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理想の異性 #シロクマ文芸部

風車かざぐるまの弥七って誰?」

 学生食堂で鶴野さんと同じテーブルになった時、そう訊ねてみた。鶴野さんとは、語学のクラスが一緒だった。週五時間だけのクラスだけど、顔合わせの食事会をやったり、名簿を作ったりで、クラスメイトの顔と名前はほぼ一致していた。

 クラス名簿には、名前や電話番号以外にもいくつか記入欄があった。「理想の異性は?」という欄があったのを覚えているのは、鶴野さんのおかげだ。「風車の弥七」という文字が今も脳裏に焼き付いている。他の子が何と書いたかは全く記憶にないのに。自分の回答さえも。スティングかブラピだったと思うけど、青島刑事と書いた可能性もある。

 鶴野さんは、信じられないという顔で私を見た。

「岡田さんって、帰国子女?」

「違うよ」

「帰国子女じゃないのに、《水戸黄門》知らないんだ」

「もちろん知ってるけど、見たことないな」

 どうやら、風車の弥七はテレビドラマ《水戸黄門》の登場人物らしい。水戸黄門こと徳川光圀と助さん格さん、それに由美かおるぐらいは知っていたが、それ以上の知識はない。《水戸黄門》に限らず、時代劇自体ほとんど見た覚えがなかった。

「けど、弥七ってどんな人なの?」

「どんな人って……風車を手裏剣代わりにして黄門のピンチを救うんだよ……」

 言いながら、鶴野さんは顔をしかめた。まあ、そうだろう。友達に変な子と言われることが多い私でさえ、18歳にもなって、忍者が理想の男性などとは思われたくない。

「あのね、岡田さん、私、弥七が特に好きなわけじゃないの」

「そうなんだ?」

「あの質問、馬鹿げてると思わない? 理想の異性なんて。同性が好きな人はどうするの? そういうことに興味がない人だっているよね? そういう配慮もなく、理想の異性は? と訊くなんて、なに考えてるんだろ」

「じゃ、あの答えは、鶴野さんなりの異議の表明ってこと?」

 それならそれで、もっとわかりやすい形で抗議すればいいのにと思いながら尋ねた。風車の弥七という回答を見て、そんな意図を察する人はまずいないだろう。

「馬鹿げた質問だということを、みんなにもわかってもらいたかったの」

「なるほどね」

 面白い人だと思った。「理想の異性は?」という質問にはこだわるのに、《水戸黄門》は見ているのだから。私なら、葵の紋所が描かれた印籠に皆がひれ伏す話の方が嫌だ。悪人なら、悪を貫け。たかが水戸藩の藩主(なのか隠居なのかは知らないけど)の威光に負けるって、ショボすぎないか。

 ただし、《水戸黄門》の登場人物を理想の異性に挙げるような人だから、私は鶴野さんと仲良くなったのだと思う。隙が全くない人は、男女問わず苦手なのだ。
 私たちは、月に二、三回、大学の近くにあった名画座に足を運ぶようになった。ゴダールとかトリュフォーといった往年の名監督の映画を二本立てで上映している映画館だ。
 それまで、ハリウッド映画しか見たことがなかった私は、鶴野さんに映画の見方を教わった。人間関係や台詞だけに注目するのでなく、社会的背景や監督の思想なども知った上で鑑賞すれば、より深く作品を理解できるといったことを。
 新目白通りに今もあるデニーズで、何時間も映画談義を交わしたものだ。その合間に、フェミニズムについても教わった。私は兄と仲が良く、父も家父長的な威厳とは程遠かったので、子どもの頃から、男性に疎ましさを覚えたことがない。なので、フェミニズムについても「謎の学問だな」ぐらいにしか思っていなかったのだが、鶴野さんの話を聞いて、視野が広がった。フェミニズムに染まりはしなかったが、この社会にそういう視点が必要であることはよく理解できた。


 鶴野さんとの映画通いは、その年の秋に終わった。法職課程を取って、弁護士を目指すと鶴野さんが決めたからだ。法学部の学生といっても、法職を取るのと取らないのでは、勉強の量がまるで違う。同じ法学部生と名乗るのが申し訳なくなるぐらいだ。「合格するまで映画館には行かない」と宣言する鶴野さんを見て、厳しく険しい道を彼女は選んだのだなと思った。私には絶対真似できない道だった。

