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そっちに行ってはいけないよ~魂のふるさとから離れずにいよう~

 とりとめのないことを書いているけれど、要は自分の心を守るために、日々、自分の心身や周りのメンテナンスが欠かせないという話。

「とりかえしのつかないことをする」ということの意味を 私はわかっていなかったかもしれない、と あるとき思った。人をだます、とか犯罪を犯すとか…そういった、してはならないことをしてしまうこと、それは、魂のふるさとから遠ざかるということだということなのだった。引き返す術をもたない舟に乗って。
 嘘つきは泥棒のはじまりだ、という言葉を、子どもの頃は「何を大げさな」と思っていたものだったが、やはり長い間言われ続けていることは、そこに一定の真理があるものである。

失敗してもやり直すことはできるし、やり直しのきかない世界は生きづらいなと思う。それでも、足を踏み入れてはいけない領域というのがある、と先人たちは様々な形で後世に伝え続けてくれている。

 何事も経験だというが、経験してはいけない世界というものが この世の中にはある。そっちに行ってはいけないよと おばあちゃんが、おかあさんが教えてくれたところには、やはり行ってはいけないのだった。

 ここまでは、行ってはいけないところに自分から行かないように気を付ける、という話だったが、自分では気を付けていても、いつの間にかそういう場所にいてしまうということもある。
 たとえば、日々の生活でどんな人と関わるか。人を傷つけることで、自分を満たそうとする人なんかは論外だが、人を批判したい、罰したい心をむき出しにしている人もやはり、人を利用して自分を満たそうとしているだけなのだと思う。
 最近、そういう人と接することが多かった。不可抗力で。そうすると、心の中にモヤモヤしたものがたまっていって、そして、自分の暮らす空間も埃のようなものがたまっていく。いつの間にか、自分の周りが「そっちに行ってはいけない」領域への入り口となってしまう。
 そう、「そっちに行ってはいけない」領域というのは、なんとこちらから足を向けなくても あっちから勝手に近づいてくるものなのだ。疲れから魔が差して、ふだんの自分ならしないことをしてしまったり、というように。

 どうしたら、そういう世界と無縁のまま生きられるだろう。

 小説や映画、あるいは実生活のなかで「なぜ、世の中には こういうことを平気でできてしまう人がいるのだろうか」と思わせる人を見たとき、その答えを探りたいという思いを抑えることができないことがある。その思いが、心理学や社会学、歴史の学びに、人を誘う。ただ、その誘いに導かれるとき、「学び」や「研究」の枠組みに守られている必要があるな、と最近思う。個人でうっかり足を踏み入れること、それは「そっちに行ってはいけないよ」という教えをやぶることになりかねないのだ。

 私は、何度か「答えを探りたい」という思いに 心をとらわれたことがあった。そして、不必要な?怒りを感じたこともあった。なぜ、こんなことをしても、この人は平然としているのだ、なぜ、こんなひどいことがこの世の中で生きるのだ、と。でも、そういう思いにとらわれること自体もまた、私の心を歪ませることになり、そして、魂を削ることになるのだと 最近実感している。

 結局は、自分にできることをコツコツと続けて、自分の進むべき方向を見失わずに生きること、そうして、自分の世界を創ろうとすることが大切なのかもしれない。それを忘れてしまいそうなとき、ふっと 暗い領域に足を踏み入れてしまうのかもしれない。

 長々と書いたけれど、これまで世界を紡いできた人たちの多くは、地道な生活の積み重ねこそが、自分を魂のふるさとにつなぎとめてくれるものだと知って、あるいは教えられて、生きてきたのだろうなと思う。

 きちんと寝て、食べて、部屋を整えて、その日の仕事を無理しすぎないようにがんばって、人との語らいを大切にして。そういうことを積み重ねることこそが本当の強さなのだろうなと思う。

 


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