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「竜宮城」から持ち帰るもの

 教職大学院の後期(秋学期)の授業は2月7日(水)に終了した。しかし、院生たちのなかには、その後も自主的に大学へ集まって勉強会を開くなど、学び続けている者が多い。

 総合教育実践プログラムに所属する「現職」の院生たちも、2月の下旬から3月の中旬にかけて週1〜2回のペースで「学びのまとめの会」を開催し、この1年間に学んできたことについて発表をしたり、意見交換をしてそれを深めたりする予定だという。

 教育委員会が主催する研修や学校内の授業研究会等には、どこかに「やらされ感」が伴うことが多い。けれども、この「学びのまとめの会」は違う。授業や単位とは関係なしに行われる、あくまでも主体的な学びなのだ。

 会の内容も大切だが、それ以上に「学ぶことの楽しさ」を味わい、「主体的に学ぶ姿勢」を身につけたことが、教職大学院で学んだ最大の成果だといえるのかもしれない。


 4月になると、「現職」の院生たちはそれぞれが所属する自治体などに帰っていく。
・以前の勤務校に戻る者
・新しい学校へ異動する者
・教育委員会の指導主事等になる者
 など、道は様々だろう。

 新年度になって、教職大学院で学んだことをすぐに生かせるとは限らない。理想と現実とのギャップに悶々とする日々を過ごす可能性もあるだろう。そのあたりについては、以前にも書いたことがある。

 多くの現職院生たちは、1年間の短期履修で教職大学院を修了し、在籍校を含めた元の自治体などに戻ることになる。それは「ホーム」に帰ると言っていいはずなのだが、
「かならずしも、そうだとばかりは言えない」
 という気もするのだ。

 昔話の『浦島太郎』を例に考えてみよう。
 浦島太郎にとっては故郷の村が「ホーム」、竜宮城が「アウェイ」だと言える。
 太郎は竜宮城で「越境学習(体験)」をし、本人の感覚としては「久しぶり」に故郷の村へ戻ってくる。

 ところが、竜宮城と地上とでは時間の流れがまったく異なっており、地上では数十年もの歳月が流れていたのだった。
 つまり、太郎が戻ってきた村は、彼にとっての「ホーム」ではなく「アウェイ」になってしまっていたのである。

 1年後に在籍校へ戻る現職院生たちの姿も、この浦島太郎に似ているのではないだろうか。
 院生たちにとって竜宮城に相当するのが教職大学院である。
 昔話と異なっているのは、彼ら・彼女らが戻る在籍校などの姿が1年前とはそれほど変わっていないことだろう。変わっているのは自分たちのほうなのだ。
 教職大学院での学びをとおして、新たな知識やものの見方・考え方などを身につけた院生たちにとって、故郷の村(在籍校など)が以前と同じようには見えなくなっている可能性が高い。言い換えると、「ホーム」に戻ったはずなのに「アウェイ」に越境してしまう可能性があるのだ。まさに二度目の「越境学習」である。

 そうなったとき、どのように行動をすればいいのか?
 そのヒントも、今後の教職大学院での学びの中でつかんでほしいものである。


「現職」の院生たちには、4月以降のために「玉手箱」以外の何かを持ち帰ってもらいたい。そして、もしかするとそれは「学びのまとめの会」のなかで見つかるのかもしれない。

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