もう一度猫と暮らしたい

 友人宅にて食事をしていた晩のこと。友人は猫二匹と暮らしており、猫に近付くと、突然現れた知らない人間に対し大変に臆病で抱えようとすると逃げていく。撫でられるのも嫌々という感じだった。
「人見知りが凄いんだよ」と友人。
「いやぁ、猫はそういうもんじゃないの」
「いや、人懐っこい猫もいるよ」
「そうか、そうだね」
とりとめのないことを話しながら棚の上に登ってこちらを凝視してくる猫を私もジッと見つめていた。
「見汐さん、猫飼わないの?」
「うーん、すっごく好きなんだけど、家の中だけで飼うとなるとなんとなく気が引けて」
「あぁ、まぁわからんでもないね」
「そう、田舎にいた頃は沢山、家に猫が居て」
「え? そうなの?」
「うん、猫はねぇ中学生までずっと飼ってたのよ」
「じゃぁ、また飼えばいいんじゃない?」
本当はもう数年前から猫と暮らしたい気持ちが募っている。しかし、踏ん切りがつかない自分がいる。

 祖父母の家で暮らしていた頃、庭には猫が沢山いた。パッと思い出してみただけでも子 猫、親猫併せて十匹はいたんじゃないだろうか。私が産まれる以前からと叔父が言ってい たので、随分長いことそういう環境だったのだろう。祖母はその猫達を外猫と呼んでいた。 祖母が朝夕、残飯を鍋に入れ庭に出ると、外猫は我が家の庭に何処からか一斉に集まって くる。飯をくれる人という認識があるのか、祖母にだけは付かず離れずの距離を保ってい るものの、祖母以外の人間が近付こうものなら、俊敏な動きで一斉に散っていく。懐くということをしない外猫は、野良猫には野良猫のポリシーがあると言わんばかり、私に牙を向けてくることもしょっちゅうあったし、ふざけて捕まえようとすると「シャー!」と叫び、本気で引っ掻いてくる。幼少の頃、私にとって猫はちっとも可愛くない、ずる賢くしたたかな動物でしかなかった。
 
 小学校までの通学途中、車に轢ひ かれたり跳ねられたりして死んでいる猫をよく見かけた。
腸が飛び出したり、足がもげていたりする。友人は「うわ! 気持ち悪い」というのだが、私はあまりそう思わず、いつも凝視していた。気持ちの何処かで、誰かが最後をしっかり見てあげないと可哀想だと思っていた。「あいつ、家にくる外猫の奴かな......」そう思う時だけは可哀想にという気持ちが湧いてくる。その場で手を合わせ、般若心経を唱えた。
祖父も祖母もそうしていた。そうすることで天国に行けるのだと教わった。死んだ猫は新聞紙に包まれ、川に捨てられる。いつの間にかなかったことになる命の行方が不可解だった。
「今日からこん子は内猫やけんね。麻衣も可愛がってあげてね」
歩くとまだフラフラする程の小さな三毛猫が毛布に包くるまっていた。
「えぇ......家で飼うと? 可愛くないもん」
「麻衣が大事にしたら、猫もちゃんとわかってくれるんやけん」
祖母はこの三毛猫にミーという名前を付けた。
「なんでミー?」
「ようら鳴き声聞いてみんね。ミーミー鳴くやろうもん」
その日から雌猫のミーは内猫になった。外猫だった親猫が子供を産み、ミーだけが家の 庭に置いてきぼりにされていたということだった。身体からほとばしる瑞々しい力、精一 杯の鳴き声、私を信用し切った眼差し、無防備に近付いてくる姿を目にし、急に親心のようなものが芽生えた。
 学校から帰るとミーに牛乳をあげ、ひと月に一度風呂にも入れ、毎晩祖母と私と一緒に寝起きを共にした。
 
