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私が「文明の終末」に憧れる理由の話

今や世界中に文明を滅ぼすに足る脅威が蔓延っている。
核はもちろん、今日では感染症、サイバーテロ、軍のクーデター、量子コンピュータ、環境破壊兵器、遂には魔術やオカルトに由来するものや「エイリアン襲来」までもが囁かれる次第だ。

普通なら、日々の当たり前の生活が取り上げられてしまうことを恐れて近くの者に共有し、身を寄せ合って各々が持論を展開して根拠がないにもかかわらず最悪が発生しない事を保証しあったり、すっかり恐怖に染まって「来たる終末」に備えたり、心配はしつつも「そんなことは訪れない」としていつも通り日常を過ごすなど、おおむねネガティブな反応をすることだろう。

しかし私には、どうもその心地よい今を維持すべく働く「恒常性」に違和感を感じる。
天邪鬼な自負はあるが、それだけではない「現状改革の必要性」に由来する、「破壊欲求」に基づいた強い感情が、そのように思わせているのかもしれない。

私が「異端者として蔑まれてきたこと」に関係しているかは定かではなく、加えて「自分が社会に順応できなかった」からそう思っているかも定かではなく、故に「私に対して不適切な扱いをしてきて、私に対して利得がないこんな社会など滅びてしまえばいい」と考えている可能性もある。

しかし、仮にそのように考えていたとしても、この地球規模で運用されている社会システムは、どうも誰しもに許されているはずの「本来的な人間生活」を強力に制限しているように見えて、上位数%の「上級市民」のみにしか謳歌することが許されていないかのように思え、そこに歪さを見てとることができる。

「お金で幸せを買うことはできなくても、選択肢を買うことで「幸せへの道」を縮めることはできる」。
毎月安定して大金が入る人は、その潤沢な資金でたくさんの選択肢を確保していて、督促はもちろん、支払い義務に怯えることなど一切なく、むしろ「次の消費先」を考えるのだ。

他方、「その他」の一般市民は社会を回す「機械部品」として、日々を「抱えた負債の返済」のために費やす。
蓄えはどんぶり勘定ができるほどの余裕はなく、毎月の収入も用心して使わねば節制の日々が待っている。
故に選択肢は少なく、望んだ選択肢を「買う」為に、心身を削って対価として金を得るほかない。

長い文明社会の中で往々にして続いてきたこの構図だが、何故純粋に突き詰めたいことがあっても「第一に金」となってしまうのだろうか。
究極は、その最奥にいる「利潤を啜る者」が「次の消費先に使う金」を得るための、つまり「ただのエクスタシーの追及」の為に更なる利益を求めているからではないのか。

社会的にその種の「エクスタシーの追及」は認められていて、機械部品達は同じく「物質的・精神的な消費」の中に満足を見出そうと画策するが、結果的に働けど働けど「上級市民」に金が集まるようにあらかじめシステムが組まれている為に、機械部品達は常に不足状態に陥る。
そして、一部の気付いた者達によって、時間をかけて作った「稼いだ資本でエクスタシーが得られるようにした”自分たちの世界”」を壊されたくない。
だから上級市民共は、我々一般市民に「仕事をして、より多くの資本を得て、1日の終わりに心身が充足して気を失うように眠ることこそ至上である」と、消費欲求を煽って、世の歪な構造の認識をさせないように、思考に必要な「心のリソース」をも消費させて余計なことは考えさせないように「一般認識のレベル」で吹き込み、「そう考えざるを得ない社会システム」を作り上げたのだ。

この「利潤を啜る者共のネットワーク」は莫大で、それでいながら認識されないように高度に秘匿されており、打倒を目論む組織が現れれば「テロ組織」としてメディアを用いて一般に広く知らされ、正義の名の下に軍を動かして命を奪いに来るのは、想像に難くない。

この惑星には、理不尽を理不尽と思わせない「教育という名の洗脳」によって都合のいいように人々を操作し、理不尽に立ち向かい声を上げる者達には「反旗を翻したテロ首謀者」として喧伝して、暴力で安寧を取り戻すことを合理化させる「上級市民」とそれに隷従する「ロボット達」には都合のいい「主人と奴隷の世界」が広がっているのだ。

「莫大な規模を誇りながら隠密性に優れ、打倒を企てれば影から心臓を刺される」という、まさに「大海と対峙して、その水全て蒸発させなければならないかのような抗い難さ」がある。

「人々を利潤を啜る者共から解放したい」と考えても、圧倒的な規模の前では成す術がない
そういうわけで、上級市民や文明もろとも滅ぼす「終末」に一縷の望みを抱いているのだ。

持てる全てを充てて最大級の対策をするであろう上級市民をも滅するのだ。
どれほどの一般市民が、そして私が生き残れるかは皆目見当も付かないが、それでも既存の「本来的な人間生活」が制限された今に比べれば幾分マシだと思いたい。

もっとも、いくらかの上級市民が生き残ったり、旧来の文明、すなわち「すがる事のできる依代としての社会」を望む一般市民が多く生き残ったり、いくつかの映画のような「世紀末の世界」になってしまう可能性もあるが、元より人の手に負えない終末による文明崩壊だ。

結果を考慮して終末を引き起こすことなどできない。
起こってしまえばあとは生き残った者の世界なのだから、終末前よりもいい世界になる事を信じることしかできず、なにも干渉することなどできないのだ。

かくかくしかじか、そう言う経緯で「世界を変えたかった、失望した非力な男」は終末を心待ちにしている。
愛が祈れなくて何の為の人生か。
愛故に私は、万人が真っ当に愛を抱けるよう終末を願うのです。

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