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【エッセイ】「syamu_gameがおもちゃにされる所以」の話 【読了目安:約10分】

私は余暇の時間にはYoutubeとかTwitterを眺めているが、もれなく時のブームみたいなものに触れることができる点、やはりテレビなんかより波及性や即応性は高いなと思われる。

例に漏れず「ネットのおもちゃ」も知ることになって、観察対象として眺める反面エンタメの対象としても眺めるコンテンツがいくつかあり、その一つがsyamuさんだった。

正式名称syamu_gameは「難波土竜遺棄事件」や「(狙ったものではなかったにせよ)獲得された知名度をダシにした数人の威を借ろうとした人間による事件」に知られる以前に、(あくまで嘲笑の対象として)その奇々怪界な動画の数々にルーツを持つ「大物YouTuber」である。

私も彼がいわゆるネットのおもちゃにされるようになってから知った大勢と同じ立場であるが、それまで単純に「卑下の対象」として私の中でエンタメの一つの役割を果たしていただけだった彼だが、最近心理学を知って新たに見えてくるものがあったのだ。

それは「彼は明らかに「自己愛性パーソナリティ障害」である」というものだ。

自己愛性パーソナリティ障害については各々でネットにて詳細を調べていただきたいが、要は次のような具合だ。

「自分がすごいと思ってる事を褒めてくれたり(ヨイショしてくれたり)する人」に対してはただエクスタシーを得るためによしとする。
(あるいはそれが女性と分かれば性的欲求の満足を前提に接近を試みる)

反面、「(体感2秒ほど経てば現れてくる)知識不足に由来する勘違いや矛盾に対する、しばしば辛辣な指摘をする人」は不愉快にさせるからと動画の形で不満感を「(足りない言葉で)存分に」発信し、(ただでさえ知識がなかったり偏ったりしているのに)自分の知識・経験に由来した「あるべき姿」であれと他者に強制する。

一般的に見られる「誇大性」「自分が特別であるという空想」「賞賛を受ける必要性」の症状と合致するのはsyamuさんを見ていればわかるかと思う。

さて、では何故syamuさんがここまでネットのおもちゃとして多くの人から(必ずしも得たくて得たわけではない)評価を得ているのかを考察していこうと思う。

それは大きく3点、「評価の希求」「情弱性」「先天的な脳構造」である。

評価の希求

要は本人は「すごいものを作ってるんだからもっと評価してくれて良い」と考えてるのだが、実際彼が出力したのは「特筆できる価値のない低価値なコンテンツばかり」なのだ。

自己愛性由来の「誇大性」「賞賛を受ける必要性」に該当するかと思われるが、悲しいくらいにレベルの低い出力物ばかり故「周囲がもたらす評価」は真っ当であり、むしろ黎明期にsyamuさんを見出していた点では先見の明すらある。

情弱性

高品質のコンテンツの所以、「なぜそれが高評価を得られているのか」に対する認識の欠如もある。

曰く「おふざけが足りない」とするガチダンサーやプロクリエイターの「ガチ・プロの所以」がわかってないのだ。

例えば、彼は動画のサムネイルに対してつまらないと言われた時にいわゆる「ほならね理論」を展開した事でも知られている。

しかし個人的にクリエイターとして「ほならね、じゃあお前が作れって話でしょ」は禁忌だと思う。

気持ちはわからなくはないが、自らの出力物が他者から評価される事で初めて身分が決定される以上、つまり「他者の評価ありきの自分の身分(ひいてはその収入源)」なのだから、お前が作れと言い放ってしまったらクリエイターとして存在する意味がなくなってしまう、と私なら考えるが、彼はその限りではなかったようだ。

先天的な脳構造

先天的な脳構造に由来した低い処理能力(発達障がい)による発言の重複、会話の非建設性は残念ながら特徴としてカウントしなければならない。

あらかじめ断っておこう。

この記事は発達障がい者の地位低下を図るものではなく、あくまで「syamuさんがネットで弄ばれるに至った所以」を考察するものであり、そのsyamuさんにおいても人格の否定を行うものではない。

故に第三者として彼を眺めた時に見える特徴を列挙するものであり、同様にして彼への攻撃の意図がない事を記しておく。

そもそも私自身が発達障がい故、それが如何なるものなのか主観的に解釈できるし、だから否定するつもりもない

 全体的に言えるのは、同じ事を何度も話すからグダグダとまとまりのない話を続けるばかりか、「上記二つの独特な解釈」のせいでそもそも的を射た会話ができない、ということ。

「大人ってのはそんなこと言わないからね、我慢ですよ我慢」と言いつつ自分が一番我慢できてないシーンもある。ほとばしる不快感に対するあるべき姿はわかっていても主観的に実行することができる心理状態じゃないのが伝わってくる。

「アンチコメする人はスルーすればok」からの「ユーザーブロックしてからコメント削除すればok」。
「スルー=ブロック・コメ削除」なら通るが、一般認識では違うはず。

以上3点、「評価の希求」「情弱性」「先天的な脳構造」がsyamuさんがネットでおもちゃにされる所以であると考察した。

世俗的な酷い言い回しを厭わないのなら「この様な人がのうのうと恥ずかしげもなく自己表現できるのだから、私が情報を発信したとても何がおかしい」と思えるようなポジティブさをsyamuさんは私に与えてくれたのであり、その点で「彼は幾らかの日本人の背中を押してきたこと」になる。

図らずも、その持ち合わせた(必ずしも優れたものではない)能力と(必ずしもいいとはいえなかった)タイミングによって、道半ばにして引退した後に「大物YouTuber」として名を馳せることになったが、しかしその目線は黒歴史がバラされた中学生のそれよりも鋭く痛い「デジタルタトゥー」そのものである。

多くの人が著名になるのを拒むのはそう言ったところにも起因するからかと思う。

つまり「身のうちを晒すことでリアクションを得て対価として評価を得る事の、割に合わない感じ」があるから、束の間の名誉は美しく羨ましく思えどインスタやツイッターのプチバズで満足して、「YouTubeドリーム」や「コイニハッテンシテ」みたいな大きな夢は諦めるのだ。

言わずもがな彼はこんな名誉捨てたいと思ってる事だろう。

時間が経って知識・経験が増えて見返してみれば「あんなことしなきゃよかった…」と必ずどこかで後悔するようなレベルの醜態がそこにはあったのだから。

もちろんその対価として(嘲笑の形ではあるが)多くから評価を得て、永劫顔と名前の知られるミームとして殿堂入りした訳であるが、もはや後の祭りである。

私は余裕のなかった時にsyamuさんに勇気づけられ笑顔にしてもらった機会がある。

その恩、ではないが、一人の彼を知る人間として、せめてその人格だけは否定せず、手垢のついた評価を無視して彼を直視してあげたいと思う。

(無論、彼の人格以外=出力物に関しては対等に見据えて、多大に主観を交えた、時に否定を伴う評価を下すつもりだ。)

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