Houni

私は浄土真宗の僧侶です(真宗大谷派)。 お寺では、住職代行(副住職)と言われる立場です…

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私は浄土真宗の僧侶です(真宗大谷派)。 お寺では、住職代行(副住職)と言われる立場です。 できる限りフラットな言葉で自分が思っていることを文字にしてみて、いろいろな方の意見でも伺えれば…と思い、note を始めました。

最近の記事

【又しても家内が倒れた】

【又しても、家内が倒れた】 一昨年の3月、駅で買い物中家内は脳出血を起こして入院。退院まで3ヶ月かかりました。 その間、自分の面倒は自分でみなければならないので、10年ぶりくらいで洗濯しましたわ。 そして、その頃愛読してた本は『アダム.スミスの夕食を作ったのは誰か?』/カトリーン.マルサルでした。 タイトル見るだけでわかりますが、この近代経済学の父は、生涯独身だった彼の夕食を作り続けた彼の母の労働を意識して経済理論を作っていたのか?から始まる、まぁバリバリのファミニスト経

    • 【「言語ゲーム」からのオノマトペ問題】

      「言語ゲーム」からのオノマトペ問題  『言語ゲームの練習問題/言葉を哲学する』という本が自分にとってけっこう衝撃的だったので、3ヶ月連続してそれについて書いています。  ただ、今回はそれに直結する内容というよりは、「オノマトペ」に関して思索したことについて書きます。主に『言語の本質』/今井ひとみ、秋田喜美共著、中公新書 を参照して考えました。 皆さん「オノマトペ」がどういうものかはご存じですよね? スベスベ、ザラザラ、ビューッなど音の描写のような言葉だけど文脈の中で形容詞

      • 【『言語ゲームの練習問題/言葉を哲学する』を読んで】その2

        【言語ゲームの練習問題/言葉を哲学する】を読んで その2  先月、『言語ゲームの練習問題』という本を読んで、大変面白かったことを書きました。 今月もそのことについて書こうと思います。 先月著者橋本大三郎さんの言語というものについてのまとめとして、 3) モノとしては保存できない。人間がなくなると言語もなくなってしまう。 という定義を紹介しましたが、このことは「失われた文明の文字の解読は、暗号の解読と同じ?」という問いとして本の帯に取り上げられていました。 そして、本文中で

        • 【『言語ゲームの練習問題/言葉を哲学する』を読んで】

          【『言語ゲームの練習問題/言葉を哲学する』を読んで】  ヴィトゲンシュタインって、思想に関心がある人にとってひどく重要だ、と何故か感じていたので何度かチャレンジしましたが、考えがまとまるところまで読める感じなし!……で何度か挫折していました。  そこで、この本は大学4年生授業用の配布原稿が元、とあったので読んでみることにしました。 橋爪大三郎さんのまとめで練習問題形式にはなっているけど、決して簡単ではなかったです。  しかし、今回は少し考えがまとまりました! ……面白いで

        【又しても家内が倒れた】

        • 【「言語ゲーム」からのオノマトペ問題】

        • 【『言語ゲームの練習問題/言葉を哲学する』を読んで】その2

        • 【『言語ゲームの練習問題/言葉を哲学する』を読んで】

          【マントラは意識的に使う】

          【 マントラは意識的に使う 】  仏教各宗派において、その宗派の御本尊との関係をふかめるために真言(マントラ)を唱える…という行が存在します。 真言宗におけるノウマクサンマンダバザラダントン、浄土宗における南無阿弥陀仏、日蓮宗における南無妙法蓮華経などがすぐに思いつきます。  これらは、近代以前の日本人にとっては、生活の一部であると言っていいもので、しょっちゅう唱えている人がその辺にいて、あまり奇異なこととも思われず日常生活風景の一部のようだった…と考えられます。 しかし、

          【マントラは意識的に使う】

          宗教は具体的、体験的でなければ

          【宗教は具体的、体験的でなければ】 世界中の眼が、一神教の母体とも言うべきユダヤ教の国にネガティブな形で向けられている今、どんなスタンスで書こうかな、というところで宗教者である私は悩んでおります。 それで、結局、あまり大きなテーマと言うより、専門である浄土真宗で、真摯な救いであったものが自我をイヤなかたちで保護する言い訳になる過程を分析してみようかと思いました。例えとしてドラマのセリフから入ります。 私は木皿泉という脚本家のドラマ作品が好きでよく見ます。彼ら(木皿泉は

          宗教は具体的、体験的でなければ

          【言わずもがな…が共有されない】

          最近、横浜の方でエレベーターで相乗りになったカップルの会話。 男 「その人がさ、学校の先生やりながらお坊さんやってるわけよ。訳わからないと言うか、そういうものというか….。」 女「えーそれってヤバいんじゃないの!?」 これって還暦すぎた私達の常識からすると、「ヤバい」のは彼らの方ですよね。 例えば地方のお坊さんが専業では生計たてるのが難しく、学校の先生と兼業しているという話しは我々だったら小学校高学年位でもう共有されていることだったように思います。(カップルは20代後半か

          【言わずもがな…が共有されない】

          【真宗、もしくは仏教における智慧】

          【真宗、もしくは仏教における智慧】 六波羅蜜と真宗の関係をここのところ書いてきました。 いよいよ最後の6番目「智慧」について書いてみようと思います。智慧と一言で言いますが、普通名詞としての智慧は無知や愚かさの反対ということですよね?  では、仏教においては何が無知であり、愚かさなのでしょうか?  かなり煎じ詰めると、 何が必ず味わうことになる苦しみなのか、意識していない。  それの原因になることが何か知らない。  それを解き明かした仏陀の教説に対して無知であり理解力がな

