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「父親の権威意識が変質したものこそ、現代社会の根幹を構成するシステムなのか?」という話

※暇をこじらせている方は「時間を投資してやろう」と思ってコメントにてお教えいただければ幸いです。
ほんとに周りに聞ける人がいなくて困ってるんです(汗)

今日も今日とて「愛するということ(エーリッヒ・フロム)」を読んでいるんですが、またまた気になることがあったんですよ。

それでその気になることというのが、「父親の"息子に財産委託をしたい"とさせる権威意識の変質したものこそ、この現代社会の根幹を構成するシステムなのか?」ということなんです。

本書で「子供における両親の愛の意味っていうのは実は違う」っていう旨の記述があったんですよ。

それでおそらく、皆さん両者が直感的に同属性ではないというのは理解してるかとは思うんですが、その正体が、個人的には「母親からの受け取る愛の形」と「父親からの与える愛の形」なのかなと解釈したんですね。

それで「父親からの与える愛の形」の中に、本書では「男性的な理性的・追求的な姿勢の伝授」と、

"私がお前を愛するのは、お前が私の期待に応え、自分の義務を果たし、私に似ているからだ"
(p71)

という"父親の愛の原則"から導出できる「"父親への服従"と"父親の望みを自身の義務として全うさせる"という父権主義の伝授」であると記載されていたんですよ。

(※書中ではあくまで"「父親としての権威意識の伝授」という役割がある"という記述に止まっていて、"父権主義の伝授"とまでは記述されてません。ここの解釈は私個人のものです。)

それで焦点となるのが後述した「父権主義の伝授」に関してなんですが、実は社会発足以前は父親にはこの役割はなくて、"私有財産の所持、後継者への委託"という社会制度ができるのと同時に、つまり社会や経済の発達とともに父親の役割が重要性を帯びたらしいのです。

(ここで推測なんですが、"父親の子供への権威意識の教育"という役割が生じたのには、「家長=父親のみが子供に財産の委託を宣言できたから」と考えています。そしてこの後もこの前提のもと進めていってます。)

社会制度が普及したということは商業もまた普及してきた頃で、"財産"という密接な関係がある中で、商業などのビジネスに"服従"や"義務"と言った父権主義が浸透していったんだと思います。

そうして財産委託の制度とともに父親の意味合いが強くなっていったわけですが、いつしかその制度に由来してることを忘れながらも、人は「半ばなんとなく」で"父親の権威意識"を子供に伝達していったんだと思うんです。

そして時代が進んで少しずつ技術も進んできて、財産委託の手段が確立されてしまって、いよいよ父親の権威意識の伝授の目的がなくなったときに残ったのが、商業に端を発した父権主義なんじゃないかって思ったんですよ。

結論、何が言いたいかっていうと、「よりよく財産を使って欲しいと思う心が父権主義という形でビジネスに浸透していったのか?」と言う解釈で間違ってないのか、ということです。

その解釈で大方間違ってないのか、はたまた「素っ頓狂なこと言ってんじゃねぇ!大間違いだバーロー!」って言う状態なのか、お教えいただきたいと思うんです。

少し言い訳するなら、これまで社会学とか全く触ってきてませんし、哲学が少しわかる程度の空想家の青二才ですので、こうした高次の事を聞ける相手が近くにいないと言うことがあったんですよ。

ですので、ひょっとしたらいずれ自己解決するやもしれませんが、どうぞお教えくださればとおもいます。

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