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【小説】40歳のラブレター(5)告白

 南関東の9月の半ばはまだしっかりと夏で、僕はあなたに電話して、話があるので今から行っていいかと聞き、いいよと言われたので、小一時間くらいであなたの家に車で迎えに行き、あなたを乗せて湖に行きました。すぐ近くの。

 9月の平日の堤防にはほとんど人がいませんでした。そもそもが閑散とした特徴の見当たらない湖で(生活のために役に立っている、という以外は)、何か観光施設があるわけではないし、散歩をするくらいしか用途のない堤防で、30度を超える暑さの昼下がりにふらふらしているのは僕たちくらいなものでした。

 車を湖の入り口の空き地につけて、ちょっとした林を抜けると堤防に出ます。端から端まで500mくらい。歩いていく右手が湖で、左手は急な斜面になっていて、その下の方は3面ほど野球場になっていて、雨が降ると水を貯める貯水場としても使われていました。その日は誰も野球をしていませんでした。全体が小高い丘で、左手の先には、僕の行っていた中学校や僕の住んでいるニュータウンの団地群が見えます。
 喉がひどく乾いて、何か飲み物が欲しいと思っても、堤防に出てしまうと、自販機も何もあったものではなくて、ずっと喉は乾き続けて行きました。それは、暑さもあるし、緊張もあるし。

 あなたもきっと僕から何か言われるんだろうな、と感じていたのだと思います。珍しくお互い無言で歩いていて、話が始まるのを待っているような感じでした。いうまでもなく、話をしなければいけないのは僕の方です。

 この日にどんな風にあなたに話をしよう、どう電話して、どこに行って、どう話すか、どれだけシミュレーションしたことか。ところが、僕は、その段階でこの戦いが100戦しても100回必敗であることを悟ってしまっていました。なんででしょうね。別に話すことがどうのこうのではないです、どんな風に話してみても、内容を考えてみても、あなたからの答えは同じでした。どんなに、何をしても、イメージの中で出てくるあなたからの答えは、「付き合えない」という回答でした。

 だったら止めればいいのです。戦って必ず負けることがわかっているならば、本当にわかっているならば、そんな戦いに行くのは自殺です。でも僕は、自殺するようなタイプではないので、つまるところは、頭ではわかったけど、心は微かな希望を信じたいという気持ちだったということです。絶対に勝てないけど、奇跡を信じたい、そういう気持ちですね。10-0で負けている9回の裏に逆転を期待するようなものです。

 なので、変な話ですが、僕の中ではほとんどあきらめムードで、連れ出したはいいけどなかなか話を切り出すこともできず、いたずらに歩くばかりでした。歩けば歩くほど、だんだんと切り出しづらく、何ならこのまま何もなく帰ってしまおうか、というくらいの気持ちがもたげてきたりもしました。でも、言わなきゃ、ここまで来て何にもなしです、という訳にはいかない、でも、、、そんなことを僕の中では続けながら、堤防も真ん中過ぎたあたりで、歩いたまま、ろくにあなたの方をしっかり見もせずに、付き合いたい、ということを伝えました。

 信じられないかもしれないけれど、僕は文字通り心臓が口から出るのではないか、というくらい緊張しました。今思えば、よく頑張った、と言ってやりたいです。負けるとわかっている告白に、そんなに緊張して命すり減らしながら立ち向かって、うん、それ自体偉い、と。まあ、それくらいしか慰めの言葉はなくて、結果は戦前の予想通り、ごめんさない、でした。

 僕も、そういう状況は何回もシミレーションをしていたわけですが、それでも内側から起こる心の震えや渇きを抑えることができませんでした。ダメでした、となってからは、堤防を渡る間も、そこから折り返して車に戻る間も、とにかくずっとタバコを吸っていました。2箱持ってきたタバコは2箱目の途中まで行っていました。あなたが心配して、そんなに吸わないで、と言ったことを覚えています。もちろん、僕の耳にはその言葉はその時は届きません。でも、なぜか今はしっかりとその言葉が頭に残っています。

 あなたを家まで車で送り届けた後、僕はあなたの家の横の林で嘔吐をしました。何回も何回も。タバコの吸い過ぎで気持ち悪くなってむせってしまっての嘔吐で、人生で、飲み過ぎ以外で嘔吐したのはこれが初めてかもしれません。ひどい嘔吐で、最終的には胃のあたりがピクピクして、痙攣したような感覚になったのをはっきりと覚えています。


 人間というのは不思議ですよね。負けるとわかっている、けれど僕は行かなければいけないんだ、くらいの男気で告白してみて、結果やっぱり振られて、それで僕はどう思ったかというと、本当に情けないことに、ものすごく、ものすごく、後悔しました。こうやって書いていても、自分のことが情けないです。なんともまあ、しょうもないダメ男だな、と。でも、残念ながら僕は、その夜は、もう後悔で後悔で。なんでこんなことしたんだろう、告白なんてしなければよかった、バカだ俺は、そんなことをずっと自分に言いながら、ニッカブラックを家ですすっていました。


 それで、僕は当然、そこであなたとの関係をリニューアルすべきだと思ったのです。好きでもない男、ふった男とたくさんの時間を車で過ごしたりするのも嫌だろうし、僕も流石にこれまで通り送り迎えするのもこっぱずかしいし、と思っていました。

 でも、実際に僕が取った行為はその逆でした。2日後の夜に電話して、明日の練習に行く?と聞き、行くというので次の日の朝にまた家まで迎えに行き、何事もなかったかのようにあなたを乗せていきました。
 たった一言、あなたは「乗っていいの?」と聞いてきたので、「いいよ、別に」と答えたのを覚えています。

 そして、僕たちは何事もなかったかのように、同じように助手席にあなたが座り、僕は運転席でタバコを吸う、後ろの席にはいろんな人が乗り降りするけど、僕らのポジションは変わらない、そんな日々が再スタートしました。もちろん、二人の中身は決定的に変わっているのだけれど。

 僕は、このことについてなんども考えました。幾ら何でも恥ずかしいし情けない、と思いました。振られた女の送迎をずっとやっている自分を情けないと思いました。でも、その恥ずかしさと、一緒にいる時間と、一緒に過ごす時間、僕らのそういう営みが生み出す時間を天秤にかけた時、僕は後者を取ろうと思ったわけです。そこには、一縷の望み、もしかしたらいつか風が変わるかもしれないという、を抱いていないわけでもないのですが、でも、それよりも現状維持でいることを選んだということですね。

 幸い、多分僕があなたに告白をして、あなたがそれを断ったということは、僕の感覚としては、あなたはDさんにしか言っていない、高校の同期で同郷の彼女にしか言っていない、と感じていました。今でもそうです。だから、というのもありますね。もしみんなにつまびらかになっていたら、流石にしんどかったと思います。Dさんに言ってないことはないと思うので、そう思うと、Dさんはなかなかしっかりした女ですね。

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