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うさぎ年の1月の記録

~ 銀座と 博物館に初もうで ~


1月も残すところあとわずかとなりました。
今月出会ったうさぎと、そうでないものの写真を添えながら、うつわのおはなしや そうでないことをおしゃべりしています。主に博物館で出会った作品についてです。3,000字を超える長文になりました…。



1.銀座のうさぎとケーキ


お正月に銀ブラをしました。
碁盤の目のような道路には、縦横にずらりと国旗が整列していて、これが銀座のお正月なのねって、ちょっぴり感動しました。



銀座の象徴とも言えるような4丁目の交差点。
和光のショーウインドーの中で跳ねるうさぎがかわいかったです。


お向かいの三越ライオンさんは、いい子におとなしく。。


この日は大好きな「和光アネックス ティーサロン」で、とびきりおいしいケーキを頂きました。


ケーキのお皿全体の写真は、現在「スキのお礼」に使用しています。和光の時計台がモチーフになっていて、素敵なんですよ。

#スキしてみて  笑




・・・


2、上野のうさぎと うつわのおはなし


先日、上野の「東京国立博物館」へ、ふらりと行ってきました。
敷地内の各館では いくつもの展覧会が開催されています。

本館
東洋館
表慶館
平成館
このほかにも複数の建物あり



本当なら、1日かけてじっくりと楽しみたかったのですけれど、私はこの日、朝夕と予定があって時間が限られていました。それでもゆったりとランチをして、2つの展覧会を観ることができましたので、大満足です。

ランチをしながら眺めた景色



楽しんだ展覧会のうちの1つがこちらです。

本日 1月29日まで。


兎に角、うさぎさんの作品ばかりが集まっています。


まず会場でお出迎えしてくれたのは、インパクトのある大きな壺です。中国・元時代のものだそうです。

黒釉兎唐草文こくゆううさぎからくさもん双耳大壺そうじたいこ


こちらは「掻き落としかきおとし」という技法をつかって模様が描かれています。
掻き落としとは、素地きじの上に異なる色の化粧土や釉薬ゆうやくなどを施し、工具を使ってそれを削りおとして模様を浮かび上がらせる技法です。
この壺は、薄茶色の土の上に黒い釉薬をかけ、模様以外の部分を掻き落とすことで、削った部分の土の色があらわになって うさぎの絵が浮かんでいます。
どこか素朴でありながら、黒い釉薬が輝いて美しい壺でした。


日本でも、複数の産地で、様々な組み合わせの掻き落としがつくられてきました。
代表的な例としては、桃山時代に美濃で作られた「鼠志野ねずみしの」が挙げられるようですが、私が以前に綴った小鹿田おんたの「飛び鉋とびかんな」も掻き落としの一種と言えるのでしょう。黒っぽい土の上に白い化粧土をかけ、鉋で削って模様を描くものです。

また、私が好きな有田でも、現在 稀に掻き落としが観られます。
けれど、有田(=伊万里※)のやきものは、白い陶石に 絵付師が “筆で・・” 絵を描くことで伝統を築いてきたのでは? というのが、うつわ好き素人の私見です。

※ 当初、有田の地で焼かれたやきものは、積出港の名をとって「伊万里焼」と呼ばれました。



展覧会にはその伊万里焼のうつわも展示されていました。
パンフレットの“顔”にもなっている大皿です。

染付水葵そめつけみずあおい兎図大皿うさぎずおおざら
江戸時代・19世紀

幕末の作品で、美しい染付そめつけの模様の上に、2羽のうさぎが立体的に装飾されています。このうさぎはなんと、型をつかって造形されているのだそうです。(筆じゃないじゃん!)
型を使用していることは、当日、博物館の主任研究員の方によるギャラリートークを拝聴して知りました。この技法を使ったうつわは、とても珍しいのだそうです。



そしてこちらは、中国の景徳鎮けいとくちんで焼かれたという作品です。
側面には、楽し気に唐子がうさぎと遊ぶ様子が描かれています。

青花せいか唐子からこ文鉢もんはち
明時代・嘉靖年間(1622~66年)

作品名にある「青花せいか」とは、日本でいうところの「染付」のことで、コバルトを主な原料とした顔料で描くものです。

また景徳鎮といえば、古くから栄える大きなやきものの産地です。その技術は日本やヨーロッパに多大な影響を与えました。日本の磁器発祥の地は有田ですが、世界の磁器発祥の地は景徳鎮ですので、順番でいえば有田のセンパイにあたります。
つけ加えれば、ヨーロッパについては日本よりも後輩になります。そんなこんなのおはなしを続けたいのですけれど、横道にそれて暴走してしまいそうですので、今日はガマンしましょう...。



