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【展覧会】ピーター・ドイグ 東京国立近代美術館

前回の鴻池朋子さん作品展の記事の際、

空間と各作品(インスタレーション、絵画、オブジェ、映像等)の
リンク感をより強く感じる、言わば、空間まるまるがひとつの作品。

という表現をしましたが、
ピーター・ドイグ展では、絵画作品のみが展示され、
『ロマンティックかつミステリアスな風景を描く』
『画家の中の画家』
と、紹介文でも「画家であること」を謳っています。

多角的な作品で構成された展覧会が大好きですが、
この絵画のみの作品展は、結構久々で清々しかったです。
要は作品の持つ力、ということですよね。

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ピーター・ドイグ展
東京国立近代美術館
2020年10月11日[日]まで 
10:00-17:00(金・土曜10:00-20:00)
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第一印象では、
水面や地や空などの、画面分割のコントラストや、
色使いや構図といった、全体のセンスの良さに目が行きました。

解説によると、自身の撮った写真や広告や映画などから、
多様なイメージを融合させた世界、とのこと。

そんな「どこかで観たようでどこでもない」、
懐かしいような牧歌的な空気感と、
日常の中でふと垣間見る、違和感や不気味さが混在した、
幻想的な非現実感に惹きつけられます。

次第に、モチーフの意味合いや意図が気になり出しますが、
言語化しにくい感情、取り留めない空想など、
混沌としたままの気分にどっぷり浸るのもいいかも、
という気がしてきて、そんな気分を味わいました。

とはいえ、フンワリ済ますのはもったいないので、
帰宅後、つらつらと考察してみました。
その中で最も注目したのが、ドイグ本人の以下の発言、

「一枚の絵画は、多くの参照源を持たなければいけない」

この発言自体が、今回ひとつの参照源でした。

参照源(手がかり)を、どう捉えて、どう解釈するか。
つまり、観る人がどんな知識や背景や感性を持っていて、
何に注目したかで、意図の解釈自体も様々になるということ。
(まあこれは、ドイグに限ったことではないですが)

考えてみると、作品を堪能したな~と感じる時って、
連想や妄想あるいは内省へと、知らず知らず導かれる。
そこから、その引用元や文脈について調べてみたくなり、
不思議な知識が増えたりして。

そうやって、転がしていくのが楽しかったりするなぁ…
確かに参照源が多いと、いろいろ豊かだなと。

鑑賞の際にどのような感覚を覚えるかは、人それぞれでも、
こう言った「余地」があるかどうかが、
個人的に、作品の良し悪しを計る物差しのひとつかなとも。

別のひとつの参照源は、作品の外にありました。

ピーター・ドイグが20~30代前半の頃は、
バスキアやヘリングが脚光を浴び、その後も、
ダミアン・ハーストなど、過激めの作風や活動が注目され、
そんな潮流にもろに巻き込まれた世代でありながら、
逆張り的に、比較的オーソドックスな絵画を制作し続けた、
という背景が、非常に興味深い参照源です。

戦略的に進んだのか、自分の持ち味を進めたのか、
まあ両方なのかもしれませんが、
結果的にタイムレスになって、
いつ誰が観ても染みる作品になっているように感じます。

そんな、時代や世代の背景を鑑みつつ、改めて観返すと、
また勝手に別のストーリーを想像してしまい…
今回の作品群が、より感慨深いものになりました。

現場では「考えるな感じろ」笑
その後に、じっくり思索に耽る、
一粒で二度おいしかったです。

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