 ミーは優しい性格だった。時々喧嘩もしたけれど私に対し、爪を立てることもなければ、 飯以外の時も少しだけ甘えてきて夜は必ず布団に入ってくる。外猫の威嚇する態度と何も かも違うことに驚いた。ネズミやコウモリを咥えたまま家に入ってくる時はいささか気分 が立っているのか、私に威嚇することもあったが、猫は本来そういうものだと思っていたので気にもならない。ミーはスクスクと育ち、そのうち夜は家の中に居らず、朝方になる
と帰って来て、兄が使っていた二段ベッドの下で眠るようになっていた。
「ばぁちゃん、ミーがお兄ちゃんのベッドの下から出てこん」
 この数週間、お腹が前横にポッコリ膨らんでいることは知っていた。妊娠しているんだと祖母から教えられた。私はミーのお腹を毎日さすって身体もマッサージしていた。乳首がどんどん大きくなり、ご飯も沢山食べるようになっていた。数日前から姿が見えなくなり、家中を探し回っていると、兄が使っていたベッドの下、奥の方に光るまなこを見つけた。
「あぁ、もうすぐ出産やないかね。麻衣よ、あんまりかまったらいかんけんね。そっとしとかな。あとで新聞紙と毛布ば用意するけん」
祖母は何も慌てることなくそう言っているのだが、私はとても不安で仕方がなかった。
「ミー、大丈夫?」声をかけると今まで聞いたことのない威嚇の声をあげた。こっちにくるなと言っているんだとわかった。
その日の夜だった。
「麻衣! こっちに来て! 手ぬぐいとお湯も持ってきて」
叔父の部屋でテレビを見ている時だった。祖母が大きな声で私を呼んだ。言われたものを準備して兄の部屋に向かうとミーはベッド下の手前に横たわり、たくさん出血していた。
「血がいっぱい出とる!」
「今から産まれてくるけん、麻衣も手伝って」
手伝うといっても何をしていいのか判らない。
「自分で力むやろうけん、出てくるまでに時間のかかるようやったら、子供ば引っ張ってあげると」
暫くすると頭が見えてきた。薄い皮膜のような物に包まれていて、ミーはそれを口で舐 めたり破ったりしては横になり、また頭をあげ舐めたりを繰り返していた。
「がんばれ! がんばれ!」私は小さな声でずっとそう言っていたと思う。
一匹目が産まれると、ミーはすぐに口元に運び、皮膜を舐め、臍の緒を嚙みちぎってい た。産まれたての猫は暫くすると「ミィ......」と、とっても小さい声を上げ、目も開いて いないのに、ミーのお腹を身体でまさぐりお乳を飲み出した。私はこの一連の出来事を見 ながら、誰にも教えてもらっていないのに、どうしてこんな事が出来るのか、凄いなと、 啞然とする面持ちで見つめていた。その後四匹が産まれ、合計五匹の新しい命が一斉にグニョグニョと這い回り、ミーのお乳を飲み出した。血塗れになった毛布を取り替え、お湯で絞った手ぬぐいでミーの身体を優しく撫でるように拭いた。
「凄いね、ミー。がんばったね」私は号泣していた。休む暇もなく、ミーはお乳を吸う子供達の身体を均等にペロペロ舐めている。愛しいものをしっかり守るように、ペロペロ舐め続けるその姿を凝視していると、余計に涙が溢れていた。
「麻衣、一匹だけ決めんね」
祖母がいつもの口調で突然そう言った。
「どういうこと?」
「五匹のうち、一匹は家猫にするけん」
「あとは? 誰かにあげると? 外猫にすると?」
「捨てるとよ」
「は? ミーが許さんよ」
「ミーもわからんうちに捨てに行く。子猫は目の開く前に捨てんと可哀想かけん」
私は祖母の言ってる意味が全く判らなかった。捨てる? 何処に? 全部を内猫にできなくても、外猫にすればいいじゃないかと思っていた。

