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不安は9割捨てました


仕事と不安

・「もっとふんわり盛れ」とか言われて、「ふんわりってなんだろう?」みたいな(笑)なにが違うのかサッパリわからない。

・何度もやらされた挙句、「もういい!お前はご飯もるな!」と諦められました。

・とにかく全然仕事ができなくて、親や他のみんなはどうしてあんなに普通に働けるのか。雇い主から見ても、からきし使えなくて腹立たしかったとだろうと思う。

・そこしか職場を知らない私は。無能なんだからここを辞めても他に行くところなんかない、とすっかり信じ込んでしまいました。


不安なのは誰のせい?

他人との関わりがなかった頃は不安ではなかった。

・私が私であること自体が不安に原因ではなかったんだなあ、と思います。

・私ははじめからそういう人間なわけで、それをダメだっていうのは私ではなく、いつも他人から始まっていた。

・他人との関わりがなかった頃は不安ではなかったんですから。


外側の期待通りにできないとき、叱られたり殴られたりして洗脳されていく

・自分という人間が、親や他人や社会の期待通りにできないとき、叱られたり殴られたりして「自分はダメなんだ」と洗脳されていく。

そしてだんだん、自分のやりたいことや、思ったことに先をして蓋していくようになる。


そこがダメでも世の中には、いろんな場所がありますから。

子供の頃って圧倒的に知識や経験が不足しているので、一つにパターンが全部と思うこみがちですよね。そんなことないですからね。

・そこがダメでも世の中には、いろんな場所がありますから。


とりあえず自分のせいじゃないことにしておけばいい。

・不安に支配されて、人生がなんだかうまくいかないとき、まずはあまり深く考えず、いいとも悪いともジャッジをせず、とりあえず自分のせいじゃないことにしておけばいいんです。


不安な世界から逃げる

「こんなのなにかがおかしい、絶対におかしいはずだ」という違和感

・それでも抜け出すことができたのは、私が違和感に対してしつこい性格だったからかもしれません。

・贅沢をしたい訳でもない、フツーに生活したいだけなのに、こんなに毎日働いても苦しいなんて‥。

・「これが当たり前なのかなあ、」と思いながらも、心のどこかでは、
「こんなのなにかがおかしい、絶対におかしいはずだ」という違和感を、親の仇のようにずっと持ち続けていたんです。


冷静な判断力が鈍っている時に重大なことを決めない方がいい

・同世代の他の人たちは普通に年金も払えているのに、私は1円も払えてない。
全然稼げてない。自尊心はウナギ下がり。

・どうやって立ち向かったというと、全く立ち向かっていません。
解決もしていません。ただ、すたこらさっさと逃げたんです。

・価格破壊アパート(2万8千円)に逃亡。引っ越ししてから2年くらい試行錯誤の末、週休5日に。

・不安でいっぱいの時って、思考の幅が狭まる上に、発想がものすごくネガティブになりがち。

・なんだかよくわからないけど不安で仕方ないなら、とりあえずそこから離れてみよう。


逃げてみて、わかったこと

社会が求めてくる「フツー」の水準ってえらい高かったんだなあ。

・そこに合わせて自分をダメ人間とか思う必要は全然なかったんだ、とわかったんです。


その時は、何も分からなくてもいい

逃げる時のポイントは、他人にわかってもらおうとしないこと

・他人にわかってもらうのを待っていたら時間がかかる
・その間に人生手遅れになっちゃたら、悔やんでも悔やみきれない。

逃げる時は自分を説得する必要さえない

・自分を説得させようとするときって、大抵自分の中にいる他人(親や知人、世間とか)を黙らせるためにやっていることがほとんどです。

・説得はできるかもしれないけど、時間が勿体無い。


理由がないと逃げてはいはいけないということはない

・不安でいっぱいの時に、逃げたあとのことを考えるのも、正常な判断力が欠けていますから。とにかく不安を軽減するのが最優先。

・そこにいると不安だから逃げる、まずはこれで大丈夫。

・理由が欲しかったら、とりあえず外野のノイズが入らない安全地帯に避難してからでもいいんじゃないでしょうか。


それ以降、人生の舵を自分で握ること

・自分がどう生きたいか。何が正しく何が間違っていて、何を信じればいいのか。

・もっと具体的にいうと、自分が生きていくのには本当はいくら必要か。
・そもためにはどんな風に働き、あるいは消費すればいいのか。
‥‥そう悩んだ時に不安は漬け込んできます。

それを拒否して、自分の舵を自分で握った時に、本当に人生が始まった。

・社会(もしくは親)が用意した生き方を何の疑問を持たずに受け入れれば、居場所は与えてやろう。でも自分で考えて決断していくのなら、お前なんかしらん。ーと脅されている気分になるのではないでしょうか。

・人生の決断を人任せにしている人は、結果に責任を感じることをやめてしまいます。人生が得なくいかなかったことを自分以外の何者かに背をわせていた。


私は、目指すべきは「自分の好きなように生きる」

・オリンピック選手(そんな天才)と比べるな!製造元の責任を問え!

