自分のために生きるには、きっと限界がある
最近思うこと。
姉がいれど、年の差が激しくて(9歳年上の姉)、ほぼ一人っ子育ちだった私は、どこかでいつも、「一人の方がラクだよ〜」と思う節があると思う。
今もどこかできっと「一人の方が」という気持ちがあるけれど、
でも、自分で自分を満たすは、自分の為にだけ頑張るには、どこかで「限界」があるんじゃないかと最近は思うようになった。
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25歳になって、少し、「結婚」というワードが周りで聞こえるようになってきた。
大好きな親友の結婚式のスピーチを担当することになったこともあり、
「結婚」かあ・・・そんな人もいるんだなあ・・くらいの部分から、
人生の選択を身近で見ているような気分と、自分の「結婚」の可能性を考えることも増えた。
Twitterなどを見ていると、ある一定の年齢(30代前後)に差し掛かると
「結婚しないの?」
「(パートナーと)結婚は考えていないの?」
などの質問をされたり、話題のトピックとして上がることもしばしばあるらしい。
そして、そういった質問をされること自体を懸念する女性、不信感を抱く女性も多いことも明らかだ。それは、「結婚しないと普通じゃない」とか「結婚=幸せ/女性の生き方」みたいなステレオタイプがどこかに残ってあって、その考えに違和感をもつ人も今は多いからだと思う。
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じゃあ自分が「結婚」というものを望むとしたら、
どういう部分で、「結婚」に魅力を感じるんだろう、したいと思うのだろう・・・と考えていると、
自分の為に生きることに寂しさを感じた時かなぁと思った。
でも寂しさを埋めることがもちろん目的ではなくて、
自分の為に行うことで頭がいっぱいではなくて、
自然とその中に「誰か」への影響を考えてしまったり、
この人(パートナー)のために、「したい」という気持ちが、自分の幸せや温かさの類に変換される時、
一人で順調に進むことも出来る未来に、
あえて「面倒臭さ」を持ち込んででも一緒にいたいと思えること、
そしてそのドタバタも長い目で「しあわせ」だと思えること、
そんなことを思えたら、「結婚」をしたいなぁ。
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(ただの余談)
学生時代にNPOでワークショップを作ることに携わっていた時に、
そこにお客さんとして来ていた37歳の男性と知り合ったことがあり、
その人とカフェでお茶することになった際、話を聞いていると、
独身で、営業関連のお仕事をしていて、
休日はエンジニアに転職すべくスクールに通っていて、
たまに空いた時間に、(私の運営していた)ワークショップなどで新しい人と繋がりを得たりしているとのことで。
「もっと自己投資したい」と言っていた。
「もっと自己投資したいんだよね〜」と話していたのが、今もなんとなく頭に残っている。自己投資、めちゃくちゃ素晴らしいと思う。自分に足りない部分や、夢をいくつになっても追っていく姿勢、素敵だと思う。
でも、その人の関わり方を見ていると、
優しくて、意識が高い人なのは間違いないんだけど、
・要求していないことを勝手にされていたり(私が興味ありそうな人に、勝手に連絡して、私の連絡先を無許可で教えられているetc...)、
・深夜(夜中12時〜2時)に、「最近どうしてるの?」と平然と連絡が来る。(寝てるわ・・・)
・なんとなく、自分にとって都合のいい人としか関わっていない。
そんな部分があって、
ある程度歳をとっているのに、「結婚」願望がない人というのは、(明言はできないけれど)「自分」を「自分」で満たすことに焦点がある人なんだと思った。
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自分の為に生きることに、限界を感じた時、
人は、「誰かを大切にしたい」、「誰かのために出来る自分になりたい」とかそんなことを思うようになるんじゃないだろうか。
そして好きな人がいれば、それが自然にその穴を埋めてくれる。
今のところ、その形として、すごくわかりやすい形=「結婚」だから、
すごく目に見える形で、明言出来るし、公表出来ることだから、
人は、そう思うようになった時、「結婚」を考えるんじゃないだろうか。
人を好きになって、
誰かのために「何か」をする自分を好きになった。
私の今は、ちょっと不自然な形の進行だろうけど。
「結婚」ってなんだろう。
「愛」って、「大切」って、「生きる」って・・・
相変わらず答えのないことをよく考えるわりに、
曖昧なことを書いてしまう自分でした。
こんなんだけど、いつか愛する人と結婚する!(愛する人は今の人なのかどうかわからない)
結婚じゃなくてもいい。信頼する形ならば!!!
サポートしていただいた場合は、「もっと書こう!」と単純なのでやる気が出ます・・・!