【連載小説⑪‐2】 春に成る/サンドイッチ
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サンドイッチ(2)
「姉ちゃん、今日も休んだの?」
「そうなの、ご飯もほとんど食べないし。ほんと、どうしちゃったのかしら。那津、アンタ何か知ってる?」
「いや……」
あれから、どのくらい時間が経ったのか、そんなことはどうでも良かった。どうしてマスターが? 代われるものなら代わりたい。マスターがいなくなる? 嫌、嫌、嫌、そんなの無理。いなくなってしまうなら、もう私は踏ん張れない。私も消えてなくなりたい。
浮かぶのは、悲しそうな笑顔。
そう、知ってる。今、私が思ったこと、したいこと、マスターが喜ぶことはないものばかり。
携帯が光って震えた。あれから、流果が毎日、電話かメッセージをくれる。あの話を聞いて、『ベル』を飛び出してしまって以来、電話も出れる状態じゃないし、メッセージも返せていない。
コンコンと、部屋の扉をノックする音が響くけれど、熱を持った目元と、ぼうっとする頭、力の出ない体で、反応することができなかった。
「姉ちゃん? 前に一緒に店に来てくれた人が、この前また来てくれて、姉ちゃんに渡してほしいものがあるって置いてったから、扉の前に置いとくな」
流果……? 那津のお店に、また来てくれたんだ……。遠ざかる足音を聞きながら、こういう時に、何も聞かず、言わない優しさを感じた。
扉の前にあった白い紙袋の中身は、切手型のドリップ珈琲だった。私が知っているものの他に一つ、新しい味が混じっていた。
夜、家族が寝静まった後に、新しい味のドリップ珈琲を開封し、お湯を注いだ。珈琲の香りは、どうしてもマスターを思い出して、自然と涙が溢れる。
久々に口にする珈琲は、最初にマスターに出会った日の事、他の人と一緒に行った事、まるで走馬灯のように、今までの事を思い出した。
『相手が何を発信していたとしても、何が起こったとしても、自分がどう受け取るかで、今後を変えて行くことができるんです。遥さんなら、自分が進んで行けるように受け取れますね、きっと』
マスター……こんなの、どう受け止めたらいいの? 私、ずっとあなたの為に、何かしたかったけど、何ができるっていうの? 泣きながら、もう一口珈琲を飲むと、敬と流果と出会った事、バーでのバイト、ドリップ珈琲を作った事も思い出した。
夕方から夜へと進んでいく。
『嫌だと思う奴と一緒に居れる程、器用じゃない』
『離れたくて、でも一緒に居たい』
マスターの病気のことで、頭がいっぱいだった。『ベル』での大切な出来事も、思い出せなくなってしまうくらい。
流果、ありがとう。この珈琲、マスターと相談して作ってくれたのかな。
昼の『ベル』、マスター、夜の『ベル』、敬、流果……全部大切で、守りたい。
きっと、まだ、遅くない。
***
あの人と同じ「女」が、傷ついても、泣いても、喚いても、何も感じなかった。
ただ、自分のことで傷ついたり、泣いたりしてるのを見た時は、もう踏み躙られるだけじゃないんだって、仄暗い安堵感に包まれてた。
ずっと、それだけだった。もう、ほとんど覚えてもいない。
あの日、店を出て行く前の、色を失ったハルの顔は、今も離れない。
「二人から、連絡はないですよね……?」
きっと、ハル以上に落ち込んでいるはずの敬とも、連絡は取れないまま。
二人を思うと、奥深くのどこかが、グッと締め付けられる。
「……はい……すみません、流果さんにまでご迷惑をおかけして」
余命宣告されたなんて嘘のように、いつも通りのマスターが申し訳なさそうに、そして、どこか僕を心配するような声で包む。
「いや、僕が勝手にしてることなので……」
うまく眠れなくなっていることを見透かされているようで、目線を逸らした。
「……でも、少し嬉しくもあるんです。あの子たちのこと、こんなに気にかけてくれる人がいること。ありがとう」
……嫌だ。この人のこの感じ。全て溶かされてしまいそうで。
「……お礼なんて……言われるような人間じゃないんです。いつだって僕は自分のことばっかりで……それに、ハルのことだって……傷つけようとした……これから先、また傷つけようとするかもれない……もしかしたら、敬のことだって……」
根深く残る傷は、完全に癒えることなんてない気がする……何でこんなこと言ってしまうんだろう。せっかく「いいひと」でいられるのに。
「それは、誰だって同じですよ。誰だって自分が一番可愛いし、一緒にいれば故意であってもなくても傷つけ合います……大切なのは、そこから次はどうするかだと思いますよ……まだうまく整理できずに、動けていない私が言うのもなんですがね」
同じ? 僕の中にあるようなドロドロしたものが、あるようには見えないような笑顔で、珈琲を優しく置いた。
「サービスです。少し、一服しませんか?」
「ありがとう、ございます……」
珈琲の香りで、少し体に込めていた力が抜けた。「次どうするか」か……どうしたら二人がいる、当たり前だった日常を取り戻せるんだろう。
今日の珈琲は夕暮を見せた。
これから夜を迎えても「ベル」は開かないのに。
『お前も嫌なら適当なことすんな』
『い、いえ、大丈夫です』
二人と初めて会った時のことを思い出して、少し頬が緩む。
『マスターの珈琲が大好きで、ドリップ珈琲を作ってほしいってお願いしてて』
『お酒は無理でも、珈琲ならマスターと……』
……珈琲! そう、珈琲だ!
突然、顔を上げて射抜くように見つめたことに、目を丸めるマスター。
「あの、僕と取引してもらえませんか?」
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※見出し画像は、djwafflejp様の画像です。素敵な画像を使わせていただき、ありがとうございました。
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