「麻衣よ、外猫が道路で死んどるの、いつも見るやろう? 車に轢かれて。この辺は誰も家猫にする人がおらん。貰い手もなか」
「だったら聞いてまわれば? 猫いりませんかて聞きにいこう」
「いらんて言われたらどうするとね」
「私が全部育てる」
「全部育てる? どれだけ大変か。無責任な事ば言うもんじゃなか」
押し問答がどれ位続いたのか、今度はショックで号泣していた。祖母は泣き続ける私を横目に、組み立てた小さな段ボールにタオルケットを敷き出した。
「どれにするか決めたか?」
「選びきらん...... 」
 選べるはずがない。五つの命をひとつだけと、私が選んでいいはずがない。私には決め られない。黙っていると祖母が一匹をひょいと持ち上げ「こん子は雄やけん、こん子にし よう」そう言って、お乳に吸い付く他の四匹を段ボールに入れ出した。ミーが大きな声を 上げた。けれど、体力が残っていないのか動けないでいる。「可哀想なことせんで」祖母 が鬼のように思えた。祖母はただ、淡々と手を動かしている。

「麻衣は......産まれてくる命が全部平等やとおもうとるね? ばあちゃんはねぇ、思わん。
人間も動物も、この世で平等に扱われる命なんかなかと思うとる。生き残れたら、そんもんが全部受け入れて一生懸命生きるしかなか」
祖母は、いつもと変わらない口調で言った。私はこの言葉の意味を大人になった今でも時々思い出し、考えることがあるが、それには祖母が経てきた人生を知らなければ、解せない事が多すぎる気がしている。祖母の死生観、命に対するあの淡々とした物言いは今でも忘れられない。子猫の入った段ボールを抱えた祖母は叔父に声をかけた。
「あんた、車ば出してくれんね」
叔父と私と祖母は、近所を流れる松浦川の河川敷に立っていた。この川は、町の中を流れる大きな川で、海に繫がっている。外は真っ暗で、肌寒かった。祖母が家から持ってきた供花用の菊や百合を段ボールの上に置いた。ダンボールの中から、鳴き声や動く音は何も聞こえてこなかった。祖母はカバンから数珠を取り出し、般若心経をあげだした。私も一緒に唱える。
「どうかせめて、天国に連れて行ってあげてください。ミー、ごめんね。四つの命ごめんなさい。どうかどうか、次に生まれ変わる時は沢山生きられますように」

お経をあげおわると、線香に火をつけ一緒に川に流した。流れていく段ボールを見つめていると、叔父が煙草を吸いながら近付いてきた。
「間引きて、わからんやろうな麻衣は」
「間引き?」
「んにゃ、判らんならよか」
祖母に目をやると、しゃがんだままでずっと手を合わせ続けていた。ずっとずっとそうしていた。
帰宅後、祖母と一切口を利かなかった。祖母が用意した夕食にも手をつけないまま、ミーの側に居た。選ばれた一匹は変わらずお乳を飲み続けている。ミーの様子もあまり変わ らないように見えたのだが、翌日から暫くはウロウロすることが増え、我が子を探しているように思え不憫でならなかった。
祖母と口を利かなくなってひと月が経っていた。
何か言われたら返事は返すものの、あの日以来、祖母のことがどうしても許せないままでいた。

