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伝わらない、伝わらない、それでも愛。

「わかってほしい」

自分の知っているあらゆる言葉を尽くして気持ちを伝える努力をしても、最後にはいつも呪いの言葉をもらった。そして、それらの呪いの言葉は私の心に深く傷を残していった。

一番古い傷は、17歳のとき。

当時の私は、英会話教室でここにはない"世界"があることを知った。各国にある歴史や世界を舞台に活躍する起業家、生活の隣り合わせにある社会問題。新しい情報に触れるたびに心は踊り、"世界"に行きたい欲求は止まらなかった。

しかし、両親はあらゆる言葉を使って、私を阻止した。2週間だけのホームステイ。田舎に住んでいた17歳の私にとっては、大冒険で魅力的だった。小さな脳を使ってあらゆる言葉を考えて「カナダに行きたい」と伝えた。

「お金なら半分は出せる」「友人も先生もいくから安全だ」「大学受験にも優位になる」「だから、お願いします」。

だが、「心配だからダメだ」と父は優しく諭していたのに、最後には「わがままを言うな!」と怒鳴られた。

認められず、拒絶され、否定され、最後に私に残るったのは"伝わらなかった"という気持ち。悔しくて悔しくて、唇を噛みながら説得できない私が悪いんだと何度も自分を責めた。

*       *       *

思い出すと、たくさん戦ってきたような気がする。

ある時は、友人の相談を真摯にきいてアドバイスしたはずが、終いには「何もわかってない」と言われた。ある時は、電車を3時間乗り継いで伝えに行ったが、「わがままだ」と言われた。ある時は、不調を理解してもらえず、溢れる涙を隣に「泣けばいいと思ってるんでしょ」と言われた。

これだけいろんな言葉を尽くしているのに、一度も私の言葉は届かず、心はズタズタでボロボロで、もう誰も何も言わないでほしかった。

"伝わらなかった"という感覚を抱くのも、呪いの言葉をもらうのも、どうしようもなくこわい。人との関係性に臆病になってしまった。何か意見しようと思っても、近しくて大切な人になればなるほど伝えることができないし、当たり障りのないことを言ってしまう。

思えば、関係性に置いて自分がコントロールできることなんて1%もないのかもしれない。友人は私の気持ちを差し置いて、離れていくし。好きだった人は対話もなしにお別れを告げてくる。私が何かを伝えたところで、結末はいつも同じなのかもしれない。


そんなことを思いながらも、今は書いて"伝える"ことを仕事としている。


何度も何度も"伝える"ことに挫折した私が、文章で"伝える"ことを仕事にするなんて、なんと滑稽だろうか。伝える目的と想定読者を決め、それをクリアするための構成を考える。そして、読んだ人たちが書かれた言葉1つ1つを身体に落としていけるように、言葉選びをする。それが私の仕事だ。

この仕事をし始めてから、文章とは"祈り"だと知った。祈りといっても、ただ漠然と祈るではない。知識を使い、思考を巡らせ、言葉を吟味して、出来ることの120%を尽くす。それだけ努力しても伝わることなんて、微々たるもの。微々あるくらいましだ。だから、"祈り"なのだ。

まだまだわからない。私が文章を書く理由が何なのか。

それでも、"伝わらなかった"というコンプレックスのような、人生における最大級の絶望のような、伝えることができなかった人に対する復讐のような場所から私の"書く理由"が生まれているような気がする。


「わかってほしい」


その気持ちを昔は殺したほうが生きやすいのかもしれないと思ったが、今は"祈り"だと思っている。99%は伝わらないかもしれない。だけど、1%でも伝わる可能性があるならば、それにしがみついて生きていきたいし、その奇跡を信じてみたい。


あと、伝えるって全部愛なんだよね。

責任を感じるから、自分のためにその人間が必要だから、その人が悲しいことが嫌だから。そうやって、『自分のため』の気持ちで結びつき、相手に執着する。その気持ちを、人はそれでも愛と呼ぶんです。
『ぼくのメジャースプーン』著 辻村深月

私の愛は、不器用すぎて受け取ってもらうのが難しかったけど。試行錯誤して、言葉を尽くして、何かを伝えたかった、そして、愛を渡したかった。その勲章が今も傷として残っているのかもしれない。

よく頑張ってきたな、自分。


P.S.今日の文章は世界一下手な自信があるので、ここまで読んでくださった人、本当にありがとうございます。

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