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日本人らしく暮らすこと

おはよう、と言って起きる。
いただきます、といって食べる。
ごちそうさま、といって食事を終える。

最近、ひとりでこんなことをはじめてみた。

ザンビアに来たばかりのころは、ザンビアに適応することに躍起になっていた。

シマ(ザンビアの主食)を手で食べる。
食事の前には毎回お祈りをする。
日曜日には教会に行く。
チテンゲ(ザンビアの布)を身に着ける。
現地語を話す。

ザンビアの文化や習慣、この地自体に適応している先輩たちがすごく輝いてみえた。
そして私も早く適応しなければ、と思った。

だからザンビアの文化や習慣に適応できない自分に、小さなことをストレスに感じてしまう自分に、苛立ちと不甲斐さを感じていた。

シマをおいしく感じられたたき
食事の前にお祈りしないと違和感を感じるようになったとき
日曜日に教会に行ったとき
チテンゲが上手に巻けるようになったとき
現地語でコミュニケーションが取れたとき
適応に一歩近づいた気がして満足感を感じた。

でもザンビア人に苛ついてしまったとき
待ち時間に耐えられなくなりそうになったとき
ザンビアの当たり前を不潔だと感じてしまったとき
ザンビアに適応できない自分を責めた。

ザンビアを好きにならなければ、ザンビアに適応しなければ
そんな思いと戦っていた。

でも最近は“日本人らしく“ここで暮らすのもありなんじゃないか、と思い始めている。

お米を炊いて、箸を使って食事を摂る。
食事の前にはいただきますという。
清潔を保ち、整理整頓をする。
時間を守る。

郷に入れば郷に従え

ここはザンビア。私は外国人。周りにはいつもザンビア人の、ザンビアでの暮らしが営まれている。
だから彼らを受け入れ、尊重し、馴染むことが当然必要だ。
でも他人に強要しない範囲で、日本人らしく暮らしてみてもいいんじゃないかと思う。

この前、倉庫の片づけをした。
日本で暮らしていたとき、日本人のなかでは片付けが苦手なほうだと思っていた。でも今では、スタッフのなかで片付けのスキルは一番高いように感じている。

日本人らしさが強みになることがあるかもしれない。そう思えるようになってきた。

上手に言い返すことができなくて、いいたいこともいえなくて、強いザンビア人に負けてしまうけど、クリニックにくるお母さんたちと視線を合わせて話をする、丁寧に相槌を打ちながら話を聞く、穏やかな口調で話す。そんな日本人らしいコミュニケーションも、ザンビアの人々のひとりやふたりには伝わる気がしている。

自分にないものをもっているひとはいつだって輝いて見える。
だから適応能力の高い先輩たちがまぶしくて、追いつきたくてもがいていた。
でも自分と遠い存在にあこがれていたことに気づいた。

私はザンビアのことを、ザンビア人のことを理解しながら、受け入れながら、日本人らしく暮らしていこうと思う。

おはよう、と言って起きる。
いただきます、と言ってから食べる。
一人だと寂しさが倍増するけれど、なんだか少し安心する。


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