「キンタマようら見てみぃ。子供のくせにしっかりしとる」
縁側で子猫を触っている時だった。祖母が話しかけてきた。
「こん子の名前は麻衣が決めたらよかて」
「キンタマ......大きいけん、タマにする......」
「おお、よかやんね」
祖母と久しぶりに口をきいた。しかし、心の中で言葉にならない感情がずっと渦を巻いていた。それは命についてのこと。六年しか生きていない私に、答えを出すには壮大な問いであり、命について考えうるだけの言葉も見識も持ち合わせていなかった。ただ、その時強く感じたのは、自分の意思ではどうにもならないことが在るのだということだけだった。今ならもっと違う選択肢も考えられるだろう。その時は、自分に出来ることなど何も浮かばなかった。タマの頭を撫でながら祖母が言った。
「仕方のないこともあると。麻衣には残酷に感じるかもしらんばってん、ばあちゃんのしたことは、ばあちゃんだけが背負えばいい」
私は何も応えなかった。
タマは伸び伸びと成長した。まず、木登りが得意だった。走るのも早い。わんぱくでいつも動き回っている。ある夜、タマと戯じゃれあっていたのだが、突然不機嫌になり、それでもちょっかいを出し続けていると、前足の爪で私の右膝下あたりを抉るように引っ掻いてきた。
かなり深い傷で血が止まらなくなり、カッとなった私はタマを担ぎ上げ外に放り出した。それから暫く経っても帰ってこない日が続いた。
「タマが悪いんやけん。帰ってきても家にあげん。外猫になればいい」
本気でそう思っていたのだが、一、二週間もすると、やはり心配になってくる。道路で 死んでいる三毛猫を見つける度、タマではないかと駆け寄り確認する。家の裏手にある山に入っては、名前を連呼し、探し回るようになっていた。家に戻ってきたのは突然だった。玄関の外で鳴き声がして開けると、タマは身体に傷を 沢山纏い戻ってきた。顔立ちもどこか精悍になっているように見えた。
「いっぱい喧嘩ばしてきたとやろう。男らしかやなかね。大人になったな」
私の後ろで祖母が言った。タマを抱き上げ「ごめんなさい」と呟くも、タマは何事かと いう顔で私を見て、左手の甲をペロと舐めた。ザラっとした舌の感触が既に懐かしくもう一度「ごめんね」と言った。
右膝下の傷は大人になった今でもハッキリと残っており、傷跡を見るたびにタマのこと、喧嘩した夜のことを思い出す。

タマが戻ってきてから数日後。ミーがあまり動かなくなっていた。ミーの目は丸く水晶玉のように光り、顎のラインもシャープで鼻もツンと高く美しい顔立ちだったのだが、日毎にその丸い目に在った光が鈍くなっているのに気付き、丸くなり横たわるミーの顎を撫でていても、うんともすんとも言わなくなっていた。庭を走り回るタマを、見るでもなく見ているミーの姿をこの時よく見かけた。「まだ死んだらいかんよ」私が話しかける度、ミーは目を細め、両ひげをクイと上にあげる仕草をした。
「死ぬかもしれない」何故、そう思ったのか。ミーの身体から発せられる生命の呼吸のようなものが撫でる度に伝わってこなかった。確かな感触として手のひらを通しそう感じた。理屈ではなくただ、感じた。その夜、久しぶりにミーの方から布団に入ってきた。「なーんね、一緒に寝ると?」
何も言わず、祖母と私の間に入り眠りについた。ミーの呼吸、グルグル......ググゥ......という寝息を聞いているうちにすぐ眠りにおちた。翌朝起きるとミーは居なくなっていて、それから半月以上が経っていた。

