Note書き初めですが…


コロナ5類移行後、初めてのお正月🎍冬の金沢を訪れた方も多いはず😓
出かけた方たちの移動の混乱も心配です😔

始まった2024年…。去年のお正月に何があったかを思い出せないくらいが、たぶん「平和な新年のスタート」なのでしょう。私も新年のNote書き初めを
まさか予定変更するなんて、まったく思ってもいませんでした。

夫の実家がある石川県能登地方で、午後4時過ぎに大きな地震が発生しました。昨年から地震が続いて起きていたので揺れると心配はするのですが、今回は今までとちょっと違う…。まだこの時間になっても大きな揺れが続き、夕方発令の「大津波警報」が夜になってやっと「津波警報」に変わりました。(しかし警報の解除にはなっていないのです。)

わが家は先ほど夕食を食べ終わりましたが、夫は少し食事が進まないように見えました。
夫の実家は七尾湾に近く、海辺は“遠くはないあたり”にあります。義妹が高齢の両親を世話してくれています。現在両親は体調を崩し年末から入院をしているので、この地震で「家屋の倒壊に巻き込まれる心配」はなかったのですが、妹夫婦の家は地震の揺れで家の中が散乱し、津波の影響の可能性があり得るところにあるため、今夜は高台で車中避難すると午後6時過ぎ、やっと連絡が取れました。

妹たちの身の安全が確認できてひと安心なのですが、夫の生家のことは気がかりです。もうかなり老朽化していて、現在は安全のためにも空き家なのですが、もしかすると今回の地震で倒壊しても不思議ではないそうなのです。(私もこの10年で帰省した際は、現在両親が暮らす家に帰っていたので、夫共々まったく生家の老朽化の想像がつきません。)

義父の兄弟がまだ健在なので、生家の整理が心情的に進まないということもあったようなのですが、今回の地震で「残せない」ということになるかもしれないと夫は覚悟したようです。
夫の親戚関係は私の親戚に比べると比較的「ドライな繋がり」のように私は感じるのですが、さすがにこの地震でご無沙汰していた伯母に能登の妹たちの無事を伝えて「自分の近況報告」も思いがけず出来るという“怪我の功名”的なこともありました。

能登のこの時期の気温は本当に厳しいです。今日も雪は降っていないのですが、この時期の能登半島は風が強く冷たく寒さは堪えます。妹たちが今夜は家に帰れないと思うと、いくら地元民が寒さに慣れているとはいえ、家の外で暖もとれないなんて心が痛いです。お正月から外で過ごさなければならず温かい飲み物も満足にとれずお風呂にも入れないなんて…。

今年のNote書き初め…この惨事を綴ることが適しているのかはわかりません。でも、結婚して本籍になったとはいえ“私にとってもふるさと”である能登がお正月から悲惨な状況になってしまったことに「見て見ぬふり」など出来ません。むしろ“このお正月を忘れないということ”をNoteの場をお借りして記録しておこうと思うのです。

能登の皆さん、今夜は可能な限り暖かくして“ちょっこり辛抱しまっし!”
早く揺れと津波が収まりますように…!

※今後の状況によっては、この記事は削除させていただくことがあることをご了承ください。

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