は最大限の努力をしたと思うし、親から理解してもらえなくても負けたとは思ってはいない。親のせいで自分の人生は変わったとも思ってない。

ただ、私は「あなたがどんな選択をしても、失敗をしても、受け入れてあげるから大丈夫だよ。」という愛情が欲しかった。でも、私が思う愛情と親が思う愛情は違った。いつまでも子どもが失敗しないように、安心安全な道を勧めさせることが親は愛情だと思っている。私は安心安全なレールが嫌で、自分のアイデンティティが他人に形成されているようで、煩わしさをずっと感じていたし、今も感じている。「あなたが心配だから。」と言われるたびに「あなたのことを信頼できない。」と言われているようで、なんだか心がぎゅっとする。

それでも、私の優しさは親の愛情でできているなと最近は強く感じる。誰かが落ち込んだ時に外に連れ出したり、ご飯を作ってあげたり、落ち込んでるなと思ったらアイスを買おう!と行ったり。それは、親が私にしてくれたことだった。試合に負けたら私の大好物を用意して励ましてくれたし、勝ったらケーキを買ってくれた。実家に帰ればいつも私の好物の芋けんぴとジュース、アイス、などなどを準備してくれてる。

まだまだ父親と話すときは斜め45度下を向きながらだし、母親には私のやっていること全てを言えない。親と私の距離は決して近くないし、むしろ遠い。それでも毎回お互いの腑に落ちるところで譲り合ったり、譲れなかったり、お互い歯がゆいところで妥協しながら生きている。

友人が100%その人のことを好きではなくても80%、70%好きで認められない部分や好きになれない部分はあるし、それを許しながら好きでいるのが素敵じゃないかと言っていた。(たぶんこんなニュアンスで合ってる)

私が欲しかった愛情も、
両親が思ってる愛情も、
私が受け取った愛情も、
友人が思う愛情も、
全て正しい。

そうやって意味を変えながら不器用なりに愛情と付き合っていくのだ。



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