          【真宗、もしくは仏教における智慧】

          【真宗は“禅定”は仏教に必要ないことにしているのか?】(2)

          【真宗は“禅定”は仏教に必要ないことにしているのか?】(2)  前回は*六波羅蜜と真宗を論じる前に、そもそも仏道はエビデンス主義とイコールなのか? というところに話しがいってしまい、タイトルになっている主題を論じませんでした。 「時を戻そう」(笑) 六波羅蜜の後半の3つ 4.精進 5.禅定 6.智慧 に関しては、真宗は非常に抽象化の強い捉え方をしているのかと思います。普通は「定散ニ善をひるがえし」といい大乗仏教修行の定番である、禅定を修する(定)、戒律を守る(散) 等はいら

          【真宗は“禅定”は仏教に必要ないことにしているのか?】(2)

          【真宗は“禅定”を仏教に必要ないことにしているのか?】(1)

          【真宗は“禅定”を仏教に必要ないことにしているのか?】(1)  前回は*六波羅蜜の前3つの徳が、浄土真宗においてはどう成立するのか? について大先輩のお考えを引用しながら書きました。 その3つである1.布施 2.自戒、3.忍辱 というのは、具体的な状況に即して描けます。しかし、後の2つである5.禅定 6.智慧は精神の内容といった種類のもので、誰にでもわかるかたちで描くことの難しいものです。(4.精進は努力の継続、という意味なので具体的にもできます) ほとんどの日本人にとっ

          【真宗は“禅定”を仏教に必要ないことにしているのか?】(1)

          真宗は本当に “無戒“ の宗教か?

          浄土真宗は、普通の仏教宗派では必要不可欠な戒律がない宗派と言われています。 そのため戒律を受けて仏教徒になる、という意味での “戒名” がなく、“法名” をもらうことを持って仏教徒になったとします。 お葬式などで“何故真宗だけ法名って言うの?”と思われた方もおられるかと思います。 これは「末法で真実の持戒をしているものはいないので、それを救済の条件にすることはない」という宗祖の理解に基づいているところから来るのですが、それがために繰り返し「戒律や世間的な善悪など無視できれば

          真宗は本当に “無戒“ の宗教か?

          自分も人も次の門に入らせない僧侶

          【自分も人も次の門に入らせない僧侶】 今年のお正月だったかな? 『意識した言葉をつかう』というタイトルでnoteにあげた文章があります。宗門の大先輩が「人に伝わらない、ということはその事をその人が本当には理解していないという事だ。」 とおっしゃったことを引用した文章です。 その大先輩は「本当に自分が理解しているなら、日常使っている言葉の真意として言い直せる」という意のこともおっしゃっていました。 そんな事が記憶に残っている中、乃南アサさんという人気作家さんのエッセイに、※

          自分も人も次の門に入らせない僧侶

          【指が道路に落ちていた】

          【指が道路に落ちていた】 4月の終わり頃に、ニュースが耳に入り、耳をうたぐった事件がありました。 「埼玉県〇〇区で、道路に人間の人差し指の先が落ちている、という通報があり、警察が事件性があるか調べたところ、付近で荷物の配達員をしていた男が「昨日配達中に車のドアに指をはさんだが、大したケガだと思わず配達を続けていた。」と名乗り出てきました。」 という事件です。 私はビックリしましたが、それと同時にすぐに、2019年に観た『家族を想うとき』というイギリスのケン・ローチ監督の

          【指が道路に落ちていた】

          スマホ脳について

             【スマホ脳について】 少し前に話題になって、けっこうなセールスを記録した『スマホ脳』という本がありますね。 ざっくりまとめると、 “スマホは脳科学の知見を動員して作られた、中毒性のある機械である。健康に使うには相当なリテラシーがいる。” という内容でした。   この本でかっちり知ることになっていなくても、ネット系のものの依存性はみなさんもどことなく知っておられると思います。 私も気をつけていたつもりでしたがコロナ禍初期に軽くハマりました。    約3年前に松原みきとい

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          「中道」について考えたこと 】

          「先制防御」については、まだ言葉にできないことが多く、次回以降に先送りして、今回は自分の職業領域である仏教の言葉「中道」について考えたことを書きます。 「極端なことをさけ、中道にとどまる」は仏教の考え方としてよく耳にされるところだと思います。 「穏便なことを好めばイイんでしょ。」という解釈は論外として、この言葉を解釈するのにインドの八宗の祖である龍樹の「中論」を引用してきて論理学として述べる…というのも肌に合う人が多いとは思えないですね。 仏教の言葉は煩悩を減らして心を穏や

          「中道」について考えたこと 】

          先制攻撃について Ⅲ

          先制攻撃についてⅢ 「先制攻撃について」という続きもの文章で、前回『護道』という新しく確立された武道を紹介しました。 新しいと言っても術理は古武道のものなんですが、古武道がかなり穏健なものであっても相手をねじ伏せる、というニュアンスがあるのを、“相手を痛め付けるのではない”、というコンセプトののもと、練り直した武術で私は大変感動しました。 しかし、どうもこういう話しは単なる理想論に流れた感情的な話しなのではないか?と思われがちなのでちょっと技術的なところの解説をやってみよう

          先制攻撃について Ⅲ