・「好きで好きで熱中しちゃって、ただやっていた」みたいな好きがないからと言って、自分をダメだと思う必要は一切ありません。(P83)

・私は、目指すべきは「自分の好きなように生きる」のであって、それは「自分の好きなことをして生きていく」とは、微妙に違うと思います。(P83)


「で、それは経済的にどれだけ貢献するんでスカ?」みたいな話がくっついてくるのが謎。

・なんで好きなことでそんなにお金を稼がないといけないのか。
どっちでもええがや。(P84)


「人生で絶対やりたくない事があって、それだけしないで生きていく!」
など広義的な意味がある。

・「好きなように生きる」とは、
「そこまで好きなことは特にないので、このままで満足」
「人生で絶対やりたくない事があって、それだけしないで生きていく!」
など広義的な意味がある。

・じゃあ私のなやりたくないことは何かというと、
「どこのど誰が何の為に作ったのかわからないジョーシキに従うこと」。
この中に「みんな一律で週5日働くこと」も含まれる。


誰が何のために作ったのか理解でき、納得できるなら、割と素直に採用する

・世間では当たり前だからではなく、じぶんの実感というフィルターを働かせて選び取ったもって実はすごく少ない。それを自分の世界に増やしていくこと。

・おごりでも謙遜でもなく、ただ、「私はそれは違うと思ったので」と言って、当たり前とされる生き方や考え方を拒否すること。

・自分を生きるための「スタート地点」に立つことから、始めます。


自分を生きても大丈夫と上書きする

原因となっている「不安」を取り除くことが先決。

・自分を生きることを始めるときに、残念ながらマイナス地点からスタートしなければいけない、という人も意外と多いのでは。

・私の場合は、「自分を生きていると殴られるかもしれない」という身体的な痛みを伴う不安が強いようでした。

・「自分を生きること」に対して、心の中強力なブレーキがかかってしまう場合あ、その原因となっている「不安」を取り除くことが先決。


不安な状態=ネガティブな思い込みからその様に世界を見るくせがついている状態

・「自分の好きな様に生きても殴られない」のだ、と言う、記憶の上書きをしていく作業だった。

・日々、絶え間なく殴られていると言うのは、終わりのない嵐の中で「自分をやっていく気力」を溜めている容器が破壊されてしまい、せっかく溜めておいた気力が、そこからすごい勢いでこぼれ落ちていくような感じ。

・そして、嵐の中で容器を修繕しても、また破壊されるというのがしばらく続くと、もう修復するのをやめてしまう。

・もしかすると嵐が過ぎ去った後も、直したってまた壊されるんだろうな〜と思い込んでいるし、そもそもそんな気力も残ってないから「自分をやっていく力」は垂れ流し状態。

・こうして自分を生きることがどんどん後回しになってしまう。


軽い気持ちで期待を低くして、ネガティブな思い込みを1回やめてみる

・ポイントはまず嵐が過ぎるのを待つこと
・嵐の中で「自分を生きる」事をしても結局、吹っ飛ばされれ心が折れてしまう。
・もし運よく嵐が一時的に病んだら、可能な場合できるだけ安全な場所に逃げよう


一気に直そうとしなくて大丈夫。

・一気に直そうとすると、おそらくネガティブな思い込みを守りたくなるような衝動に駆られると思います。

・それはそれでいいんです。
たとえネガティブな思い込みでも、長い間、一緒にいたんですからね。


「自分で納得して手放したんだ」と思えることが大切。

・手放すのが不安になるのは自然は感情だと思う。

・ネガティブでも何でも、「誰かに強制的に捨てさせられた」様な形になっては意味がない。

・「あれ?最近誰も殴ってこないな」と上書きできた時、ちょっとだけ息がしやすくなってくる。そう思えたらしめたもの。
ずいぶん遅くなってしまったけど、ここから少しずつ「自分を生きる」を初めて見よう。


