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【小説】水族館オリジン 1

釣った魚にえさはやらない、って言葉があるけれど、釣ったお魚を生かしておくのって、すごく大変らしいです。水質管理はもちろん、水流や光の当たりかた、温度、魚ごとに生態や生育環境が違うので、生まれた環境にして生かしてやることはとても難しい。崇くんがいうのだから本当です。

私は水族館のまちに住んでいます。湾に沿った海岸のはずれにポツンと立っています。何年か前の市町村合併の補助金で建てられた水族館に、崇くんは呼ばれて来ました。

小さいですが、山を二つ越えたところには県で二番目に大きな町がありますし、そこへ行くためのバスも電車もあるから不便じゃあありません。百貨店もあるし、県役場の出張所もあります。パスポートの取得もそこでできますから、何の不都合のない、呑気な田舎って感じのところです。

私はこの村で生まれました。小さな時から前海をプール兼食料調達場所としてすごして、悲しい時には海の歌を聞き、つらい時は砂浜に癒され、寂しい時はそこにいる誰かに会うために出かけていました。ここにいることが自然で、ここの他のどこにも住みたいと思ったことはありません。

私はさっきお話した町にある図書館で司書をしています。高校生の時、この村にずっと住むにはどうしたらいいか真剣に考えてきめました。本が好きだったし、あのずらりと並んだ本棚にぎっしりと並べられた本は、みているだけで心の底から安心するのです。あの直線だらけの世界が、村の浜に積み上げたトロ箱の乱雑さと同じくらい好きです。その両方に囲まれて暮らしていけるなんて、我ながらとてもよい選択だったと思います。

崇君の仕事は水族館員です。学芸員というのだそうです。長靴をはいた学芸員だなんてっ、ふふふ。本の世界の私には想像がつきません。でもそういう名前の仕事なのだそうです。私から見たら魚屋さんとあまりかわりなくて。いつも朝早く長靴で出かけてゆくし、帰りは大きなお魚をぶらさげて帰ってくる。外見では見分けられないかもしれません。長靴をはいてゆくのは船にのせてもらうためです。珍しいさかなや水族館に展示する魚を見つけるのです。ときどき見たことのない新種があがるのだそうで、早朝出かけてゆくのは水槽の管理のためだといっています。同じ海でとれる魚なのに、温度や水質を魚の種類にあわせてやらなければいけない、ちょっとしたことで全部だめになってしまう、って崇くんは言うのです。神経を使う仕事みたいですね。
海は十把一絡げの太っ腹な「命の源」に見えて、いろんなお魚がそれぞれ、いろんな生き方を出来る懐が深くて、繊細な「命の母」なのですね。ですから、その母に負けないように釣ったお魚を生かしておくために、水族館のお仕事は大変に気を使わなければいけないのです。

崇君と私は、いっしょに暮らし始めて、もう五年がたちました。

chapter I : 聞こえない耳

私たちしか住んでいないアパートなのに、空の二階で音がしました。古いアパートなのでガタがきていていろいろ音がするのは仕方ないのですが、その音たちはなんだか前の住人達が置いていった忘れ物のような気がして悲しくなります。子供の声だったり、ビオラの弦を指ではじく音だったり、キッチンを使う音だったり。その一つ一つが住人の思い出につながる音に思えて、切なく悲しくなります。

その日は図書館でも、音が気になっていました。こういう時、私の五感は順繰りに強くなるので、また来たかと思いました。そうしたら、図書館の誰もいない閲覧室の書架の間に人の気配を感じました。あたりをみても誰もいないので悲しくなりました。
でも仕方ありません。私は、午前中、その本棚の間を動き回るふわふわという気配と一緒に仕事をしました。がんばろうと思っていたのですが、我慢しきれず結局早退することになってしまいました。常勤の司書をやめて、非常勤にしてもらおうと思うのですが、館長はとてもよい方で、あなたはいい人だからそのまま勤めて頂戴、といってくださいます。

町中にでるとおてんとうさまのおかげで、図書館のふわふわは付いてきませんでしたが、村行きのバスを降りたところで、急にあれがまたやってきました。私は目に見えない雲の中に入ったように耳以外の感覚がぼんやりと緩くなり、反対に耳とうしろ頭がむくむくと異様に敏感になりました。
アパートのドアをあけると、いつものとおりきちんとならんだスリッパが出迎えてくれますが、私がそれに足を入れるより先にふわふわがそれをはいて私の半歩先をあるきます。それを皮切りに部屋中に水色やベージュや、うすオレンジのふわふわが、わがもの顔でうごきまわるので、私は自分の居場所がなくなってしまいました。それでしかたなくそのまま居間から庭にでました。

庭には崇くんが水族館から持ってきたプラスチック桶が山積みになっています。私はそこに腰掛けてお弁当を食べました。朝自分で作ったお弁当をこうやって自宅でたべることが、ここのところよくあります。本当に申し訳ない、と頭に浮かぶ館長先生のお顔に手を合わせていただきます。

