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「自分の弱さ」を認めること

私は根本的にあまり強い人間ではない。だから常に「自分の弱さ」を感じながら生きている。

でも最近、私は自分で「自分の弱さ」を認めても良いのではないかと少し思えてきた。「自己肯定感」と言っても良いのかもしれない。

本当に辛い時、私は聖書のこの聖句を何度も読む。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(旧約聖書イザヤ書43章4節)

私たちはこの社会で生活している以上、常に他人からの評価、批評を受けながら生きている。他人の目を気にして生きている。ある人からは好かれたり、ある人からは嫌われたりする。そういうものに、「自分の感情が振り回される」と言っても良い。

しかし、神の目というものを気にしたら自分の世界は少し変わってくる。
他人から好かれようと嫌われようと、「神さまは常に自分を愛してくれている」と思えば、自分に最低限の自信はつく。

「信仰」というのは、文字通り「神さまを信じて仰ぎ見ること」だ。「仰ぎ見る」というのは「下から上を見上げること」だ。

私は自分の「詩」タンポポで、こういうことを書いた。この詩は、自分への自戒の意味を込めて書いている。


私が泣こうが、喚こうが、太陽は常に私に日の光を当て続けている。

太陽は「キリスト教の神さま(カソリック)」と言っても良い。

そのことを忘れないで、私の病気(喘息)のことも含めて、全てのことに感謝して生きていきたいと思う。






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