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競わない先の成熟の在り方 キャサリン・ヘプバーンに学ぶ

  ニュースには、もう良いニュースの枠は無くなってしまったのではないかと思いたくなる日々が続いているが、私にはひとつ希望に感じていることがある。かなり歳の離れた世代に感じる『競わない成長』感覚だ。私が子供の頃は、悔しさの後に成長があったものだし、下の世代で順位をつけない運動会が始まったときには大いに疑問を持ったりした。しかし今、大きな声で目標を掲げなくとも、競争心をあおらなくとも、柔和な斬新さで革新していく若者たちの存在があると思っている。競うとはどこかに線を引くという事だが、“線を引かずして共存していく方法”はすでに在るのではないか?

 人生100年時代と言われて久しいが、ある本によれば、2007年に日本で生まれた子供の107歳まで生きる確率が50%あり、「50歳からの時間がとても長くなり、同世代を意識しなくていい」という件は印象的で、「自分と違う経験の人達と付き合おう」と続く。つまり彼らの台頭を待つのではなく、積極的に交流していこうということだ。

 『まあまあいい、って嫌い。本当にいいってならないと』と言ったのは、女優キャサリン・ヘプバーン。最もクラシックな女優のひとりといって良いだろう。1907年と100年以上前の生まれで、アカデミー賞受賞は最多の4回。前回のメリル・ストリープを調べていると何かと並べて語られていて興味を持った。驚いたことに4度の授賞式にはプライベート重視のため出席しておらず、周知のパートナー、スペンサー・トレイシーの奥様とは親友だったとか。自伝著書『Me』によると家族揃って率直に討論する家庭で育ち、主題は政治、環境、地域問題など幅広く、来客も交えて同時に何種もの話題が飛び交っていたそうだ。前出の“嫌い”とは感情ではなく理解しきれていないということであり、もっと深めるべきということ。知的と形容される彼女の所以。

 疑問は対話を繰り返して自分に納得させていく。対話はバトルではない。たくさんある真実の中から自分の真実を選び責任を持つ。そして真実は、さらなるに対話によって更新される。100年時代には何度も価値が書き換わるはずで、一度信じた考えも手放し競わずしての成熟をより多くの人と共有できたら、と願う。

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