見出し画像

【小説】40歳のラブレター(3)「葛藤」

 だから、僕があなたに好意を持つようになったのは、結局のところ成り行きで、サークルにあなたが来るたびに僕の車に乗っていくようになって、一緒に音楽を聞き、なんと言うことのない話を重ねて、次第に好きだと感じるようになっていったということになります。確かに普通に考えれば、週に2、3回も車であちらこちらに一緒に行っていたら、そういう気持ちが芽生えるのは自然なところではありますね。そもそも僕も、あなたに好意を持たなければ、そこまではしていなかっただろうし。それに僕は勝手に、あなたも僕のことをちょっとは関心がなければ、そんなにひょいひょい車に乗っても来ないだろう、と思っていました。

 でも、その僕の考えについていえば、多分正しくない可能性が高いと思っています。あなたは、本当に便利だったから、そして僕の車に乗っていても間違いが起こらなさそうだったから車に乗っていたのであって、好意を持っていたから、何か発展があればいい、と思って乗っていたのではないのだろうな、と今は思っています。もちろん、本当のところはわかりません。マイナスな思いではなかったっと思います。こんな人と車に乗っているのは嫌だ、つまらないとか、怖いとか、そういう思いではなかったと思います。別に僕を利用しているということではなくて、友達というのでもなくて、普通に送ってくれるから、便利だし楽だから、という感じだったのかなと。

 でも、女の子には、男から見ればある種とても残酷なことが普通に平気できるということを、多少なりとも自覚したのは、僕は30歳も過ぎた頃で、到底この時期の僕にはそういう思いには至りませんでした。

 そう、32歳の時、僕は別な女の子と同棲をしていて、彼女とは23歳の時に付き合い、同棲して、その後28歳の時に彼女が別な男と付き合って僕は家から追い出されました。その後また一度寄りを戻したのだけれど、30歳の時にまたフラれて彼女は別な男と付き合い、そんなことをしているうちに彼女はうつ病になってしまいました。僕はそんな彼女に、自分で言うのもおこがましいけれど、とてもとてもよく尽くしたと思います。退院するまであれこれサポートし、その後にはもう一度一緒に住んで、家賃も全部僕が払い、神楽坂に結構大きな部屋を借りて、彼女の回復に努めました。
 でも、そんな彼女は結局そこで一緒に住んでいる時に、別な男とまたまた付き合い、そして僕たちは別れました。その3回目の時に、ああ、女の子ってそう言うものなのだと思いました。ようやく。

 話がずれましたね。

 僕があなたをどの時点から好きだな、と思ったのかは自分でもわかりません。そう言う思いがちゃんと出来上がる前に、自覚する前に、毎週車で迎えに行き、練習に行き、週末は小岩とか江戸川とか割と遠方まで試合に行き、その行き帰りの道のりを、あなたは助手席にいて、後ろの席には道すがらピックアップするサークルのメンバーの子たちがいて。僕が家を出て、最初にピックアップするのがあなたで、最後に落とすのがあなただから、途中で乗り降りする他のメンバーからすれば、いつも僕とあなたが乗っていると言うように見えていたと思います。

 だから、たまにあなたが何かの理由でいないときに感じた違和感、不在感が、僕はあなたに好意を持っているんだ、と自覚したきっかけだと思います。

 その日の帰り道に、一人で車に乗っている時間に流れていたのはミスチルで、「名もなき詩」とか「Innocent World」だったりですね。いい時代のミスチルです。一人で街道に出て、一人で梅雨の雨上がりの道を走っている時に、その湿度を含んだ重たい空気の中に、すごく寂しい気体が混じっていることを感じました。明らかにそこには、普段はないどんよりとした空気があるのです。当たり前に助手席にいたあなたがいない街道で、大音量で流しているミスチルはなんだかとっても場違いで、間違った音楽のように感じました。
 それで、僕は多分、あなたのことを明確に好きなんだな、と思いました。多分、明確に。おかしい日本語ですが、そう言う表現でいいような気がします。

