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レイモンド・カーヴァーの詩とサミュエル・L・ジャクソン

 レイモンド・カーヴァーといえば、村上春樹さんが敬愛する作家として有名ですが、村上さん以外にもカーヴァーを愛するクリエーターは多いようで、アメリカの映像作品ではしばしばカーヴァーの名前や作品が引用されます。

 ロバ―ト・アルトマン監督の群像劇映画『ショート・カッツ』はカーヴァーの複数の短編小説がもとになっています。確か社会人になってからBSで観たのですが、それまでオムニバス映画(いくつかの独立した話が並行して語られる)を観たことがなかったので、とても新鮮でした。大昔のことなのでストーリーはほぼ忘れてしまいましたが、ウィキによるとロバート・ダウニーやティム・ロビンスが出演しているようです。

 アルトマン監督の映画では、これも群像劇の『ゴスフォード・パーク』が面白かったです。英国の貴族の館を舞台にした作品で、戦間期の英国ってこんな感じだったのだなあと思わせる……のちに『ダウントン・アビー』の制作&脚本をつとめるジュリアン・フェロウズが脚本を書いているので、歴史考証もしっかりしています。アビーが好きな方におすすめしたい映画ですが、この映画も『ショート・カッツ』もストリーミングにはないみたですね。残念。
 『ショート・カッツ』については、村上春樹さんが『やがて哀しき外国語』で感想等を書いていらっしゃるようなので、機会があれば読んでみたいです。

 
 カーヴァーの作品が登場する映画といえば、アカデミー作品賞を撮った『バードマン』もそうです。マイケル・キートンが演じる主人公、落ち目の俳優がカーヴァーの短編小説『愛について語るときに我々の語ること』を舞台向けに脚色し、演出及び主演をつとめることで、第一線への返り咲きを狙うという話なので、この短編がストーリーに深くからんできます。
 私は『バードマン』が大好きで、一番好きな映画といえば、この映画かアン・リー監督の『ブロークバック・マウンテン』かという感じなんですね。登場人物たちの心象風景がそのまま映像になった作品なので、慣れるまではちょっと入り込みにくいかもしれませんが、「マジック・リアリズムって何だろう?」、「『街とその不確かな壁』に登場したガルシア=マルケスの『コレラ時代の愛』を読んでみたいけど、難しそう……」と考えている方は、この映画を先に観ると、マジック・リアリズムの世界観が理解しやすいと思います。


 今回、カーヴァーと映像作品の関係について書こうと思ったのは、昨日配信されたばかりのマーベルのドラマ『シークレット・インベージョン』に、サミュエル・L・ジャクソンがカーヴァーの詩を朗読するシーンがあったからです。
 昭和期日本のヤクザ映画やAV映画は、ジャンルのしばりさえ守れば、それ以外は好き勝手に撮ることができたので、そこから優秀なクリエーターが生まれたとよく聞きます。
 今、ディズニープラスで配信されているマーベルのドラマもそれと同じで、マーベルのキャラクターさえ出せば、後はかなりの自由裁量が与えられているようで……その分、スーパーヒーロー映画を期待している人たちには評判が悪いのですが、私のように、そこにこだわらずに観ている者には、非常に興味深い作品が多いんですね。

 サミュエル・L・ジャクソン主演の『シークレット・インベージョン』も、一応「異星人の地球侵略を食い止める」という表のストーリーはあるものの、実際には、スパイドラマであり、コミュニティーからはじき出された人たちを描いたドラマであり、何より、名優サミュエル・L・ジャクソンが他の名優たちと一対一で対峙する、彼のためのドラマといってもいいような作品に仕上がっています。
 ジャクソンがカーヴァーの詩を朗読するシーンも、そこだけ切り取って何度も観たくなるような名場面でした。

たとえそれでも君はやっぱり思うのかな、
この人生における望みは果たしたと?
果たしたとも。
それで、君はいったい何を望んだのだろう?
それは、自らを愛されるものと呼ぶこと、
自らをこの世界にあって
愛されるものと感じること

レイモンド・カーヴァー『おしまいの断片』(村上春樹訳)

 『おしまいの断片』は、カーヴァーが亡くなる前に書いた詩で、『バードマン』にも同じ箇所が登場します。マーベルの娯楽ドラマでこの詩の朗読が聞けるとは。アメリカのエンタメは奥が深いなと感じたひと時でした。

 
 『おしまいの断片』が収録された作品集。村上さんにとっても、お気に入りの詩なんですね!


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