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知ってほしいこと伝えなきゃいけないこと

今日はじめて全くの他人にお金を渡した。
なにもせずにはいられなくて、あれこれ考えても私にできることはお金を渡すことしか思いつかなくてお金を渡した。

今日はアウトリーチに出かけた。
今日のコミュニティーを訪問するのは2回目だった。
前回訪問したとき、重度の低体重の双子の赤ちゃんがいた。1歳を超えているのに体重は6キロ程度で、二人ともぐったりとしていて哺乳する力は弱弱しく歩くことも立つこともできない。お母さんは左の手足が不自由で、思うように動かない左手を必死に動かしながら赤ちゃんを背中におぶり、左足を引きずるようにしながら成長モニタリングにやってきていた。

今日出会った親子のこと|み。|note(ノート)https://note.mu/12b053z5v/n/n115aaa847cf6
前回も苦しくなってnoteに書いてた。

前回も私はどうすることもできず、そのコミュニティーのボランティアさんと同行していたナースに相談した。そしてナースは栄養士がいる日にクリニックに連れてくるようお母さんに言った。
そのあともずっとずっと気になっていた。
他になにかしてあげられることはなかっただろうか、
お母さんが赤ちゃんをクリニックに連れていったところで彼らに未来はあるのだろうか、

今日は成長モニタリングに来てくれるだろうか。
身体が不自由なお母さんにとって、成長モニタリングに双子を連れてくることでさえ大変なはず。今日は来ないかな、あきらめの気持ちを抱きながら他の赤ちゃんの体重を図っていたら今月も会うことができた。

今月で1歳5か月の双子の赤ちゃん。体重は7kgと6.5kgだった。
6.5㎏の赤ちゃんを抱っこした。

生後6週で予防接種にやってくる赤ちゃんと同じくらい軽かった。
歯は生えそろっているのに、首は座らず、立てに抱っこすることはできなかった。
身体には力が入らず、泣く力さえも残されてないようだった。
表情は泣いているのに、泣き声はでていなかった。
腕も足も細くて、腱反射を確認することさえためらわれるほど弱弱しかった。

周りを見渡せ元気に一人で歩いている同じくらいの月齢の赤ちゃんがたくさんいるのに。
双子だけど、二人とも無事に生まれてくることができたのに。
お母さんは毎月成長モニタリングに連れてきていたのに。

腕のなかに抱えた赤ちゃんを見つめながら泣きたい気持ちになった。

ナースはお母さんに月曜日に栄養士のところにつれてきなさい、といった。
ボランティアさんも、クリニックに行きなさいといった。

タクシー代はあるのかな。
薬代はあるのかな。
発達にも遅れがでていて、もう命の灯が消えそうな赤ちゃんを栄養士のところに連れていって意味あるのかな。

そんなこと言っても、じゃあ私になにができるんだろう。

私がもっているもので、あげられるものはお金しか思いつかなかった。

だれにも気づかれないように建物の影に隠れてお財布の中を確認した。
50クワチャのお札が1枚と、20クワチャ、10クワチャ、5クワチャのお札が数枚ずつあった。
50クワチャ渡そう。50クワチャ札を小さく小さく何回も折りたたんで手の中に隠した。

日本円にすると約500円くらい。現地の貨幣価値に換算するとどれくらいだろうか。
トマト4つで30円、キャベツ1玉20円、卵10個で120円、パン1斤60円...
クリニックまで往復のタクシー代200~300円
食費にすれば1週間分、タクシー代ならクリニックまで2往復できるくらいの額。

お母さんは他のお母さんたちと一緒にいてこっそりお金を渡すのは難しそうだった。みんなの輪から少し離れたところにお母さんと一緒に来ていた10歳くらいの双子のお兄ちゃんがいた。そっと彼に近づいて、赤ちゃんに話しかけるふりをしながら手の中に小さく折りたたんだ50クワチャを渡した。

現地語で、「病院、車」そう何度も繰り返した。

弟たちを病院に連れていって。
このお金をタクシー代に使って。

そう言いたかったけど、私の現地語能力では「病院、車」その二つの単語を伝えることしかできなかった。

彼に私がお金を渡した意図が伝わったかどうかはわからない。
彼が自分で使ってしまうかもしれない。
一家の食費に使われるかもしれない。
見知らぬ外国人に突然お金を渡されて、不快な思いにさせたかもしれない。

どんな風に使われてもいい。
どんな風に思われてもいい。
目の前にある命が消えそうなのに、なにもせず見つめていることができなかった。
自己満足かもしれない。なんの解決にもつながらないかもしれない。
でもいまの私には精一杯の行動だった。

2019年。
子どもをなくしているお母さんたちがたくさんいることは知っていた。
妊婦検診の検診カードの欄に、出産歴を記入する欄がある。
生まれた子どもがいま生きている場合はAliveのA、亡くなっている場合はDeadのDを記入する。
平然ど並ぶDの文字にはじめは目を疑った。
でもこれがザンビアの現実なんだといつの間にか受け入れるようになっていた。

でも栄養失調で命が消えちゃうの…?

今日の双子の赤ちゃんはこれから元気になるかもしれないし、まだわからないけどかなり厳しい状況にある。でも元気に生まれてきた命。それだけの生命力があるはず。だからなんとか持ちこたえて元気になってほしい。私はそう願うことしかできない。

クリニックに帰って、同僚たちにこの親子の話をした。
もちろんお金を渡したことは言わなかった。
彼らがだれかに話さない限り、私はだれにもお金を渡したことを言うつもりはない。
彼らが周りに話して、他のひとがお金をねだってくる可能性も考えられるけれど5か月この場所に暮らしてなんとなくそんなことは起こらない気がしている。なんとなく。起こってしまったらシラを切りとおすしかないけれど、きっと大丈夫。

同僚たちはみんなクリニックに連れてくるように言って、栄養士につなげるしかない、といった。
栄養士のところにいったらなにができるの?と聞くと、どんな食べ物を与えるべきかとかそういうアドバイスじゃない。と言った。

そうだよね、それで救えない命はそれまでで、それは神様が決めたことだから仕方ない。
それが彼らの物事の受け止め方で、命の在り方なんだよね。

救えるかわからない、命がつながったとしても順調に成長できるかわからない、小さな命を入院させていろいろな薬や医療器材を使って、集中的に治療するなんて選択肢にない。
抵抗力の弱った赤ちゃんを感染管理の行き届いていない病院に入院させたら感染症にかかってかえって命を縮めることになるかもしれない。
そうなったらクリニックで栄養士のアドバイスを聞いて、可能は範囲で実践して、生命力があれば命が続くし、もし命の灯が消えてしまったらそれはそれ、仕方がなかった、って受け入れるしかない。

任地で危ない目にあったり、病気になったり、ケガしたりして、「今日も生きてんな~!」とか言って投稿してる隊員さん、本当に本当に生きてるってことをそんな風に使わないでって毎回思う。ただ普通に食べて寝て遊んで成長することさえままならない赤ちゃんと、それを当たり前のようにさせてあげたくてもそうできないお母さんがいることを知らずに、しかも協力隊が派遣されているような場所で暮らしながらそういうことを平気で大きな声で言っちゃうのは全然かっこよくないよ。

来月も会えるかな。会えたらいいな。それだけでいいな。

私の文章力がどうとか、熱いとか、ダサいとか、どんな風に思われてもいいから読んだほしい、知ってほしい。2019年、いまここでほんとうに私の目の前で起こっていることを。

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