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いとしのプー ~ プーが伝えてくれたこと ~


私はプーに首ったけです。

子どもの頃に、児童小説『クマのプーさん』『プー横町にたった家』を何度も何度も読み返しました。
A・A・ミルン(著者)と E・H・シェパードに(挿絵)によって表現されたプーの世界は、この上なくあたたかく、ほろほろとしたやさしさに溢れています。

私は英語が苦手なくせに、少し前に 原語の本も購入して もうウットリ。
オトナになった(なり過ぎた)私が、本屋さんのバーゲンワゴンで 洋書のプーと出会うという偶然。それはきっと必然だったのだと感じる日々です。
これらの本のことは、少し前に「いとしのプー ~Book編~」というタイトルで綴りました。
たくさんの スキ♡ を頂きまして、プーともども喜んでおります。


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著者:Alan Alexander Milne
挿絵:Ernest Howard Shepard


[英語版(原著)]
♢『Winnie -the- Pooh』
♢『The House at Pooh Corner』 
EGMONT BOOKS
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[日本語版]
♢『クマのプーさん』
♢『プー横町にたった家』 
岩波少年文庫・石井桃子訳


私が子どもの頃に読んでいたのは、上記2冊の合体版。

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♢♢ 『クマのプーさん プー横町にたった家』岩波書店・石井桃子訳

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私はその投稿の最後で、
“次回は、映画『プーと大人になった僕』を観たときに感じたことを書く! ” という宿題を自分に課していました。

ちょっと間があいてしまいましたが、今日はその宿題を つらつらと綴りたいと思います。
後述しますが、“映画を観て感じたこと”は、結局、子どもの頃に読み返していた本の中のプーに通じることばかりでした。



私は2年前のある朝に、映画館でこの映画を観ました。

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この作品は、ウォルト・ディズニー・カンパニー制作の実写映画。
ディズニーのアニメシリーズ『くまのプーさん』と、私が好きなA・A・ミルンの児童小説『クマのプーさん』の両方を原作としているそうです。
私は前者はほとんど観たことがありません。(!)
ですから、映画とアニメシリーズとの物語の関連性はよくわからないのですけれど、映画の中のプーは、私が子どもの頃から愛してきた本のプーと同様、果てしなく可愛くて愛おしくて、抱きしめたくなるようでした。

年月を経て展開されたプーの物語に 最初から最後まで引き込まれ、とめどなく涙が溢れ出た私です。

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もちろん、感涙したのは悲しかったからではありません。
じゃあ、何の涙だったの?というと、一言では言えないのですけれど…。
だから一言では言いませんけれど。


映画の中で、僕=クリストファー・ロビンは、すっかり “働く大人”になっていました。
一方でプーはというと・・・
私が子どもの頃から知っている本の中のプーと どこも変わっていなくて、
お茶目で 無邪気で 天真爛漫で、
春風のように あたたかくて、
ハチミツ命の食いしん坊で、
ちょっと(かなり?)おバカさんで、
それでいて 時に果敢で勇敢で、
どこまでも どこまでも純粋で…
そして気づいてみれば、子どもの頃の私には認識できなかった さらなる魅力を持っていて。

プーはこんなに素敵な生き方を、子どもだった私に見せてくれていたのかと気づいて、プーへの愛しさが はらはらと溢れ出た。
ということかもしれません。

私は映画を観ることで、本の中のプーから かけがえのないものを享受されていたのだと気づき、
また一方で、そのプーから 受け取れなかったものもあったのではないかと思ったのです。

つまり、私はスクリーンに映し出される映像を通して、記憶の中にある児童小説の中のプーを観ていたということ。
さらに言えば、プーを いつくしんできた “私自身” を見ていたということなのかもしれません。

そう。思えば 私は、プーに 自分の人生を重ねて見ていました。
“大人になったクリストファー・ロビンに” ではなく、相変わらずのプーにです。

・・具体的にプーのどんなところを自分と重ね合わせていたのかという肝心なことは、ちょっぴり恥ずかしいので控えたいと思います…。



その代わりと言ってはナンですけれど、
映画の中でとくに印象に残った 純粋無垢なプーのことばについて、3つほど綴ってみたいと思います。

私の中で、本の中のプーと繋がっていることばです。


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「なにもしないをする」

映画の中で何回か、プーが、クリストファー・ロビンに語った言葉です。
『大人はよく "やれば何でもできる”って言うけど、僕はいつも “なにもしない”をするよ』
『“なにもしない”は 最高のなにかにつながる』
というようなセリフでした。