諦めさせる圧力は無くならない

・残念ながら大人になっても嵐の様な圧力は生じる。
・でも、記憶の上書きができていれば、ほんの少しずつではありますが、動じなくなってくるので、大丈夫です。


生まれた時はみんな何も持っていない存在。

・そこから名前なり言葉なりを獲得して、だんだんアイデンティティーを作った。

歳を取ると言うことは、知らないうちに身につけた「自分」をもう一度手放し、誰でもない存在に戻っていく過程のことかも。

・どうせ元々に誰でもない状態に戻るのだから、「自分」を増やしたり、大きくしたりすると、後々めんどくさそう。

・だから「自分」もせっせと断捨離。(笑)
功成り名を遂げんでもよし。

・周囲なんて困惑させとけばいいじゃにですか。


「ない」がある

・There is nothing=「(何もない)がある。」
・I have no money=「(お金がない)を持っている。」


自分の家族がどうなのかを、今ずぐ判断しなくていい

家族っていろんな時期がある。

・家族は一番近くにいる他人で、たまたま血が繋がっているだけ
・愛さなければいけないなんてしんどいですよね。

・愛せなかったら、愛せなかったなりの何年という家族mになるだけ。
・世間の普通とは違うかもしれないけど、私たちはそういう風に家族をやってきたのだな、と最後に思えればいいのだと思う。


ポジティブな要素を増やすとしたら、まずは自分が自立して楽しく生きる

・完全に自立が難しい場合じゃ「これは自分でできる」ろいう分量を、家庭内で徐々に増やす。

。まずは自分のことを十分に生きましょう。


人間って、そんな綺麗なだけの生き物じゃない

・ああ、これは誰のせいでもない。世の中には相性ってもんがあって、こん人の前ではなぜが自分の暴力性や加虐性が引き出されて、意地悪でいや〜な奴になってしまう、という事があるんだ。

・一挙手一投足がイライラする、嫌いなのに気になってしょうがなくて目が離せない。そういう相性の人だったんだな、と。

・私にも身に覚えがありました。学校や職場で、正当な理由もないのになぜかこいつだけイライラするな〜っていう人いましたもん。
全員に嫌われているのではなく、私だけがそいつの事を嫌い。

・たまたま同い年だったから何もなかったけど、私の立場が「ちょっと上」だったら、無意味にいびったりとか、しなかった保証はどこにもない。


この世界にはいいことも悪いことも両方あって、人は皆、その人が見たいように世界を見る

広い世界に出ている方が偉いとか、小さな世界に閉じこもっているからダメだという事もない

・どうやら世界は、それ自体は良くも悪くもなくて、私が世界をどの様に見ているかをそのまま返してくるっぽい。


思っていないことを言動に移す事は、自分が自分の言動の価値を薄めている事になる

・普段から周りを優先したり、不安に突き動かされて思ってないことばかり言ってる人に、説得力はない。

・すると当然、自分が話す時は誰も耳を貸してくれない。
・行動を起こす時もサポートしてもらいえない。

人間はDNAレベルで集団を志向する様にできている

・周囲に合わせることは生存戦略
・しかし、昔の様に常に集団で生活しなくても社会は成立する様になった。

何も思ってないのに「いいね!」しない。

・こんな小さなことからでも、自分の言動に力を蓄え、自分の世界を守っていく事ができると思う。

せめてその時感じたあなただけの違和感を、なかったことにしないで。

・それも叶わない場合は、せめてその時感じたあなただけの違和感を、なかったことにしないでほしい。

・すぐにその正体が分からなくても、ずっとモヤモヤ考え続けるな事が、いつか自分が自分になっていくための道筋を示してくれる。


自分の世界の最高決定者になる

・なんで誰かが勝手の作った主観的世界のシナリオにこっちが付き合わされなきゃいけないんですか。

・自分で作ったルールなら失敗して責任とれるけど、他人が決めた主観的世界のルールに従って私がこの一度しかない人生を失敗したら、どう責任をとってくれるんですか。

・だからせめて、自分は何が本当に幸せで、何が本当に意味がある事なのか、そのくらいは自分で判断していこ。

・主観的世界の大きさや形は、自分で決められる。
・他人ではなく、自分が最高責任者になる。
・自分の大切な人生・時間・お金・気持ちを他人に奪われないために。


【実践編】不安をなるべく増やさなで生きる

心と体をいい状態に保っておく事で、振り回されることは減らせる

・不安は自分の状態を関係がある

・「この不安は対処すべき/放っておいてもいい」の的確な判断ができるのは、たいてい心と体がいい状態のとき。

・いい状態を保っておくことで、少なくとも不安に振り回されることは減らせる

合わない場所からでる

・人は合わない環境にいると確実に弱っていく。
・場所が悪いわけじゃなく、場所と自分に相性っていうのがある。


相性が合わない場所を見分ける目安

・ちゃんとご飯も食べれているし、病気もない
・にもかかわらず、何となく毎日が不調
・何をしていても楽しくない
・生きていこうと思えない
・明るい未来を描けない
・無力感だけは売るほどある

合わない食べ物は避ける

・人にはそれそれ、合わない食材・調理法・食べ方がある
・食べるという行為は、実は結構体力を使う。

隠居生活10年目-不安は9割捨てました-大原-扁理

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