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自分の走馬灯って何を見るんだろう

もしかして日本の未来に希望ないっていうのが世界的にもばれてない!?と思った。
日本に住んでる人は無意識に感じていて、
それがメディアやコンテンツに反映されている。
鬼滅、チェンソーマン、流行った漫画・アニメだとよくわかる。
みんな「普通になりたくて現実に立ち向かう」というテーマがある。

妹を普通の人間に戻したい、
普通にごはん食べて遊んで寝て起きての生活をしたい。
それが難しくて戦ってる。
共感を前提に作られているはずだから、
私たちもきっと普通にあこがれている。

私はK-POPが好きで推しもいて、
その推しが今売れまくって今やBTSの次くらいまできた。
しかもそのBTSも兵役の影響でグループとしての活動は少なくなってる今、
推しがK-POPひっぱってるんじゃねまである。

この前のアルバムは500万枚くらいうれてBTSの記録も抜いたらしい。
そんで昨日、日本向けの新曲が新しく出た。
タイトルが「今 -明日 世界が終わっても-」である。
MVのストーリーを加味すると
「地球滅亡の危機に瀕しても未来に絶望したり振り回されず”今”を大切に、楽しんで過ごそう」というもので
最後のカットはデカデカと「THE END」ってかいてある看板の前で集合写真を撮るというまじでオワリのやつだった。

私の最初の感想として「日本って海外からこう思われてるんだ・・・」である。
日本人に響くもの、共感するもの、今求められてるものがこれか・・・。
もう「希望のある未来」なんてのは幻想だから「今を楽しく生きよう」なんだ。

日本は災害大国というのもあるから
避難所とかのシーンはリアリティがありすぎて苦しかった。
ここで変にファンタジーされてもしらけてただろうし。

コンテンツやメディアの在り方を見てると自分たちの置かれてる状況や価値観がわかりやすい。
この前カラオケで最近流行りの邦楽バンドのMVをみた。
失恋系のやつで別れたけど忘れられねえみたいなかんじのやつだった。

付き合ってて幸せなころの自分が彼氏目線の画角で映像が流れる。
たまに今現在の別れた後の自分のカットもあるけど。

「え、少し前って”自分目線の恋人の姿”が当たり前じゃなかったっけ」

失恋系でこの手のMVはあるあるだとは思う。
より印象的だったのはKANA-BOONの涙。
失恋した彼氏が見た光景とか写真とかがMVでずっと流れる。
これは理屈としてわかる。彼氏が歌ってるしその人の記憶だよね。

先に話したMVの自分が失恋して自分の姿を永遠に回想するってなに?
頭の中でインスタしてんじゃねーよ。
付き合ってる時でも自分がどう映ってるしか考えてねーじゃん。
相手のことちゃんと見ろよ。自分に酔ってんじゃねーよ。
でもそれが今の当たり前なんだろうな。

推しのMVで流れる「幸せな記憶」部分は走馬灯説が濃厚らしい。
世界終わるけど楽しんでるなーって思ってたら
実はもう死ぬときで走馬灯でしたーwみたいな。地獄。

自分の走馬灯では何を思い出すんだろうか。

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