この人生哲学ともいえそうな言葉は、本の中では プーが語ったものではありません。
子どもだった クリストファー・ロビンが、プーに語っていた言葉です。

(森の中で、プーとクリストファーが二人っきりで話をする ラストシーンに迫る箇所。「世界中でいちばん、どんなことをするのがすき?」というクリストファーの問いに、プーが プーらしいお茶目で素敵な答えを言ったあとで)

「ぼくも、そういうのはすきだ。」と、クリストファー・ロビンは言いました。「だけど、ぼくがいちばんしていたいのは、なにもしないでいることさ。」
 プーは、ずいぶんながくかかってかんがえてから、ききました。
「なにもしないって、どんなことするんです?」
「それはね、ぼくが出かけようと思ってると、だれかが『クリストファー・ロビン、なにしにいくの?』ってきくだろ?そうしたら、『べつになんにも。』っていって、そして、ひとりでいって、するだろ?そういうことさ。」
「ああ、そうか。」

(- 森の中で二人が手をつないで歩く挿絵。 見開き2ページ。-)
「ぼくたちがいまやってることが、なにもしてないことさ。」
「ああ、そうか。」と、プーはいいました。
「ただブラブラ歩きながらね、きこえないことをきいたり、なにも気にかけないでいることさ。」
「はあ!」と、プーはいいました。

『プー横丁にたった家』(岩波少年文庫・石井桃子訳)pp257-260
  ”I like that too,” said Christopher Robin, “but what I like doing best is Nothing.”
  “How do you do Nothing?” asked Pooh, after he had wondered for a long time.
  “Well, it’s when people call out at you just as you’re going off to do it, ‘What are you going to do, Christopher Robin?’ and you say ‘Oh, nothing,’ and then you go and do it.” 
  “Oh, I see,” said Pooh.
  “This is a nothing sort of thing that we’re doing now.”
  “Oh, I see,” said Pooh again.
  “It means just going along, listening to all the things you can’t hear, and not bothering.”
  “Oh!” said Pooh.

『The House at Pooh Corner』 pp201-204


ただブラブラ歩きながら

きこえないことを きいたり

なにも気にかけないでいること。

これがクリストファー・ロビンが定義づけた「なにもしないをする」ことでした。
プーは「はあ!」と言って、理解したのでしょう。

そうでした。
本の中のプーは、ただブラブラと森の中を歩きながら 自然をいつくしみ、
蝶や鳥の言葉を聴き、ある時はその場にはいない友の声を心で聴き、
そして余計なことは何ひとつ気にしてなんかいませんでした。

きっとプーには、何もしないからこそ見えていたもの、感じていたことがあるのでしょう。
それは、プーがプーらしくあることに大いに役立ち、
そしていつだって誰かの心に届く “ぬくもり” となってあらわれていたように思います。
怒りや苦しみなどという感情とは無縁の プーの世界は、「なにもしないをする」ことから生まれたのかなぁとも。


本の中では上記の引用部分のあと、「なにもしない」についてクリストファー・ロビンの話は展開し、あたたかなナミダのラストシーンとなります。
それは映画のプーのことばに繋がることだと思うのですが、ここではヒミツにしておきます。


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「それは風船よりも大切なもの?」

映画の中で仕事に没頭するクリストファー・ロビン。彼が持っていた 大切な書類に対して、プーが問いかけたことばです。
まっすぐな瞳で問いかける プーのこの言葉に、ハッとしたのは私だけではないと思います。


プーにとって風船は、自分や周囲を笑顔にしてくれるものであり、持っているだけで幸せをもたらしてくれるものであり、自分にとってかけがえのないものなのでしょう。

どんなときも自分にとっての価値を見失わないのが、プーなのです。


ちなみに本の中で風船がでてきたのは、プーが木の上のハチミツをとるためにぶらさがって空を飛んだ場面です。
映画では赤い風船を手にしていたプーですが、本では“青”でした。めちゃくちゃ可愛い戦略があって、青い風船を選んだのです。
内容は割愛しますけれど、その本の世界を思い浮かべれば、映画の風船も青であってほしかったなぁと思います。
・・でも映像的にはきっと赤のほうが絵になるのでしょうね。


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「考えるのが下手」

映画の中のプーは、「ぼくは考えるのが下手だから」と、何度か口にしていました。

本の中のプーもそうだったな、と。
本には、何度も “頭のわるいクマ” というフレーズがでてきます。
プー自身も、「ぼくは、とっても頭のわるいクマなんだ。/  I am a Bear of No Brain at All.」などと言うこともありましたし、何か考ついたあとで、「でも、まちがってるかもわからない。/ But I don’t suppose I’m right.」と、憂えることもありました。
それでもプーは、自分なりに健気に考えようとします。

ただ、懸命に考えても解がでなかったり、ちょっとマヌケだったりするのが常なのです。
いつも本当に、おかしなことをしでかしちゃうプー。(それが可愛いのだけれど!)
でも。コブタは言いました。

プーってやつはねえ。プーはあんまり頭は、いいほうじゃないさ。でも、けっして、へま はしない。プーが、なにかばかなことをすると、それが、ばかなことでなくなっちゃうんだ。

『クマのプーさん』 p198
  “There’s Pooh,” he thought to himself. “Pooh hasn’t much Brain, but he never comes to any harm. He does silly things and they turn out right.”

