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「個人主義」か 孤独か

ここでいう「個人主義」は 誤った個人主義のこと。
この個人主義と、孤独。
このふたつは 当たり前だけれど、絶対にごっちゃにしない。
「個人主義」を かっこいいと思っている人がいるけれど、誤った個人主義の行き着く先は 孤独ではなく 孤立。

孤独とは、静けさだ。じっと物事を見つめてる。そして、自分の心、自分の立ち位置、責任、今後のこと、たくさんのことを見ることができる。

そして、意外なことに、「個人主義」は騒々しい。落ち着きがない。ひどい時には、困ってる他人を茶化す。そして、その挙句に孤立しつつある人が、足掻くように自己主張する。

孤独を知りつつ 周囲と調和している人は大きな声やナイフのような言葉を使う必要がないから、穏やかな空気をまとっているのだ。

これは 自分の経験で思っていることなので、世間で言われていることとのずれはあるだろう。

自分がかつて勤めていた職場に戻った時、あまりに雰囲気が変わっていることに愕然とした。心温まる会話が一切消えていた。人を見下す言葉だけが響き渡って、他の人はすっかり口を閉ざしていた。もちろん、心も閉ざしていた。その後、同じく久々に戻ってきた、かつての同僚も、数ヶ月した時、唖然として言った。「間違った個人主義で満ち満ちている」と。

わからないことや困っていることを相談した人に、自分のことだけ一方的にしゃべったり、人に聞かずに、自分の思った通りに好きにやればいいのに と突き放した人さえいたのも 残念だった。かつては、こんなことなかったのに。以前は 仕事について、アイディアを出して、それいいね、やってみようっていうやりとりが日々飛び交っていたのに。もう、かつての 柔らかい空気で守られていたチームは そこにはなかった。

個人主義とは、チームで動かないことではない。たとえば、欧米の会社のスタッフが、自己の役割のみを果たすことでよしと思っているとしたら、それは違う。チーム内で、他のメンバーの仕事が終わらないということは、チームの初期設定である、役割分担に課題があることを意味するから、手伝ったり、体制を変えたりするという。
日本が輸入したと思っている個人主義は、利己的に近いところが 時としてあるのではないかと指摘する人もいる。この時、チームは破綻している。

そういう「個人主義」が極限まで達した時、周囲とのつながりが切れたことを知った「寂しい」人たちが、自己主張を始める。そういう人は、案外 それまで 人を助けてきていない。それこそ個人主義。したいとき、したいことならする、してあげることで、誰かに注目してもらえる、つまり得になることはする。けれど、そういうメリットがないときは、困っている人のことを、本当に 鼻で笑ってきた人だ。なのに、助けてくれる人がいないとき、周囲への不満を声高に叫ぶ。あるいは自分のやったことを声高にアピールする。「分かって。私のことを見て」と。こういう人は、実は 孤独を知らない。孤独を装って、実際は 人に構ってほしくてたまらない人たちだ。

チームを動かす、あるいは 一人でできない仕事をするという意識なくして、その場が抱えている問題を解決することはできない。
自分の成果の追求に躍起になっていながら、それを個人主義として、かっこいいものとするのは、何も生み出さない。

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