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2022.3.11からのメッセージ

十年一昔という言葉がありますが、今の時代は世の中の変化が早すぎて、特にデジタル技術の進歩やそれに伴う様々な世の中の業態や生活の変化を考えるとニ、三年くらいしただけで圧倒的に古臭く感じてしまうような感覚があります。
と同時に、ずいぶん昔のことなのにまるで昨日のことの様に感じることもあったりして、人の感覚というものは一様ではなく、人それぞれによって違っているという当たり前のことをさも特別なことの様に考えてみたりしています。
何が言いたいのかと言うと人によって時の流れが早く感じる人もいれば、あの日から止まったままだったり、昨日のことのように感じるという人もいて、同じ時間の流れなのに不思議なものだなと思う訳です。

そして今。2022年という年になって変わらずに未来に向かって時間は過ぎていますが、今この世界では戦争が起きています。戦争などというものは昔起きたもの、とどこかで無意識的に捉えていたところが正直ないとも言えず、現代に戦争が起きるなんてと平和ボケなヤローだったのですが、今まさにこの時に起きていて、この状況を踏まえるとこれからの未来にもやはり起こってしまうかもしれないと思わざるを得ません。
20世紀とは戦争の世紀だったと言われていますが、どうか21 世紀は平和な世紀になりますよう心から願います。

そんな今日という3.11に考えるのは「生きること」「幸せ」についてです。

この前Eテレの番組で谷川俊太郎さんが出ていて、番組の最後の方でこんな風に話をしていました。

「ぼくは しんだ じぶんで しんだ 谷川俊太郎と死の絵本」 - NHK

読者へのメッセージは?という質問に対して

「一切ないですね。一般的な読者に対して何か言うことは出来ない。もし今死にたいという子が目の前にいて何かこっちに話しかけてきたら何か言うことはあると思うけどね。一人一人全然違う境遇で全然違う人間関係を持っている子どもたちに何か一般的にメッセージというのは言えない。」

「今はほら、意味偏重の世の中なんですよ。誰でも何にでも意味を見つけたがる訳ね。で、意味を探したがる訳。でも意味よりも大事なものは何か存在するってことなんですよ。何かが”ある”ってことね。存在っていうことを言葉を介さないで感じ取るってことがすごく大事だと僕は思っているのね。なかなかそういう機会がないけど。生きている上でそういう風に意味を回避するというのか、意味付けないでじっと見つめる、じっと我慢するとかいうことがあるけど、皆んな結構そういうことをしなくなっている。意味を見つけたら満足してしまうみたいなね。そうじゃないものを作りたいとは思っていますけどね。」


それを聞いたその時は、軽く受け流していた感じでしたが、後からジワリと何かこの言葉が本質的なことを示している様な気がしていました。
それは、僕自身もそうだし世の中的にもその傾向なのかもしれないですが、「生きること」について意味を求め過ぎていたり、「幸せになること」に囚われ過ぎているのかもしれないということです。

これまでのnoteの中で僕が書いたものもそうだし、今も、これからの困難な時代に生きる特にこどもたちにとって、答えや正解などはないにせよ、「どう生きれば幸せになれるのか?」そんなことを考えていきたいといと思っていたところでした。
でもそれも何か意味や自分なりのある程度の納得感がある答えを得ることを求めていて、それがもし仮に得られたら満足してしまうかもしれない。
もっと大切なものはそもそも見えなかったり、もしくは見えてはいるけれどもそれを見つけられていないのかもしれない。

「生きること」「幸せになること」。これは僕の中の生きていく上での重要なテーマでもあるのですが、谷川さんのお話で自分の中にある何かが軽く弾けたというのか、硬く絡み合っている結び目がホロリと解けたような、そんなある種、心が軽くなるような感覚を感じています。

また、「幸せ」ということについては最近になってようやく読んだ落合陽一さんの「日本再興戦略」の中にこう書かれていました。

『幸せという概念は、明治以降の産物です。昔は「幸福」と言っていたのが、「幸せ」になってしまったことで、「ハッピー(幸)&ラッキー(福)」のうち、ラッキーが抜けて、ハッピーだけになってしまいました。西洋的な幸福感は押し付けられたものなのに、今の日本人はメディアの基準に照らし合わせて「とにかく幸せでないといけない」と信じ込むようになってしまいました。』

『別に、自然でいればいいのに、メディアの定義した幸せを探す日々の中で、日本人はいつのまにか「幸せ依存症」になってしまったのです。』


これも、なるほどなと。どこか意識の中で幸せにならなくてはいけない、人は誰もが幸せを求めて生きているということをさも当然のように思っていた自分自身には改めて新たな気づきをもたらしてくれました。

谷川さんのお話と落合さんが書かれていたことは、どこか共通するのではないかと感じました。そして

僕らは生きることに意味を持たせるために幸せを求め過ぎているのではないか。

そんな風に感じられる気がしました。
そうではなくてもっと自然体のままでいいし、本当にもっと大切なのは谷川さんが言う、そこに存在している、”ある”ってことだと。

言葉に表すことが難しく、何となく伝わると嬉しいのですがそんなことを感じながらこれからも漂う日々を生きていきます。
また。
#3月11日  #311 #谷川俊太郎 #落合陽一 #生きる #幸せ #存在

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