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境界性パーソナリティー

早朝でも夜でも昼間でもいつでも、わたしは恋人の腕枕で眠りに落ちる時、
”このまま時が止まってくれればいいのに”
と本気で思う。

暖かくて、自然と落ち着いてしまう温もり。
わたしがわたしでいることを、自分で肯定できる時間。

人肌というものはこれほどに暖かいものだということを
冬は痛感させてくるから、感謝と付随して痛みも発生する。

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思えば恋人と一緒に暮らし始めてから
わたしの世界は単純なものに変わった。

依存はしないし束縛もしないけど、
不本意ながら、わたしの脳内は完全に彼に侵食されていて、

彼の態度や優しさ次第で、わたしの喜怒哀楽は容易に変わってしまうし、
わたしはひどく傷付いてもしてしまう。

彼は一般的な男性より、愛情表現の多い人と思う。
毎日、「好きだよ」の類は当たり前だし、ハグもするし、そんなことは自然なコミュニケーションで、
わたしの咄嗟の喜怒哀楽にも、彼の余裕はちゃんと構ってくれる。

以前、
わたしは1人で海外だって行くし、一人カラオケもなんでも余裕だし
ずっと「1人でもさみしくない」人間だと思っていた。

けど、彼と一緒になってからのわたしというものは、
彼といない時、彼を感じない時、どこにいても誰といても、兎にも角にも孤独で、孤独すぎて、もう途端に本当に自分の弱さが見えてきて、苦しくなってしまう。
こんな震えと「こんな幼稚な自分が情けない」という見栄で隠すことが一杯一杯だった。

2018年の前半がまさにそれで、
毎日毎日、心が過呼吸していた。

他の誰かといても、満たされない。
彼といないと落ち着かない心があった。

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よく女性向けキュレーションサイトには、
「寂しがりの女の子は、自分の軸を見つけるように!」とか
「自分の趣味に没頭する時間を作ろう!」
「もっとアクティブになって、彼のいない時間も充実すること!」の類のフレーズが並んでいる。

単純なわたしはそれを読んでは、
そのために、仕事をバンバンいれて、忙しくなってみたり、
自分の趣味の類のために、時間を費やしたり、
アクティブになって彼のいない時間も充実だと念じて、誘われた飲み会には興味なくても参加してみたり、

色々してみたけど、大抵の場合、お金と時間と、一部の心が浪費するだけだった。

多分それは動機が「自分のさみしさを埋めるため」とか
「彼がいなくても強くなるため」とか
そんな類が発信源ゆえの行動だから。

だから行動結果として、
普通の「仕事をバンバン入れた」→「その仕事の成果は?」ではなくて、
「仕事をバンバン入れた」→「彼がいなくても仕事充実できた?」という成果を求めてしまう。

「飲み会にたくさん参加した」→「楽しかった?自分にとって良い時間だった?」ではなく、
「飲み会にたくさん参加した」→「彼のいない時間を飲みごとで埋めれた?」という成果目標に変わってしまっている。

だから何をしても、何かに夢中になったとしても、
その根源が、「彼がいなくても強くなれるように」「さみしさを埋めるように」である限り、
わたしは”彼の存在歯車”からは自立できないんだ、と思った。

そんなこんなで2018年の前半はあがき足掻きで、
眠れない日もあったり、一人で食べる晩御飯というものはひどく残酷に思えて
彼も遅い、誰かと食べる予定もない日は食べない(食べる気にならない)日々が続いて断食してしまって、数キロ痩せたこともあった。

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わたしは2018年も自立できていなかった。
まだ2018年終わってないけど。

2018年はたくさん本を読んだ。
「社会人」という括りで生きるようになってから、
関わる人に制限が出てくるように思う。
思うに、例えばわたしは医者ではないけど、医者なら医者の生き方のテンプレートがあって、建築家なら建築界のテンプレートがあって、、そんな風に、見える世界が急に狭まっていくような怖さを今も感じている。
わたしは相変わらずまだ何者でもないけど、視野は広くありたいし、
「自分とは違うなぁ」と思う人に出会った時、「異質だ」と思うのではなくて「こんな考えやこういうスタイルを貫く人がいるんだ」と新しいものや自分にとってプラスに捉えれるような見方ができる人でありたい。