『Winnie -the- Pooh』P154

プーが考えることはマヌケなのだけれど、一途で一直線。なぜか結果的には ばかなことではなくなるのです。
そして、ばかなことではなくなったときの、プーの照れるしぐさや、一瞬にして目を輝かせる様子には キュンとします。それはきっと、プーが純真な心で感じている喜びや、自己効力感、貢献感のあらわれなのだと思うのです。


本を読み返して思いました。 
プーは本当に考えるのが下手です。
プーはそれを自覚し、
でも下手だからといって 決してあきらめることはなく、
突拍子もないアイディアを思いついて 毅然と…ときに後先考えずに行動し、
自分で考えてもムリだと思えば周囲に意見を求め、教えを乞い、
そうやって、いつだって困難や悲しみの中にいる友だちのために(あるいは自分がハチミツを手に入れるために)たちむかう、勇気凛凛のクマだったのです。

原動力は、好奇心や ほとばしる貢献心、そして食欲!
気づけばいつも自分を大切にし、相手をおもんばかって 思考しています。
そして ちゃんと、自分の担える役割を考えていたプーなのです。



著者の「まえがき」には、こんなことが書かれていました。

(プーと違って とてもちいさなコブタは、クリストファー・ロビンのポケットに入って、よく学校へ連れて行ってもらいました。授業を聞いていましたから、コブタにはプーよりずっと教育があります。という内容の説明に続き)

「でも、プーは気にしてなんかいません。頭のある人もある、ない人もある、と、プーはいいます。それが世のなかなのです。」

『クマのプーさん』 まえがきより
but Pooh doesn’t mind. Some have brains, and some haven’t, he says, and there it is.

『Winnie -the- Pooh』 Introduction





この他にも、本とつながった言葉やシーンはたくさんありました。
でも長く長くなりそうですので(すでに なっていますので…)、このへんにしておこうと思います。


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前回書いたように、私はただプーが可愛かっただけではありませんでした。本を大切に抱えて読み返したその時間に、私はわずかながらも想像力を培い、プーの世界の ものの見方や価値観を子どもなりに受け取っていたように思います。
大げさかもしれないけれど、プーの世界に入り込み夢想にふけったあの時間がなかったら、私の人生は違うものになっていたのではないかとさえ思うのです。

プーが伝えてくれたこと。
今回、箇条書きにしてたくさん並べてみようかとも思ったのですが、やめました。
せっかくプーが素敵なことを教えてくれたのに、考えるのが下手な私が陳腐な言葉を並べれば、それはちっとも素敵なことに見えなくなってしまいそうだから。
これまでの引用などで、ちょっとでも表現できていたらよいなぁと思います。


今、本を読み返して改めて
いとしのプーへ たくさんの感謝を。
示唆してくれたことのうち、いったい いくつのことが私の中に芽生え、生きたのかはわからないけれど。。
森に咲く花々や日だまりを観ると、いつもすぐに歌をつくり、うららかに歌い歩くあなたの影響で、
私はすこぶる のん気に生きています。


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おわり。






― あとがきの かわりに ―


今回 載せた挿絵のページ
著者:A・A・ミルン /  挿絵:E・H・シェパード
『Winne –the- Pooh 』 p184


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大雨の時にコブタを救ったプーのために開かれた “プーの慰労会” で、クリストファー・ロビンからのプレゼントを受け取ったプーの様子。みんなが「早くあけて」と せがんでいます。

プーは、なかを見たとき、もうすこしでころぶところでした。そんなにうれしかったのです。それは、特製えんぴつケースだったのです。そのなかにはベア(クマ)というしるしに、Bの字のついたえんぴつや、ヘルプフル・ベア(役にたつクマ)というしるしに、HBのついたえんぴつや、ブレイヴ・ベア(勇敢なるベア)というしるしに、BBのついたえんぴつなどがはいっていました。

『クマのプーさん』 pp185‐186
When Pooh saw what it was, he nearly fell down, he was so pleased. It was Special Pencil Case.
There were pencils in it marked “B” for Bear, and pencils marked ”HB” for Helping Bear, and pencils marked “BB” for Brave Bear.

『Winne -the- Pooh』 P184


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ー 最後までお読みくださいましてありがとうございました。ー




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