この展覧会に展示されていたのは、やきものだけではありません。
やきもの以外のうさぎさんも記録しておきたいと思います。


私が一番、魅了されたのはこちらでしょうか。
武家の女性が火災時に着用するための「火事装束」です。

火事装束かじしょうぞく
紺麻地こんあさじ波兎なみうさぎ雨龍あまりょう模様もよう
江戸時代・19世紀



武家の火事装束とは豪奢ごうしゃなものだということは何かで知ったような気がしますが、こちらは豪奢でありながら、意匠がとてもキュートです。一目ぼれしてしまいました。
炎から身を守るため縁起をかつぎ、「波に兎」、「雨龍あまりょう」と呼ばれる水を呼ぶ模様をあしらっているそうです。

うさぎは水が苦手という説がありますが、日本では室町時代以降、江戸時代を中心に、うさぎが波に乗る姿が好んで造形化されました。(中略)月のうさぎが展開し、月影が白く水面に浮かぶ姿を、うさぎが波の上を走る姿になぞらえたのでしょう。そしてうさぎは波に乗り、火災を防ぐ火伏ひぶせの象徴ともなっていくのです。

【会場内展示パネルより】


「波に兎」の模様は、白波の立つ様を白うさぎに見立てるのが普通だそうで、赤いうさぎはめずらしいのだとか。



ところで現在でもよくモチーフにされる「月のうさぎ」は、古代中国の伝説からきているそうです。
うさぎがいているのは お餅ではなく、もとは不老長寿の仙薬せんやくだったのだのですね。無知な私は今回初めて知りました。

月宮げっきゅう八稜鏡はちりょうきょう
中国|唐時代・8世紀

左側に仙薬をくうさぎ、右側にはともに月に住むとされたヒキガエルがいます。



時代は下ってこちらは明治5年に描かれたという錦絵。 翌明治6年・とり年のお正月の様子を描いた作品です。

吉例きちれい 年礼噺ねんれいばなし


明治初期はうさぎが海外から輸入され、爆発的なうさぎブームになっていたとのこと。
その年の干支であるとりのもとを訪ねた うさぎさんが、「いやあ、忙しくて忙しくて、年始のご挨拶が遅れちゃってごめんなさいね。」みたいなことを自慢げに話している絵だそうです。
うさぎは洋装、鶏は和装。楽しい風刺画です。




長くなっていますがあと3つ、作品の写真を添えたいと思います。


豆兎蒔絵まめうさぎまきえ螺鈿硯箱らでんすずりばこ
江戸時代・19世紀

豪華な螺鈿らでん細工です。写真のアングルが悪くてわかりづらいのですが、硯箱すずりばこの蓋の裏が、鏡に映して展示されていました。
蓋の裏側にうさぎが隠れていたのです。



波兎なみうさぎ文象もんぞう嵌鐙がんあぶみ
江戸時代・17~18世紀

馬に乗るときに足をかける馬具です。こちらは鉄地に真鍮しんちゅうを象嵌して、波間を飛び跳ねるうさぎの姿をあらわしているそうです。
なんとなくわかりますでしょうか...。





金茶きんちゃ糸素いとす懸威かけおどし波頭形兜なみがしらなりのかぶと
江戸時代・17世紀|鉄製漆塗

波とうさぎを意匠にした変わり兜!  うさぎの耳がついていますね。
うさぎは動きが素早く、多産であることから、戦国武将にも好まれたそうです。



と、展覧会では何枚もの写真を撮らせて頂きました。
ありがたいことに、「撮影禁止」とされている数点の作品以外はすべて、撮影が許可されていたものですから… 夢中になってしまいました。
他にもまだあるのですけれど、ここまでにしたいと思います。

今日の写真は、すべてスマホ撮影でした。






おしまいに。

昨年末に意を決して受験した検定試験に、やっと、なんとか合格をいただきました。(1月のハッピー。)

受験当日の私的な記事にスキをくださいました方、エールをお送りくださいました方に、心から御礼申し上げます。とてもとても励みになりました。

ここからが、またはじまりです。




「まもなく“立春”です」とは言い難いほどの寒気が肌を刺します。写真からちょっぴり陽のぬくもりを感じて頂けましたら幸いです。
どうぞあたたかくしてお過ごしください。


博物館庭園の風景


最後までご覧くださいまして、ありがとうございました。





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