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ラスタ信仰におけるパラダイム転換ー第三世界政治学試論ー

 この論文は、ジャマイカのレゲエ=アーティスト、ボブマーリー(1945~1981)の生涯をたどりながら、その核となっているラスタ信仰の形成と発展を科学哲学をツールとして考察することを目的としている。加えてラスタ信仰が第三世界固有の思想でありながら、ネイション=ワイドの広がりをみせたことを論証する。
 1945年ボブマーリーは、白人の奴隷監督官マーリー大佐と黒人のジャマイカン、セルデラとの間に生まれた混血児だ。マーリー大佐、キングストンでボブを育てると言いつつイギリス本国に帰ってしまった。ボブは孤児になり、のちにセルデラはボブを見つけ、キングストンで二人の生活ははじまる。
 急激に都市化したキングストンは社会学の例外にもれることなくスラムを形成した。そのスラム生活するボブは生まれながらのアウトサイダーであった。この経験から<歌は嘆きからはじまる>という有名な格言を残している。
 ボブは14歳ごろから歌で生活する決心をした。そのころR&Bを聴いて
いたが、レゲエという確固たるジャンルはなかった。ボブは、ピーターとバニー三人でウェイラーズを結成した。ジャマイカの歌の指導者は三人の歌のハーモニーが完璧になるまで3年間かかったと述べている。
 女性3人のサイドボーカル、兄弟のリズムセクション(ベースとドラム)、パーカッション、キーボードをまじえ、ウェイラーズのメンバーはかたまった。(バニーとピーター最初の2枚ものの離脱し、「ボブマリー・
アンド・ウェイラーズとして活動する。)ラスタファリアニズムに依拠しつつも黒人と白人のマージナルマンとして、黒人初の国際的第三世界政治運動家がボブだった。皮肉なことにボブは白人にしか罹らない癌で死す(享年36歳)。
 ここで、当時のジャマイカの政治情勢にふれておく必要がある。冷戦時下
の第三世界政治情勢に特徴的な、西側(親米)、東側(新ソ)の分断が起こり、殺し合いが繰り返された。このような情勢の中でボブがスターダムにのしあがったのは、前日射殺されたにもかかわらず、西側と東側の党首を和解させる「ワンラブ=ピース=コンサート」を成功させたからだ。その思想の
核となったのがラスタファリアニズムだ。
 ラスタとはエチオピア最後の皇帝ハイ・セラシエの敬称である。これが
ラスタファリアニズムとして深化し、ラスタ信仰となる過程いかにネイション=ワイドに広がったか、加えて信仰とはなにかを論じる。
 ラスタ信仰に現在でも語り継がれているのは、マーカス・ガーヴェイの残した「ブラックアフリカ運動」すなわち「全ての黒人がアフリカに回帰する」というユートピア思想だ。この思想はアフリカとジャマイカ、2つの異なる地域に根付いた。
 ひとつは、アフリカで聖書を解釈しなおし、ハイ・セラシエが生きた神
でありアフリカの王であるという思想を形成した。もうひとつはジャマイカ
で土着宗教と結びつきレゲエと親和性の強い思想を形成した。違う解釈を得た2つの思想は互いに影響しあった。
 ハイ・セラシエがジャマイカを訪問した際、ジャマイカの民衆はマーカス・ガーヴェイの予言は正しかったと確信しラスタファリアニズムは成立した。
 図Aと図Bを比較していただきたい。新たな理論がいかに生まれるかのイメージをふたつの図は示している。図Aは既知の学説を踏まえつつ新たな学説
が生まれるという理論だ。図Bは新たな理論が<思考の飛翔>によってという理論だ。図Bは科学の分野で当時、ガリレオが天動説を否定して地動説を主張する際、信仰に近い思い込みを根拠としていたことを示している。彼は
科学というより信仰、信仰というより政治学に近いデータの引用方法をもちいて民衆に説得力を持たせる努力をした。慣習を打破する新たな世界観はストラタジック(戦略的)に成立する。
 図Bに関連づければ、ボブマーリーは天度説すなわち白人中心主義から、
地動説すなわちブラックアフリカユートピアのパラダイム転換をいかに行ったを説明できる。彼は、ドレットヘア、ガンジャ(大麻)の吸引、菜食主義、といったラスタファリアニズム固有のパフォーマンス駆使してストラタジックに新たな世界観を確立した。これはガリレオの手法と重なる。
 ラスタファリアニズムと科学哲学、じつに奇妙な組み合わせだ。ボブの祈り、ガリレオの祈りが大きなパラダイム転換の礎となっていることはみのがせない事実だ。
付記
政治学の定義・・・政治学とは歴史学、哲学、神学、文学のクロスオーバー
         する異文化理解的ネゴシエーション技術を獲得する為の
         学問である。
参考文献『ボブマーレー レゲエの伝説』スティーブン・デイビス著
    『方法への挑戦』P.K.ファイアアーベント著
    『イデオロギーとユートピア』K.マンハイム
エピローグ・・この論文は「立教大学法学部栗原彬ゼミ1988年提出」
       第三世界論を担当。2009年3月12日に加筆脱稿。
       1987年度「相互性(ミューチアリティー)」
       <エスノメソドロジー、Gベイトソンの作品>
       1988年度「政治と身体」
       <シュレーバー症例、メルロポンティーの作品>

#卒論   #立教大学 #法学部 #社会学
#栗原彬


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