見出し画像

高熱に魘されながら考えたこと

日本を離れて半年。
日々を過ごすなかで確信が強くなっていることは、2年間で私が変えられることはなにもないってこと。

国が変わらなければ、住民の暮らしは変わらない。
住民が変わらなければ、国は変わらない。

どんなに大金を投入したってドナーはドナーであって、外国人があれやこれや口だししたところで動くのはお金だけ。

ましてやなんのスキルもお金もないボランティアがたった2年間で変化を起こせるわけなんてない。

こんな過激なことを書いてしまっているのは、高熱にうなされたせいで、とてつもなく日本に帰りたいからなんだと思うけれど、こんなときでもないと正直なことが書けない気がするから記録しておくことにする。

国際保健の文脈では、今ホットなトピックはユニバーサルヘルスカバレッジ。
だれもが必要なときに適切な医療が受けられる仕組みづくりを目指そうと、多くの専門家が活動している。
ザンビアでも日本の専門家チームが保健省に入って、プロジェクトを進めている。

でも、そもそも現金収入を得ずに自給自足のような生活をしているひとがこんなに大勢いて、医療施設の質もアクセスもまちまちで、病院に行っても薬がないと言って追い返され、そんな状況で保険制度を導入することがユニバーサルヘルスカバレッジの実現につながるのだろうか。

私はボランティアとして、住民のヘルスリテラシー向上に寄与したいと考えていた。ヘルスリテラシーを向上することによって、医療施設がない地域に住む人々が適切なタイミングで受診できるようになるのではないか、限りある人的・物的医療資源を適切に活用するためには使う側のリテラシー向上が必要なのではないかと考えていた。

でもそもそも近くに学校があるのに学校に通えない、通わない子どもがこんなにも多くいて、公用語の英語が読めない書けない大人がこんなに多くいて、ヘルスリテラシーとかそういう話をする以前の問題に感じてきてしまっている。

学校があるのに学校に通えない、通わない。
学費が無料でも制服やノートが必要でお金がかかる。
学校に通う必要が分からない。
学校を出ても仕事がない。
家の仕事を手伝わなければいけない。
妊娠してしまって子どもを育てなければならない。

本当にいまの生活から脱却したい、収入を得ていい暮らしをしたい、と思っているひとたちは子どもたちを学校に通わせるし、町に出て仕事を探すし、なんなら生活の場を学校があって病院があって、仕事がある町に移すんじゃないだろうか。

きっと彼らには、彼らなりの“ここに暮らす理由”があるんだろうし、これから知っていかなきゃいけないことなんだけど、彼らは変わることを変えることを望んでない気がする。

例えば、政府が病院があって、学校があって、電気が通っている町のなかに公営のアパートをバンバン建築して、僻地に住む住民に住居を提供したとする。
町に移り住めば、学校にも病院にも通いやすくなるし、現金収入を得る方法さえあればマーケットでなんでもものが買えるし、電気があるから勉強だってできるし携帯電話で家族や友達と連絡を取るもの容易になる。
でも彼らはそんなこと望んでいるのだろうか。

でも政府がそれくらい大きく出なければ、国は変わらない。
そして住民がそれくらい大きな変化を望まなければ、国は変わらない。

ボランティアが健康教育したって、授業したって、稲作を教えたって、変化が起きるのは2年の活動の間とその後半年か1年そこらだろう。
そもそもボランティアの目的は、国を変えることではないし、成果を出すことでもない。だから、ひとりでも多くのひとに名前を覚えてもらって、世界の美しさを語れるようになって、無事日本に帰ることができれば合格。

でも仕事として国際協力とか、国際支援、開発とかの文脈で生きていくならば成果とか変化とかを求めていかなければいけない。

私は将来の仕事のため、経験を積むためザンビアにやってきた。
ずっと国際協力とか、国際支援、開発とかの文脈で仕事がしたいと思っていた。その目標があったから、2年間アフリカに来る決断ができた。

でも半年間、ザンビアの田舎で暮らすなかで見えてきたことは現場のニーズとの解離と表面上成果と現実のギャップ。

あれが足りない、これがない、っていつも誰かが嘆いてるけど倉庫の掃除をしたとき期限切れの医薬品が数えきれないほど見つかったし、壊れた体重計や血圧計が埃を被って放置されてるのも知ってる。

各ドナーと省庁に報告するためのデータ収集に躍起になって、住民に対する指導やカウンセリングがなおざりになったり、待ち時間が長くなったりしている現実を日々目の当たりにしている。

バイタルサインはただ計測するだけでフォローアップがないし、始まる時間は適当なのに終わる時間は早くて赤ちゃんをおぶって息を切らしながら何時間も歩いてクリニックにやって来たお母さんを追い返すし、薬は在庫がなくてもらえないこともある。

トップダウンとボトムアップ両方からアプローチしなきゃ変えられないことばかり。でもすべての地域にアプローチするのなんて到底無理な話で。だから、この国の政府と住民が双方から変化を望んで行動に移すしか方法はないんだと思う。

あきらめるのが早すぎるけれど、これが現実。
夢を見ていたことに気づかされる経験ばかり。

きっと私があこがれて、背中を追いかけ続けてきた大先輩方は、この現実を知りながらもあきらめずに続けてきたんだろうな。住民に寄り添って、彼らと一緒に迷って考えて苦しみながらも続けてきたから生まれた変化があって、だから彼らが語る世界は美しいんだろうな。

そう思うと、大先輩方へのあこがれは止まないし、いいな~そんな人生って思ってしまう。

未熟な私は、この先もずっと国外をフィールドに活動を続ける覚悟はできない。むしろ、ここに来る前より後退りしてしまっている。

いまの私の望みは身近な大切なひとを幸せにしたい。
両親、祖父母に恩返しがしたい。
大切なひとと家族になって、子どもを育てたい。
溢れんばかりの愛情を注いで、私が見てきた世界の美しさを伝えたい。そしてまだ見たことのない世界を一緒に旅したい。
これがいまの私の一番の願い。

日本に生まれたことも、衣食住に困らず、教育を受けさせてもらい、健康に暮らしてこれたのもすごすすごくラッキーなこと。もちろん大切に育ててくれた両親のおかげだけれど、たまたま運よくいい国の、いい両親のもとに、いい時代に生まれただけ。
だからこの幸運をだれかのために使おうって思ってた。
遠くの国で苦しみのなかで生きる人々のために。
でも背伸びしすぎてたことにやっと気づいた。

お金も愛情も余った分しか分けられない。

これは物質的なことじゃなくて、覚悟とか気持ちのことを言ってるのかもしれない。

ザンビアでの生活にもだいぶ慣れてきたけれど、ときどき無性に日本に帰りたくなるときがある。

昨日高熱に魘されながら、飲料水のストックあったっけ?
いつまでなら買い物にいかなくても生き延びれるかな?って不安になりながら片道徒歩30分かかるマーケットに買い物に行けるかシミュレーションしたり、朦朧とするなかで自分で指先に針さしてマラリアの検査したり、このままここで息絶えて気づいてくれるひとはいるのだろうかって不安になったりしながら日本に置いてきた安全と平和と安心が恋しくてたまらなくなった。

ほらみろ、日本が一番いいに決まってる。

そんな声がどこか遠くから聞こえて来そうだけれど、こんなこともあんなことも、ここに来たからわかったこと気づけたこと知れたこと。

帰りたいけど、逃げ出したいけど、あと1年半。自分で決めたことだから、踏ん張るしかないね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?