「ばあちゃん、ミーば探しに行かん?」
たまらず祖母にそう言った。ミーの姿を見なくなって、毎日祈るように仏壇に手を合わせるようになっていた。
「もう帰ってこんやろうで」
「なんで?」
「動物は死に際ば人に見せんで死んでいくもんばい。今頃は山ん中で息絶えとるかもしらんね」
「最後のお別れもせんと?」
「せんとたい。ミーが選んだ死に場所があるっちゃろう」
「ばあちゃんは悲しくないと?」
「悲しかばってん、そいが自然なことて。自然に還ることは何も悲しことやなか」
「自然に還る? それはミーにとって幸せなこと?」
「幸せかどうか知らん。探さんでよか。探してとも思うとらんよ。ミーは」
自然に還る、ということが幸せなことなのか、悶々と考えていた。車に跳ねられ死んで いる猫も沢山見てきたし、外猫の中には、人間が撒いた毒入りの餌を食べ、息絶えたもの も見かけたことがあった。祖母が川に流した四つの命も、私の目線で言えば残酷でしかないが、祖母の言った「自然に還る」という言葉は、ミーが居なくなったことによる不安な気持ちを、軽くしてくれるような響きと安堵を与えてくれた。
「死に場所を自分の意思で選べるうちに家ば出ていく。ミーは幸せよ」
祖母が言った。私は仏壇の前に座り、いつもより丁寧に般若心経をあげ、ミーのことを想った。
「麻衣! 外に出てこんね! 麻衣!」
時計を見ると朝の六時前だった。祖母の声がする玄関まで行き裸足のまま外に出ると痩せ細った身体で、両目からは粘り気のある液体をダランと垂らしたままミーが立っていた。
あまりの変容振りに驚いたが、それよりも帰ってきたという嬉しさで涙が止まらなかった。
「ミー! 何処におったと? お腹減っとらんね?」
ミーに駆け寄りしゃがみ込むと、ミーは真っ直ぐな目で私をただジッと見ていた。その眼差しは澄み切っていた。ヨロヨロと祖母の方へ歩み寄り、左足の脛に軽く身体を擦り寄せた後、私の方に踵きびをす 返し、ジッとしている。
「凄かねぇ。ミーよ、あんたお別ればわざわざ言いにきたっちゃろ?」
ミーは微動だにせず、ただ、立っている。其処に、夜通し遊び疲れ帰ってきたタマが現れた。タマはクンクンと鼻を鳴らし、ミーに近づくも、直ぐに家の中に入っていった。ミーは立っているのがやっとという感じなのだが、抱き上げることも触ることをも拒ませる程の気配を纏っていた。暫く沈黙があったと思う。私も祖母も何も話さず、ミーを見つめていた。ミーはそのまま、今来た道を戻るようにゆっくり、ヨロヨロと山の方に向かって歩き出した。私はそれを引き止めることもせず、姿が見えなくなるまで見送った。見送った後、その場で号泣した。

 ミーと出会ってから五年の歳月が経っていた。人間の年で数えれば二十歳位だ。今考え ると短命な方だろう。自分の死に場所を、一度は選び出て行ったにも拘わらず、わざわざ 別れを告げに来たその姿を今でも思い出すことがある。思い出す度、自然に息絶えるその 時まで、ミーが何を考えていたのかと思い巡らす。我が子を捨てた祖母に対し、憎しみな どなかったのだろうか。タマとの時間をもっと過ごしたいと思わなかったのだろうかなど と思うのは、私の、人間の勝手な想いでしかない。しかしどう思おうと、最後の力を振り絞りミーは会いにきた。自然に還ることを前にして、不自然な行動をとったのだ。 祖母はそのことにとても驚いていた。一緒に暮らしてきた歳月の中で、共有してきた情 のようなものが伝わったと思うのは、私の身勝手な解釈だろうかがそれでもいい。私はあの時、確かに情を感じた。「さようなら」という言葉を聴いた気がしたのだ。
それ以降、心の何処かで生き物と暮らすということは対等でなければいけないと思うようになっていた。自分に、人間に従わないのは当たり前。お互いに何がしか尊敬する心が芽生えればそれでいい。
当時の外猫達が長生きした姿を見たことがなかった。私の知っている猫達は自由に駆け回り、喧嘩もし、野性味があり、人間に心から懐こうとせず、ミーにしてもタマにしても、自ら決して人間に媚を売るようなこともなく、一緒に暮らす場所で共存していた。
「あなたはあなた、わたしはわたし」という線を、猫の方から引いていたように思う。
一緒に暮らす中で「命」という形を成さないものが何なのか教えてくれたミーに対し、今でも心から感謝している。
そして現在、ミーの命もタマの命もずっと、私の中にともしびとなって在り続けている。
その後も猫を飼うことがあったのだが、この時はあまりに辛い別れを経験し、それ以来動物と一緒に暮らすということにおいめを感じたまま今に至る。

「最後は死んでしまうと解っていても、一緒に暮らしてきた時間の方が何よりも大切じゃない?」
猫を抱えた友人が言う。
「うん、私も今はそう思う」
ミーとタマの顔が浮かんだ。
「やっぱり、もうしばらくは無理かなぁ」




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