今日のおかずは焼たらこ、卵焼き、ホウレンソウのおひたし、ひじきの煮つけ、かまぼこ。ちゃんと噛む回数とおかずの数を数えながら食べたのですが、今日のふわふわはなかなか消えません。それどころかどんどんひどくなって、背中を向けているアパートの二階も騒がしくなりました。

もうとてもかなしくて、でも何故かなしいのかわからないのに涙がでてご飯がたべられなくなりそう。だからたべるのをやめました。耳を塞ごうと思いましたが、聞こえているのは本当は耳のもっと後ろの首の近くあたりなので耳を塞いでも意味がありません。
しかたないので、外に積まれたプラスチック桶のなかからわたしにあった手頃な大きさの桶の中でまるくなり、静かになってくれるのを待つことにしました。

暮らし始めてすぐの事ですが、私の五感がおかしいことを心配した崇くんがMRIを受けるよう薦めてくれました。磁力で脳内を検査するという機械は低くて大きな音がするのですが、その大きな音の下で私はぐっすり眠ることができました。そのことを崇くんに話すとびっくりしていましたが、本当のことですから仕方ありません。結果は異常なしでした。

「きっと医学では測れない何かなのだから、異常もわからないのだよ」

と崇くんは眉をひそめて言いました。
よくわからないけど、私も眉をひそめて、うん、とだけ言いました。あたまのアンテナを『ツノ』だと言われた時のような、説明してもわかってもらえないことがわかっている虚しさはあります。でも、崇くんが大好きだから、心配してくれるだけでいいんです。
そんなことが、まえに、ありました。

サンダルの爪先にさわるものがあって、私は目が覚めました。音は小さくなっていましたが気配はありました。とてもつかれていたので、そのままじっとしていたら崇くんでした。彼はそっと桶の中にはいって私の隣にすわっていました。

「起きた?」

うん、と声にないならない声でへんじました。

「また、きこえたの?」

そうなの、ずうっとね。

「つかれたね。きっともう許してくれるよ。中に入ろう」

自分の体なのに、そうじゃないように体は重く、もつれる足はサンダルをつかまえておくこともできません。しかたないな、といいながら崇くんが肩を貸してくれました。それでようやく部屋に入ることができました。

部屋は朝の出かけたままなのに、ほんのりカレーのにおいがします。放心状態の私を居間の真ん中において、崇くんは雨戸を閉め始めます。窓の外は空の上の方からオレンジ色になっていました。だいぶ時間がたっていたようです。カーテンを閉めたところで、崇くんが「食事にしましょう」といいました。

今日のカレーにはさんまの塩焼きがついていました。今朝、乗せてもらった漁船の漁師さんから頂いたそうです。ビーフストックでのばしたカレーとさんまの脂は意外とあいます。食べられなかったお昼の分もたっぷりいただきました。満腹のため息がでました。
ふう、という食後のため息はいいですね。お腹一杯で、しあわせで、今日一日の嫌なことをすべて消し去ってくれるようなためいきです。

奥へ行こうよと崇くんがいうので、納戸を改造した布団だらけの部屋へゆきます。
古めかしい襖を開けたむこうに布団やクッションだらけの空間があります。私はさっさとその一枚にすべりこみます。はだしの足だけを布団の外に出していると、温かく湿ったものが指を一本一本濡らしてゆきます。くすぐったさに最初はわらったりモジモジしたりするけれど、すぐに私のヴァギナは濡れてきます。
ガウチョパンツの太い裾から崇くんの指が私の中に入ってきます。ゆっくりと魚のように私の子宮めがけて優しく。そのうち耐えられなくなった私は、海の生き物になって着ているものからするりと抜け出します。布団の冷たい側生地が、ほてった肌にここちいい。おもわず声がでてしまいます。固くなった乳首にしなやかな生地がまとわりつき、小さな突起を締めつけ、一人でいきそうになり私は天を仰ぎます。崇はそんな私の髪をやさしく引っ張り、

まだだよ、

といいます。そして布団の柔らかさにつつまれ、すっかり平衡感覚を失い宙に浮いたような状態のまま、崇くんがはいってきます。はじめは細いそれが私のなかで動くたびに大きくなり、もうだめと思った瞬間に崇くんは、するりと稚魚が卵から出るように私からでてしまいます。
私はぬけがらのゼリーになったように心もとない不安で、崇くんの胸にしがみつきます。足を閉じたまま布団の海に溺れる二人は必死に律動運動をつづけ、呼吸を確保しようとしているみたいです。そして私の細いキャナルに船は進水し、積み荷を降ろします。

こうしてやっと聞こえなくなるのです。
私たちの幸福と満たされた感覚にふわふわは嫉妬して干渉するのを止めるのでしょう。他人の幸せを妬む者には幸せはやってこないのです。

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