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【小説】40歳のラブレター(4)菅平

 僕の気持ちが大きく大きく揺れたのは僕が大学4年、あなたが2年の夏の菅平での合宿だと思います。前に進もう、と思ったのは。

 菅平。結局僕はそこに5回行ったわけですが、本当に真っ黒な思い出しかありません。これは、僕だけでなくて、僕らのサークルの人は全員そうでしょう。とにかく飲み過ぎ、馬鹿騒ぎしすぎです。毎回。
 ジャックダニエルのボトルと、そのボトルに麦茶を入れて、飲み比べをして、「おまえはすごいな!」と叫びながらジャックダニエルをストレートで1本を5分ほどで一気飲みするとか、M物産に行った先輩は、お尻の穴でロケット花火を掴んでそれを合宿所の窓からなんどもなんども発射したり。寝ているところを、みんなでエアサロンパスを局部に吹きかけたり、世が世なら大ごと、みたいなことを毎晩毎晩やっていました。
 もちろんそう言うのは、僕たちが特殊なのではなくて、どこでもそんな騒ぎが起こっていたわけで、特別扱いするようなことではないのですが。ともかく、それでもちゃんと朝の6時には起きて朝練を9時前までやっているのですから、つきなみですが若さというのは大したものです。毎回、合宿に行く前はすごく憂鬱な気分になりました。でもその一方で、何か特別なことが起こるのではないかというワクワクと、ラグビーの試合ができるウキウキ感とが合わさって、なんとも言えない気持ちでした。

 この年の合宿中に、夜中に3台の車に分かれて菅平から草津まで走ったことがありました。大きな声で言えることではないですが、運転手はみんなベロンベロンでした。練習が終わって、夕食が終わって、いつもの飲み会が終わって、それから誰かが温泉に行こうと言い出して、いいねという人が集まって、草津に24時間やっている銭湯みたいな温泉があるからそこへ行こう、ということになりました。
 今なら反社会的な話ですよね。3台に別れて10人くらいで菅平の山を駆け下り、国道144号を左に折れて、嬬恋を抜けて左に曲がって県道に入り、この道がなかなか厳しい道で、狭いし街灯はないし。車の中はずっと大音量でカラオケ大会で、それがなければすごく不安な道だったはずで。国道292号に出ても道が狭いのは相変わらずで、それでも深夜を飛ばすと菅平から草津までは1時間程度でついてしまって、なんかすごくあっけなかったように感じたものです。
 ついてからは適当に路駐して、早速温泉に入ろうとしましたが、あまりにも小さいし、脱衣場も仕切られていないし、有り体に言えば、汚い!という感じで、男子は嬉々として入りましたが、あなたとDさんは入らなかったですね。入れなかった、という方が正確でしょうか。
 帰り道は、3台でルートを分けて競争をして帰ることになり、みんなで地図帳を開いて、どこの道をどうというのを確認しながら(何しろ地図帳は1冊しかなかったので)、道をなんとか記憶して、では、ということで行きと同じメンバーに分かれてスタートしていきました。
 今思えば、この行為は、死を感じさせます。運転手である僕は酔っ払っているわけで、山道を地図もなしに闇をぬって50キロ以上をかけようなんて。絶対にやってはいけないことです。
 告白するのですが、僕はこの時とってもドキドキして不安で、心配でビビっていました。運転にはある程度自信はありましたが、草津に来る時の道が厳しくて、お酒も入っていて、行きはみんなでつらなってきたからよかったけど、単独で運転して帰ると思うと、すごく嫌な予感がしていました。端的に言えば、事故るんじゃないか、という。本音を言えば、誰かに運転を代わって欲しかった。でも、クレスタは僕以外運転できるような代物ではないので、誰も運転してくれないし、本当は一晩草津でやり過ごしてから、いや数時間でもいいからやり過ごしてから帰りたかったです。そう言えばよかったのですが、なんか変なプライドもあって言えず、そのまま帰路につくことになって、本当に不安で不安で仕方なかったです。同乗していたあなたはどう思っていたでしょう。