 鶴野さんは非常に聡明な人だったので、大学在学中に司法試験に合格すると信じていた。だが、司法試験の難しさは私の予想を遥かに超えていて(旧司法試験の話)、確か同級生で現役合格したのは一人か二人だったはずだ。卒業式で会った時、鶴野さんは大学院に通いつつ司法浪人するつもりだと話していた。
 合格したら連絡してねと頼んだが、卒業以来、鶴野さんとは音信不通のままだ。
 私のiPhoneには、ガラケーとAndroidスマホを経て、今も鶴野さんの電話番号が入っているので、連絡できないわけではない。だけど、何となく、鶴野さんの方は、疾うに私の番号を消してしまったのではないかという気がする。私が電話をかけても、知らない番号だと見なされて、放置されるだけではないか。
 鶴野さんは、そういう人だ。過去に頓着しない人だと思う。
 だいたい、彼女が電話に出たところで、何を話すというのだ。彼女が変わっていなければ、今の私とは話が合わないだろうし、だからといって、変わってしまった鶴野さんを見たくもない。



 そういえば、鶴野さんとの映画館通いが終わってしばらく経った時、ファミマで偶然会ったクラスメイトの亀井君に言われた。

「岡田って、鶴野と仲良いよな?」

「最近はそうでもないけど、どうして?」

「鶴野さ、あいつ、俺のこと好きなんだよな。好きっていうか、憧れ? 俺に憧れてる」

 あまりにも意外な話に驚いて、手に持っていたファミチキを落としそうになった。

「勘違いじゃない? 色々話したけど、亀井君の話題なんて出たことないよ。鶴野さんは、あんまり恋愛に興味ないタイプだと思うな」

 興味があったとしても、亀井君は対象外だと思った。亀井君は今でいう、チャラ男だった。いつだったか、私が中学時代からの親友、光留と話しているところに近付いてきてチャラチャラ自己紹介したかと思うと、「俺、テニスサークル入ってるんだけど、見学に来ない? 初心者大歓迎だからさ」と光留を誘う。光留が「私、あなたと同じ法学部だけど?」と答えると、驚いた顔で逃げて行った。女子大限定、うちの大学の女子はお断りのサークルだったのだ。
 そんな差別主義サークルのメンバーに、フェミニストの鶴野さんが憧れるわけがない。

 ところが、亀井君はニヤニヤ笑いながら首を振って否定する。

「鶴野は真面目だから、感情をストレートに表現できないんだよ。かなり遠回しだから、俺も最近まで気付いてなかったんだけどさ、この前、バイト先のおばさんに言われたんだ、あなた、中谷一郎に似てるって」

「誰、その人?」

「俳優だよ、知らないのか?」

「知らない。出演作はなに?」

「昔は映画に出てたみたいだけど、今は《水戸黄門》のレギュラーだ。風車の弥七役」

 何となく話が読めた。

「鶴野さんが貴方に憧れてるから、理想の異性に風車の弥七と書いたってこと?」

「そうなんだよ。おばさんに言われるまで、気付かなかったけど」

「鶴野さんはそういう理由で、弥七って書いたわけじゃないよ」

「じゃ、どういう理由で書いたんだ?」

 下らない質問に異議を唱えるため……などと亀井君に説明するのが面倒だった。説明しても、理解してくれるとは思えない。

「鶴野さんが貴方に惚れてたとして、どうするつもり? 君の気持ちに気付いたよとか言いに行くわけ?」

 だから、質問で返した。

「言うわけないだろ。付き合って欲しいとか言われたら、面倒じゃないか。鶴野は、俺の好みじゃない」

 よく言うよと思いながら、店を出て亀井君と別れた。
 鶴野さんには、教えなかった。弁護士を目指して頑張っている彼女を、下らない話で苛立たせたくない。それきり、その話は忘れた。

 亀井君の話を思い出したのは、何年かして中谷一郎が亡くなった時だ。その時に、風車の弥七に扮する中谷一郎の映像を初めて見た。亀井君に似ている気はしなかった。映画に出ていた若い頃の映像があれば、また違う感想だったかもしれないが、わざわざ探すほどの興味はなかった。
  【完】

 先週に引き続き、シロクマ文芸部に参加しました。語り手も、先週と同じ岡田瑞樹という女性です。小牧様の意図は風車ふうしゃだと思いますが、敢えて風車かざぐるまと読んでみました。ちなみに、《水戸黄門》を観たことがない点だけは、語り手と私の共通項です。

 フォローして下さっている中で、創作に興味がない方は遠慮なく無視して下さいね。飽きるかネタが尽きるまで、週一で参加する予定です。

読んでくださってありがとうございます。コメントや感想をいただけると嬉しいです。