マイノリティnot≒多様性

近頃マイノリティについてテレビ、ネットでよく見る様になった。

自分は元からマイノリティ気質があるらしく、小学生の頃は周りとの意見のすれ違い、周りに合わせないがための不調和も多かった。(実際周りからは変な人とは思われていたと思う。)だからこそ、マイノリティの-点や+点は一般人に比べてよく分かっているつもりだ。

実際マイノリティというのは凄く生きづらい。人は本来集団で集まり、言語を使ってコミュニケーションを取ることによって発達してきた。それは人間一人一人が単独では得られなかったことだし、仮にめちゃくちゃ賢い人が居ても、共有が出来なければ死んで終わり。おしまい。

マイノリティというのは周囲とは異質な存在であるが故にその存在は認知されづらかった。

だけれども今日、僕達はSNSという手段を手に入れ、トランスジェンダーや障害者、その他多くのマイノリティが声をあげられる様になった。ひと昔前には全く注目されなかった「少数派」に世間の関心が集まり、「多様性」が目につくようになった。

こうした流れはマイノリティへの理解を推進し、皆が平等な社会へと繋がると言われる。………ほんとにそうだろうか?

人間は弱いから群れを成した。自分たちとは「異質」なものを排斥することで均衡を保ち生き残って来た。別の価値観の人同士が主張しあう状態で争いが起きないと100%言えるだろうか?

相手の全てを認めることが正義だろか?そうではないと思う。逆に、全く受け入れないのは今までと同じく差別に繋がる。

多様性ってそんなオープンなことよりかは、共存共栄のイメージを持つのが一番正しいのではないかといつも思う。マイノリティ、マジョリティのお互いが相手の全てを受け入れるのは不可能なのだから。

まずは知ることから始め、自己の構成を行っていく。

これが「豊かな」多様性だと思う。

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