絶対戻りたくない場所
大人になって、
25歳になって、最近は気持ちがとても楽になってきている。
いろんな見方、生き方、テンプレートがあるけれど、
自分の好きに向かって、模索しながら生きていける。
なんてことないことかもしれないけれど、
毎日自分の声を聞いて生きていけることは、恵まれていることだと思う。
今わたしはそんな少しフレッシュな気持ちでいれることは、
今いる場所は、自分で決めた場所であり、
自分が好きな場所であり、好きな人を、選んでいるからと思う。
今、わたしは自分で選んで生きている。幸せなことと思う。
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日曜日である昨日、
おじいちゃんから唐突に電話が掛かってきた。
どんなおじいちゃんかというと、
今年の春に書いた「無理して傷付くこと」に書いているけど、
不倫してDVで養育費も払ってくれなかった父親のお父さんにあたる人であり、そんなお父さんと母が離婚したあと、
そのおじいちゃんは私に「もうあんたはワシの孫じゃないんや」と言ってきた。
わたしは不幸なのか幸いなのか鈍感なので小学生から社会人になるまで全然そんなことを気付かず関わっていたけど
会うたびに、
「お金はどれくらいあるんや」とか
(最低な行為しかなかった)父をとにかく褒めるのを、私は口角を上げて聞くしかないこと
お母さんのことを裏で「遊び人」とか育ちをバカにしたり貶していること
わたしが大学に進みたいことさえ、
「そんなこと意味ないんや女には」と母子家庭で厳しいことから入学金を借りれないか相談したところ、言ってきたこと。(父親も同じ)
THE・昭和の亭主関白の頂点のような人で、
もちろん家事は一切したことがないし、
態度は偉そうで、お金にはケチで、
多分友達もほとんどいない。
おばあちゃんが病気になってから、
86歳になってから、初めて洗濯物を干したんだろう。
そして、「俺にこんなことまでさせるのか」と病気のおばあちゃんに言ったりしていた。
昔の時代はこんな人でも結婚できるのか、と甚だ恐ろしくもなる。そんなおじいちゃんだ。
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私は、去年の例の日以来、父親側のおじいちゃんおばあちゃんとは連絡を取っていない。
父親(このような語彙をタイピングするのも正直気持ち悪い)の遺伝子が自分の中にあるというだけで、どこかで気持ち悪さが悶々とすることもあるし、
おばあちゃんおじいちゃんには小さいころ可愛がってもらったとはいえ、両親が離婚してから「孫ではない」とまで言われ、嫌な思い出しかない父親の話を散々聞かされ、散々お母さんを貶してきているのも知っている。
私はやっぱり生まれた「血統」を愛すること・肯定ができない。
やっぱり全員歪んでて、気持ち悪くて、苦手だ。(そう感じてしまう)
私には、私が生まれる背景には、
こんな人たちの遺伝子が組み込まれている、自分も同じ人間なのかもしれないと思うだけで、大げさかもしれないけれど時に死にたくもなる。
「血族」という選択肢のない縛りを、無理して肯定したり、良い部分を見つけようとしても、苦しいだけ。やめる。
私はもう、関わりたくない。
私は、おじいちゃんに「孫ではない」と言われた日から、
無理して会いに行くことをやめた。
無理して傷付くことをやめた。
病気のおばあちゃんを前にして、殺生な孫かもしれない。
けど、私が私を自由に生きるには、
おじいちゃんとおばあちゃんとの関わりは、苦しかった幼少期を平気でエグらされるし、もう思い出したくもないお父さんのことを平然と肯定してくる様も、もう耐えられないのだ。
忘れたい。
遠くに行きたい。
会いにいくことをやめて1年以上経った昨日、
おじいちゃんから突然電話がかかってきた。
「元気かぁ」
嫌な予感と、おじいちゃんの声はとても弱っているのがすぐわかった。
話を聞くと、おばあちゃんは入院しているらしい。
ついに、おじいちゃんは一人になった。
家事なにひとつしたことがなく、
生活力のカケラもなく、
おじいちゃんを訪ねる友達も親族も、ほとんどいない。
(血の繋がっている父親でさえ、多分行ってないだろうな)
おじいちゃんは孤独になったのだろう。
そして、
「きなこちゃん、会いにこんか」
と言ってきた。
孫でもないと言い放った私に、会いに来てと。
普通なら状況を察して、優しく声をかけるべきなんだろう。
心配して会いにいくべきだろう。
しかし私はこの時、「都合が良すぎる」と思った。
私の今までの苦しみなんて、微塵も知らないだろう。
平気で、今まで、いろんなことを言ってきたことも何も覚えていないだろう。
私が苦しい時、大学に進学したいということさえ馬鹿にしてきたこと
殴られたり不倫していた父親のことで、散々な気持ちだった幼少期に、父親を肯定しないといけない状況しかなかったこと
今、私は全て許せない。
思い出したくない。
小さい頃は鈍感に自分を保つことでスルーしていたものが、
大人になって湧き出してしまう。
今は鈍感に無感情になって時が過ぎるのを待つなんて出来ない。
嫌なものは嫌だ。苦しいものに、無理して近づくなんて人生の無駄使い。
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今、実家からも出ているし、
好きな人と一緒に暮らして、
生き方もなんとか日々模索していて、
少しずつかもしれないけど、自分のことを好きに、縛られずに解放されて
苦しいこともあるけれど、生きることが楽しくなってきている。
少しずつ、過去の自分から、脱皮出来ている気がする。
朝起きて、鏡で自分のことをまっすぐに見ることができるようになった。
自分に可愛い服を着せることを楽しめるようになった。
「最低限のマナー」として化粧をするのではなくて、「自分の気分を上げるため」にメイクをしたいと思うようになった。
普通のことかもしれないけれど、
わたしにとっては、大きな進歩と思う。
自分を楽しんで、楽しめるように、少しずつ、なれてきている。
だから、またおじいちゃんに会いに行ってしまうと、
お父さんを思い出すことになるし、
いろんな辛かったことがフラッシュバックしてしまう。
せっかく築いてきた今を、精神からまた破壊されるの?
せっかく好きになれそうな「今」が、
またふりだしに戻るのかな。
絶対に嫌だ。
会いたくない。
会いに行きたくない。
もっと正直なことを言えば、消えてほしい。
ごめんなさい。
遠くに行った今でさえ、苦しみに引きずろうとしてこないで。
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