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noteで書く小説①

高田純子の前のめりなひと月

 noteに投稿していた小説を書き終えました。
 6月19日に『千の人生を生きる』という文章を投稿して、「創作大賞に応募しようと思って書き直していた作品が長すぎるので、四万字弱の未完作を加筆修正します」と書いているので、一ヶ月弱で完成したことになります。

 この一ヶ月、私にしては珍しく、前のめりの日々でした。
 とにかく、前のめったり、努力したりするのが苦手なんですね。何かに真面目に取り組んでいたのって、初就職後の二年と、妊娠期間ぐらい?(妊娠期は適当にやっていたら、人命にかかわるので)
 職場では高田純子テキトー女と呼ばれ、大学に入学した時には、隣の席の子が「高二までは成績が全然上がらなくて……三年の夏あたりから、手応えを感じ始めたんだー」と話すのを聞いて、驚愕したものです。手応え? 私の辞書には、そんな言葉はありません。

 特に、小説を書くことは、気分転換&ストレス解消&お金のかからない娯楽だったので、前のめりとは正反対の、まったりとした気分で続けていました。百%自分のために書いていたので、完成もせず、後で読み直すこともなく。
 それが、去年の秋に突如、「太宰賞の締切、一ヶ月後だ。応募してみよう」と思い立ち、それまでとは違う気持ちで書き始めたわけですが、違う気持ちといっても、今思うと、「完成させないと、応募できないから、ちゃんと最後まで仕上げなきゃ」と考えた程度でした。創作日記にも書いたように、「一次選考通過したらいいな〜」とぼんやり憧れていただけなので、「他人に読んでもらえるものを書く」という視点には立てていなかったのです。
 そんな呑気な気持ちのまま書き始めたので、仕事や家関係の時間どころか、読書やnoteに投稿する時間さえ削らず、普段はネットの雑記事を読んでいた通勤時間を小説を書く時間にあてただけでした。
 

 でも、今回の作品はnoteに投稿するわけです。「フォローしている方々の中でも、自分でも創作に興味をお持ちの数人の方には読んでもらえるかも」と考えていたので、「自分の時間を割いて下さる方々のために、少しでもマシな作品にしたい」という気持ちがありました。
 まあ、note自体が「読み手」を意識せざるを得ないプラットフォームですよね。スキとかフォローとか。スキやフォロー数は気にしていませんが、「ステキな読書感想文を書いている方々に私の感想文を読んでもらいたいな」ぐらいの自意識はあるので、これまでも、「阿りはしないが、読みやすく、自分らしい記事を書こう」と心がけてきたつもりです。

 感想文とは違い、自分の創作では、元がアレなので、「マシな作品」といっても、たかが知れていますが、自分比で少しでもいいものを書きたいと思い続けていました。
 時間的にも、今回は家での空き時間をリライトにあて、noteも応募作の投稿だけに絞り、この一ヶ月間は、小説を書くことが「趣味の一つ」ではなく、「主な趣味」になっていた気がします。
 賞をとるために、前のめっていたわけではなく……それは全く期待していないので。途中選考に残ることさえも。今の私のレベルは「地方文学賞なら、作風が合えば一次選考を通過するかも」程度なので、途中選考=最終選考であるらしいこの賞のレベルには達していませんし、カテ違いだし、その他諸々。
 最初は読んで下さる方々に無駄な時間をつかわせたくない一心だったのが、途中からは自分自身のために、少しでも良いものを書きたいと思うようになっていた気がします。

推敲

 さて、フォローしている出雲太さんがこんな記事を書かれていました。

 出さんも、今回、創作大賞に応募なさったのですが、小説の書き方本に「作品は推敲すべし。時間をおいてからの方がなお良し」と書いてあるが、締切まであと四日しかない……という話です。

 推敲については、私も、太宰賞に応募した後で、noteで同じような記事を読み、「締切一ヶ月前に書き始めた自分って……」と呆然としたものです。
 結果的に一次選考は通過できた……たかが一次ですが、私の中では、二十年ぶりに完成させた作品が、103/1246に入ったことはとても大きくて、それがなければ、今回、自分の創作をネットに投稿するなんて、恐れ多くてとてもできなかったと思います。
 なので、「あの時は、推敲もせず無謀にも応募して良かった」という気持ちもあるものの、今回、noteに作品を投稿してみて、推敲がとても大事であることを、自分でも身をもって理解しました。
 
 書き終えてから時間を置いた方がいいという点については、今回の作品は数年前に途中まで書いていたものなんですね。数年ぶりに読み直すと、ばっさり切り捨てなければならない部分が見えてきて、今後の参考になりました。
 この「ばっさり切り捨てる」技は、noteでの経験が生きたのだと思います。書きたいことはあふれるほどあるのですが、全部書いてしまうと、まとまりのない文章になるということは、noteを始めて数ヶ月した頃に、何となく見えてきました。

 今回の創作では、例えば、主人公以外の人物のエピソードをばっさり切り捨てました。それでもまだ、彼らの過去を語りによって回想させているので、その部分はもっさりしている……といって、そこを切り捨てるわけにはいかないし……と、思案中です(そうしたテクニックを学ぶには、創作教室に通うしかないのかもしれないと思い始めています。趣味にそこまでお金と時間をかけることに抵抗もあるのですが)。
 また、noteの場合、wordの文章をnoteに持ってくるという作業があるので、その際にも、要らない部分、足りない部分が見えてきて、更に書き直しができました。「作品をいくつかに分けて、小さい単位で読み直してみる」という方法は、今後も使えそうです。

 それだけ呻吟した結果が、あの作品……? と呆れられてしまうかもしれませんが、太宰賞に応募した作品よりはかなりマシに書けたと自分では考えています。まあ、前の作品がひどいんですけどね。少し前に読み直して、「ほんとに一次通過したの?」と自分でも疑わしくなり、筑摩書房のHPを確認しました(幸い、ちゃんとありました。何も考えずに本名で応募したので、ここでは示せませんが)。

 少し長くなったので、読んで下さった皆様への感謝その他は次回にします。


 自己採点では、第39回太宰治賞一次選考通過作よりうまく書けたつもりです。


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