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不協和音(15)

華はそういう意味で城が出会った初めての「アーティスト」だった。

いくつかのバンドを経てきて城は自分より経験が多い人、技術的にもアマチュアとは思えない上手い人たちも何人か見てきた。それは単純に年齢としての余裕や人間的な厚みということもあった。ただ華から感じたそれはそれまでに城が見てきた「上手い」とは何かが違った。

華はいちシンガーではなく、楽器ありきでその衝動が発揮される歌うたいだったのだ。本人が言うように高音よりシャウトが強いということもスタジオに入ってから頷けた。彼女は英語を歌えるということを長所にしているのでは決してない。

その内面にあるものを忠実に吐き出す手段としてボーカルを選び、その表現の手段を一人ではなく楽器の厚みを加えることでさらに届くものがあることをわかっていた。 本人にその自覚があるのかどうかは知らない。ただスタジオでその威容を目の当たりにした城は、図らずも今回洋楽志向のバンドであることを感謝した。

洋楽に対して邦楽を下に見るような古臭い優越感ではない。プロほどの力量があれば違うかもしれないが、アマチュアのバンドで日本語詩を歌えば人はどうしても歌詞を追う。知っている曲であればなおさらだし、オリジナルの音源自体が世に知れたものであればコピーバンドは生演奏が加わったカラオケの延長上に聞こえるという現実がある。

さらにオリジナルの演奏はプロが行ったものだから、アマチュアがコピーしようとすればかなり思い切ったアレンジをするか忠実に再現するの二択しかないと思う。その点英詞を基にした洋楽であればCM曲でもない限り耳障りよく歌詞を追うことはできないし、声も一つの楽器足り得るのだ。それはシンガーではなく、文字通りバンドの一部となるボーカルに他ならない。

華の声にはそれだけの力があったし、それは図らずも城のベースに影響を与えた。このバンドでは洋楽のみの選曲ということが前提だったが、華が構わないということで女性ボーカルだけでなく男性ボーカルのバンドも選択した。

それだけでも十分幅が広がったが、邦楽ではあまり選択肢として挙げられないリフ主体の曲も成田と城の希望で入れることができた。今までのバンドで特に重要視されなかったベースの厚みがここに来てバンドの表に出せる要素になったのだ。

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