年配の方が、凝り固まった古すぎる知識を盾に「こうあるべきだ!」と怒鳴っている姿とかをメディアで見ると、心底こうはなりたくないと思う。

読んだ本の中に、心理や性格についての本も数冊あった。

その中で知った「境界線パーソナリティー」という障害。

わたしは、これにほとんど当てはまっていて、調べてみるとさらに「自分だな・・・」とわかって苦しくなった。

参考URL:https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/109/

境界性パーソナリティ障害(以下BPD)の症状は多種多様ですが、代表的なのは次のようなものです。

・見捨てられるのが不安で、必死にしがみつき相手を困らせる
・自殺企図や自傷行為を繰り返す
・めまぐるしく気分が変動する
・対人関係が両極端で不安定

わたしは自称行為はしたことがないけど、
その他は当てはまっていた。

どんな人がなるか、とかも。

小さい頃に離婚したことや、いじめられていたこととか、
大人になって忘れていたことのはずなのに、
こんな頃になって過去の溶かしたいことが色んな苦しみと紐付いていく。

このnote内で、恋人にまつわる自分の吐きごとを何度か書いていたけど
この時のわたしは感情的で、かつ、白黒の考え方なんだなと改めて思う。


「約束破られた」→「適当に扱われている」「私のことを馬鹿にしている」

一概にその間には色々な理由があるかもしれないのに、
私はその両極端でしか考えられない。

いわゆる、「仕事と私、どっちが大切なの?」みたいなことを頭の半分では本気で考えてしまって、半分では、こんなことを思うべきではないと制御が掛かる。

矛盾した考えが同時に交叉する日常がずっと続く。しんどい。みたいな感じ。

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私は彼氏が自分のことをおんぶしてくれたり、
私がふざけて逃げたりした時に、「ガオー!!!」とか言って追いかけてきてくれることを、本当に楽しんでしまう。

もう25歳で、こんなことして何が楽しいの?って端からみると思うと思うんだけど、
私は彼が私を子供のようにあやしてくれるとき、
私は心から嬉しいのだ。

この時の私は、小さい頃に満たされなかった空白を埋めているんだと思う。

普通の人は、普通に成長して、適切な愛を段階を踏んで受けて、大人になっていく。
しかしながら、私の場合、小学生2年〜から、両親と遊んだり、甘えたり好きなものを買ってもらったり、家族みんなで遊びに行ったり、のような思い出がガランと空白で、

私はこの時に受けれなかった、満たされなかった愛や構って欲しかった”欲”という人が普通に受けていく愛情というものを、恋人で埋めている部分があるのだと思う。


彼が「きなこは、小さい頃、お父さんの愛情が少なかったから、時々とっても子供っぽくなるんでしょう」と笑って言ったことがあった。

その時、思わず「真理すぎる」
と思って思わず泣いてしまった。大げさだけど、泣いてしまった。

そしたら過呼吸気味になっている私を抱きしめて
「僕がきなこのお父さんにもなるから」って言ってくれた。

私はこれを聞いてまた泣き始めるわけなんだけど(涙がしつこい)
・・・嬉しかった。

「彼は彼氏として理想で、そしてまた彼がお父さんでもあったら」って、そんなことも時々思う。
適切な愛情を受けて、「愛し愛されること」に肯定的に育った彼の愛情は、私には温かすぎるのだ。本当に。

「きなこのお父さんにもなるよ」
こんなことを言われてしまって、嬉しさと同時に、また怖くなった。

彼氏でありお父さんにもなるよと言ってくれた彼を失う日がきた時、私は呼吸できているかな。

幸せも強くて、
苦しみも同じように強い。

日々を生きているだけで、大袈裟だけど精一杯な日もある。

どうしても白黒極端な考えで、かつ「失うことへの怖さ」が強い境界性パーソナリティ障害というもの、
向き合って強くなろう。

P.S
明日から中国語教室始まる!:)
我要加油啦!


サポートしていただいた場合は、「もっと書こう!」と単純なのでやる気が出ます・・・!