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彩度

つらかった。君が泣いていることがただ、ただ。わたしなんて、おおよそが必要としない黄色い点字ブロックみたいな立ち位置でいい。君を助けられるなら、と手を差し出した。

笑っている君は、ふと気を抜くとまた泣いてしまう。自分の無力さに刺されながら、左手で君の背中に触れ、抱きしめた。百も承知なはずなのに、灰みのかかった思い出はそう簡単には消えてなくならないらしい。部屋の隅にある痼りと、大きな水塊に包まれている君にわたしも飲み込まれそうで、手を離してベッドに座り込んだ。君は泣きながら
「ごめん」
と言った。わたしは何も言えなかった。

優しさの定義なんて個を塗り潰すことしかできないのに、わたしは君の奥深くまで触れたくて仕方なかった。だから、ずうっと奥底まで染み込んで、もう白くならないほどに濃く雫を落とそう、と。それから君と過ごした毎夜は、季節に似つかわしくない冬のような鈍い色をしていたね。

二人で観た映画はあまりにも透明で、まっすぐにわたしたちを映し出したような形をしていた。恥ずかしくなってしまうほど色濃く、そして、そう思ったことは二人とも同じだったらしい。けれど、映画を観ながら涙を流した君のそれが答えだと思った。

帰りの車の中で助手席に座って窓の外を見る。どんどんと過ぎ去っていく景色があまりにも無情だった。むしろその無愛想さに愛を覚えるほど、君の涙でわたしの心は枯れていたのかもしれない。右側にいる君のことは見れなかった。今度はわたしが涙をこらえるのに必死だったから。

部屋に帰って君がシャワーを浴びている間、わたしはテレビも電気も消して真っ暗な中、ベッドの上に寝転がっていた。君がシャワーを浴びている音を聞きたかったから。全てを無防備にするその音はわたしにとって、安心と信頼を具現化したものだった。一つも残さず、感覚に収めておこうと目を瞑った。

電気を消した部屋のベッドの中、手さぐりをしながら君に触れる。この瞬間だけはわたしが一番君のそばにいるんだ、と君の胸に顔をうずめた。けれど、君の涙を思い出したわたしの脳裏は一瞬にして我に返る。

ねえ、君の心は今、どこにあるの。




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