 夜の道によく聴いていたのが浜崎あゆみで、この時もCDチェンジャーに入っていたCDは「LOVE appears」で、どうしてもこのCDを聞くと飛ばしてしまうのです。特に、1曲目から「TO BE」まで。この時も、今はもう道の景色とかは覚えていないけれど、真っ暗な林道のような道をできる限りアクセル踏んで、窓は全開で、カーブを曲がるのは実は下手くそなので、不規則なハンドリングで、夏の終わりの菅平の山の中は、所々ひんやりとする空気のところがあって、9月の頭でもふと、ひんやりとした空気が入ってきて、それがぞくっとしたりして。街灯も周りの建物などの明かりもほとんどありませんでした。乗っているのは、あなたが助手席、あなたと同期のEが後ろの左で、なんかその時はあまり会話がなくて、割とみんなドキドキしながらな感じでなんとか菅平に向かっていたように感じています。
 もしもこの時、事故でも起こしていたら、僕ではなくて、他の誰かでも、と思うと心が冷えつきます。幸い、3台とも何もなく帰ってきて、誰が一番とかどうとか、そんな話をしていましたが、そこには、本当に紙一重の危険があったと思います。
 僕は、本当にホッとしました。ぐったりしました。車に乗っていて、こんな嫌な、不安な気分になったのは初めてで、もっとその時の気分としっかり自分で向き合っていれば、と思います。

 僕はこの6年後に、東北自動車道で明け方4時過ぎに、山形から仙台に向かう途中のR300のカーブを150キロで曲がろうとしてスリップし、ガードレールに突っ込んで行きました。朝の2時まで山形でしこたま飲んだ挙句に。もし、お酒と車とちゃんと当たり前の自覚ができていれば、たくさんのものを失わずに済んだはずです。

 その無意味な草津遠征から帰ったのが朝の2時半くらい。すぐにみんな寝たと思うのですが、どういうわけか僕はドキドキが続いて、目が冴えて眠れなくなってしまいました。明日も朝から練習だし、疲れていないわけもなくて、寝なければ、と思うのですがどうしても寝付けませんでした。
それで、冷蔵庫からビールを1本とって、駐車場へ行き、自分の車の中に行き、エンジンをかけて(エンジンかける時はひどい音がします)、シートを倒してビールをあけて、音楽を聴こうと思い、CDの入っているかごをガサゴソして、取り出しのたは相川七瀬の「ID」。
 「LIKE A HARD RAIN」を聞き、「SWEET EMOTION」を聞き、「彼女と私の事情」を聞き、ビールを1本飲み切って、それで僕は、とてもとてもどうしていいかわからない、いても立ってもいられない気持ちになりました。

 一体僕はいつまでこんなことやっているんだろう。いつまでこんなどっちつかずな態度でい続けるんだろう。あなたのことが好きなのは間違い無いのに、いつまで何もしないで、品のいい執事みたいなことしているんだろう。こんな関係でい続けることになんの意味があるんだろう。今の状態って、もしかしたら単にいいように使われているだけで、あほもいいところなんじゃないか。みんな僕のことを滑稽だと思っているんではないか。あなたは腹の底では笑っているのではないか。

 少しもやった暗闇の中でカーオディオのパネルのオレンジの色と、メーターのブルーだけが光っている世界で、僕の心は強く強く震えてきて、その震えを止められなくなってきました。好きという気持ちと、自分に対しての憤りの気持ちと、あなたへの不安と、あなたへの怒りに似た気持ちがいっぺんに吹き出してきて、ビールの缶を握りながら鼓動が速くなって行き、どこかを強く叩いて壊したい気分になりました。

 どのくらいの時間、そんな世界でフロントガラスの外を見つめていたのか。
 でも、僕が、あなたにちゃんと告白しようと決めたのは間違いなくこの時です。この酒臭いクレスタの中で、深夜の菅平で、馬鹿げた草津遠征の後に、寝れなくモヤモヤしているときに。

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