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本来の感性にもどって恋を メリル・ストリープの眼

すごく久しぶりに恋におちた気分を味わっている。映画『マディソン群の橋』を観なおしたせいだ。これには不意な導入があった。ある時、ラジオから流れる邦楽に心を掴まれ、集中していたはずの作業をやめて曲目を調べ(これができる今っていい!)、その日は寝るまで繰り返し流してその歌の世界に浸った。

翌日目覚めると驚くことに、朝イチの行動が変わっている自分がいた。このところの私といえば、起床と共にニュースが気になり、それも自分の目で真実を確認できないものばかりだから、ひたすらスマートフォンで追いかけ時間を無駄にしていた。“簡単に手に入る情報を信じてはいけない”と思っていたはずなのに。知らず知らずの習慣とは怖いもので、毎日少しずつでも気分の方向“だけ”に向いていると、気づいた時には意図しない場所に自分が立って居たりする。そんな時、歌が政治系SNSにはまっていた私の向く方向を変えてくれたのである。まるで“恋をしたみたい”に。

そう感じてすぐに観たくなったのが、冒頭の『マディソン郡の橋』(1995年クリント・イーストウッド監督/主演、メリル・ストリープ主演)。 次の女優はメリル・ストリープだと決めてから多くの作品を観たが、演技が上手すぎて本人の魅力に迫れないでいた。歌も達者な事、授賞式スピーチでのハリウッドや政治批判を切り口にしようかと迷っていた。けれど、そんな事より“恋”。それは自分本来の感性。『クレイマー、クレイマー』(1979)『ソフィーの選択』(1982)など若き日の、脆く壊れそうだからこその意思的で存在感のある眼。世界的大ベストセラー『マディソン郡の橋』(イタリアからアメリカの田舎に嫁いで二人の子供の母と良妻として人生を全うした女性が隠し通した四日間の日記)で彼女扮するフランチェスカの性。たとえ誰にも言えない四日間でも自分だけの真実として大事にする気持ち。

彼女は言う。「役者の仕事はただひとつ。私たちとは異なる人たちの人生に入り込み、どのように感じるのかを観る人に感じてもらう事」。有名人でも一般人でも、影響し合って生きて時代を作っている。時代が変化する今、自分本来の感性を大切に。恋に溺れても下手なニュースには溺れるな。

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