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“自分の顔”はいつ完成するのだろう ロミー・シュナイダーの場合

“20歳の顔は親からの贈り物、50歳の顔は自分の価値がにじみ出るもの”という言葉がある。若い時はすでに存在する価値を知るしかなく、己から湧いてくる自信などあったとしても強がっているか、世間知らずなだけかもしれない。しかしそこから30年以上、“自分の顔”を引っ提げて生身で生きてきたならば、そろそろ周囲と比べない顔を持ちたいものだ。

女優ロミー・シュナイダー、彼女の日記で構成された本がある。「音楽、お芝居、映画、旅行、芸術 この五つの言葉を耳にするとどうしようもなく血が騒ぐ」と記する少女時代。祖母、両親とも俳優という環境に生まれ、15歳時、母の出演作でデビュー。17歳で演じた『プリンセス・シシー』が大ヒットし、母国オーストリアでアイドル的スターとなる。シシーはそのまま愛称に。彼女の苦悩はそこから始まる。

私が彼女を知ったのは小学生以前、ハンサムと同義語だと思っていたアラン・ドロンの元婚約者としてだと記憶する。その頃の私は人名事典が大好きで、大人になったらどんな人になりたいか、どんな人生を目指そうか、そんな事を考えるのが好きな子供だった。中学時代は人名事典が映画年鑑にとって代わり、俳優の“顔写真では測れない魅力”を想像しながら眺めたものだ。興味はいつしか「どんな人」から「どんな女性になりたいか」と変化し「恋」に興味を持つ頃が来る。その時に私は“憂い”というイメージを、どこで知ったのだろう、女性として憧れる道の真ん中に置いてしまった。翳りのある美しさや儚さ。親の教えからは遠く離れたところで感じる魔力。色気ともいうのだろうか。

戦時下でも不自由なく恵まれたかのような若き彼女も、“私はシシーじゃない”と同じような役を拒み、ステージママ的母から逃れるかのように、アラン・ドロンとの生活を選び、そこから仏、伊映画、ヴィスコンティ監督やオーソン・ウェルズ監督と出会う。その逃避による飛躍、数々の別れ、最愛の息子の死などが無かったら、遺作『サン・スーシの女』や『離愁』で魅せたような“生の女のコクがある”女優にはなれなかっただろう。幸福であることに越したことは無いが、纏うとなんとも魅力に思える“憂い”というものもあるものだ。

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