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振り返る。双極性障害からの脱出③

わたしは精神科病院へ、息子は児相へ、そるぞれ移送された。

わたしが入院したのは、おそらく県でも昔からある重度の精神疾患の方々が入院している病院だった。

深夜近くに到着した。東京から帰省して、既に8時間は経過していた。

病院に到着してから、
まずは荷物を全て預けなくてはならない。

それから院長との話が始まる。
院長から言われたのは、
『自分の宿題ではなく他人の宿題ばかりを優先してしまったのではないですか。』
『・・・』

一瞬意味が分からなかった。

要は自分を労らずして、他人を優先して生きてきた、そんな意味だった様に思う。

その時点では、あまりピンと来なかった。
3日間の入院、それ以降は地元のかかりつけ医からの紹介で別の病院に入院になるとの事だった。

精神病棟に入るのは初めてだったので、不安しかなかった。

看護師に病棟に連れて行かれ、病棟から入院中は出られない事を、鍵を閉められた事で分かった。所謂、閉鎖病棟だ。

同室には1人、6人部屋のカーテンも一切無い部屋。
深夜近かったので、病棟は既に消灯後で暗かった。

ベッドに腰掛けた。他の部屋から奇声が沢山聞こえた。怖い。なんて所に来てしまったんだ。

眠れないのと恐怖で、看護師にその旨を伝えると、睡眠薬をくれた。この病院で、入院中の患者は、看護師から渡された薬を看護師の目の前で服薬し、口の中を確認してから、自室に戻された。そしてなんとか眠った様に思う。

次の日の朝、同室の女の子から話がかけられた。
その子の片腕は多数のリストカットの痕跡があった。
彼女はまだ10代で、水商売をしていた様だ。彼女の親は宗教の幹部をしており、どうしてもそれが嫌だったと話していた。何故片腕が埋まる程のリストカットをしたのかは聞かなかった。

そんな風に、病棟から出られない3日間を空虚な心で過ごした。

3日間が過ぎて、ようやく外に出た。次の入院まで数日の時間があった。子供はどうしているんだろう、どこに移送されたのだろう、先ずは何をすればいいんだろう、帰りの電車で回らない頭をそれでもぐるぐると巡らせ、地元の駅についた。フラフラしながら、とりあえずトイレに行った。

大量に嘔吐した。

続く。

#双極性障害
#鬱病
#精神科
#閉鎖病棟

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