 車の中では、何を話したと言うより、どんな曲を聴いたかばかりを覚えています。一番よく聴いていたのはミスチルで、次にサザン、そして、女性ではaikoとPUFFYですね。「シーソーゲーム」が流れると、口ずさみながら僕は微妙な気持ちになり、あなたが「アジアの純真」を歌うと、一緒に歌いたくなり、「カブトムシ」が流れるとなんとも言えない沈黙になって。そして何と言っても一番の曲はサザンの「LOVE AFFAIR」で、ボーリング場にもよく行ったし、一緒にベイブリッジを走り大黒ふ頭に行ったりもして、でも、いつも他人で、他人以上の何かではなくて、だからこそ頑張って。曲のまんまだな、なんて思っていました。好き合うほど何も構えずに、でも、好き合ってはいないよな、などと。
 今でも、「LOVE AFFAIR」を聞くと、気持ちはベイブリッジを空に向かって坂を上ります。お台場方面へ。東京方面に向かう橋の中央の手前で「空まで飛んでいきそう」と言ったあなたの言葉が忘れられません。

 でも、二人でいた時間がたくさんあるのかといえば、実際はそんなには多くないと思います。例えば、飲み会とかでも一緒にいることや話をすることはほとんどなかったと思います。飲み会の帰りの電車は、方面は同じでも帰りは大体別で(そもそも僕は、その日のうちに電車で帰ることはまずなかったですから)、どこかにお昼とご飯とか行くときも、そこにはほとんどの時は誰かがいて。二人で誘い合って何処かに行く、と言うことは結局ほとんどなかったと思います。

 そう言う状態をあなたがどう思っていたのか、僕はそのことについて、どれだけ考えたかわかりません。大学生のその時も、それから後も。

 僕は明確にあなたのことが好きで、あなたがどうかはわからなくて、でもこうして過ごしている時間はかなり多くて、決してあなたが僕を拒否しているわけではなくて、でも二人きりでと言う時間はあまりなくて。僕は二人の時間を増やしたくて、特別な関係になりたくて。その一方で、でも、もしも僕が告白して、好きだと言って、あなたにそれを受けることができなければ、僕は今の毎日を失うわけで、あなたと車で一緒に行くことができなくなってしまうことは、僕にとってはとってもとっても辛いことで、それは避けたくて、それで、それで、どうしていいかわからずずっとそのまま、と言う状態が続いたと思います。
 できるならば、あなたが1年生の時の夏から冬くらいに、思い切って僕の想いを伝えてみたかったな、と思った時期があります。もちろん、それがうまくいかなかったであろうことは、今の40歳になった僕にはよくわかるのですが。20代の間の僕にはわからなかったです。

 一緒に出かけたところでは、僕の高校の同期で同じ町に住んでいたCも一緒によく行った、近場の「まぼろし軒」をよく覚えています。奇跡的に20年経った今もあって、今でもたまにいきます。一人で。店の様子もおじさんも昔のままです。牛すじラーメンを出しています。周りは道路拡張がされ4車線になっていたり、マンションがいくつも建ったりして、明らかに年代物の一軒家、は浮いていますが、なんとかやっています。それなりにお客さんも来ています。
 街道沿いにあった宇宙ボウルも懐かしいですね。ここのボウリング場はどれだけいったか。練習の後深夜にかけて。24時を回ると場内がミラーボールで照らされて、ディスコのようになるので、宇宙ボウル。1ピン10円でみんなで賭けて延々と、それこそ10ゲーム以上でもやっていたのも思い出します。宇宙ボウルもなんとか健在です。
 大学の本部キャンパスの近くの僕らのサークルの御用達の定食屋さんは火事があってなくなってしまい、後には有名な油そば屋さんができています。
 火曜日と金曜日に使っていた練習場は埋め立てられて、大型のマンションが建っています。

 そんな一つ一つのことが、今思うととっても意味深く見えます。僕にとっては。20年経って変わるもの、変わらないもの。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?