見出し画像

意欲・情熱・欲望

天気が悪いと気分まで滅入る。
大谷翔平のニュースのせいばかりではない。
もし、「余命1年」と宣告されたら何をするだろうと思った。
このような思いつきは65歳を過ぎた頃から何度も頭の中をよぎっていく。
妻にも友にも話さないけれども、私だけではないはずだ。
この質問がなぜ思い浮かぶかといえば、人並みに活動できる健康寿命が20年を切ったからだ。
希望的観測では健康寿命は85歳だが、これには介護が必要になる病気や事故が起こらず、夫婦揃って健康で記憶力もしっかりしていなければいけない。たとえ好条件が揃ったとしてもICT支援員のような仕事は75歳が限界だと思われる。健康であって、しかも天変地異が起きない希望的観測の上で「何をするか」は年寄り全ての命題である。
 植物も虫も動物も全て食べ物をもとめ「生きるためだけ」に活動している。だから、動物である人間も何も考えずに食べて生きればいい訳だが、人間だけは神から頂いた知性があるから余計なことを考える。真剣に打ち込む何か「意欲」がほしい。思いつく限りの意欲を絞り出してみる。
・食への意欲
・美への意欲
・名誉を求める意欲
・金への意欲
・ギャンブルへの意欲
・世界一への意欲
・人を助ける意欲
・人を愛する意欲。
意欲をもって生活できることは晴れた空のように素晴らしいことである。春休みになって、何もせずに一週間が過ぎて「意欲」が欲しくなった。そこで、今まで私が夢中になったものをあげてみる。
・麻雀にパチンコ
・ヨットレース
・恋愛と子育て
・教員の仕事
・プログラミング(BASIC・LOGO・scratch)
・マラソン
・作文と動画制作とWEBサイトの制作
大学時代、麻雀・パチンコに夢中になったが、博才の無さに悲観して意欲が自然消滅した。ヨットレースには随分とお金を注ぎ込み、レースに出るためにズル休みを繰り返した。生活を顧みない意欲は「情熱」と呼ぶには憚られる「欲望」だった。しかし、ヨットレースに出るたびに順位という屈辱にまみれ、実力のなさを思い知らされて欲望も萎んでしまった。
 恋愛と子育ては人並みの意欲をもつことができた。また、結婚後に覚えたプログラミングと教員人生後半での荒れた学校に秩序を打ち立てる仕事に打ち込めた。さらに、50歳頃から始めたマラソンはヨットレースでの挫折の経験が生きた。情熱はあったが欲望にまでは発展せず、8年間で8度の完走と海外マラソンまで経験したことで満足した。そして、体力低下で完走できなくなってマラソンに対する情熱も自然に消える。
 春休みになってマラソンやヨットレースや教員の仕事や賭け事のような夢中になれる「意欲」を欲しているのだが、思いつかない。人と話したり文章を書いたりすると考えがまとまるので作文に書いてみた。振り返ると、私は人並みで健全な「意欲」をもって生きてきた。下手な「欲望」を生み出すほどの才能はなかった。今でも続けている「作文と動画制作とWEBサイトの制作」を続ければいいのだが、この一週間、どうも熱中できない。というより「情熱」や「欲望」にまで発展する可能性がないことを寂しく思っている。仕事のない時間に「作文と動画制作とWEBサイトの制作」を行なえば、できてしまう程度の「意欲」である。要するに、私の意欲は仕事の片手間に行う趣味であって、決してプロではない。老人が趣味で行う将棋や囲碁やウォーキングと同じ。だから休みになると物足りなさや寂しさを感じる。
「それでいいのだ。」
それ以上を望む必要もないのである。ICT支援員の仕事を続けながら、作文を書き、動画を作り、WEBサイトに載せる。仕事ができなくなれば趣味に生きればいい。どうやら、その領域に足を踏み入れたらしい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?