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読書ノート 「原子力時代における哲学」 国分功一郎 他一冊

「核の脅威 原子力時代についての徹底考察」 ギュンター・アンダース 青木隆嘉訳

「原子力時代における哲学」 国分功一郎

ギュンター・アンダース:1902年ブレスラウに生まれる(本名はギュンター・シュテルン)。フッサールのもとで哲学を学び、学位取得後パリやベルリンで哲学にかんする論文を書くとともにジャーナリストとして評論活動を行なう。ハンナ・アーレントと結婚し、離婚。1933年パリへ、次いで1936年にアメリカ合衆国へ亡命し、さまざまな仕事につく。とくに工場労働者としての経験は、執筆活動の重要な契機となる。1945年以降、核に反対する活動を積極的に展開し、国際的反核運動の指導者となる。1992年12月死去 。

法政大学出版局HP より

ここではアンダースについては述べず、専ら国分の書籍に触れる。その中でもハイデッガーの「放下」について記録する。

「決定的な問いはいまや次のような問いである。すなわち、我々は、この考えることのできないほど大きな原子力を、いったいいかなる仕方で制御し、操縦できるのか、そしてまたいかなる仕方で、この途方もないエネルギーが─戦争行為によらずとも─突如としてどこかある箇所で檻を破って脱出し、いわば『出奔』し、一切を壊滅に陥れるという危険から人類を守ることができるのか?」(マルティン・ハイデッガー『放下』1959年)

「しかし本当に不気味なことは、世界が一つの徹頭徹尾技術的な世界になるということではない。それより遥かに不気味なことは、人間がこのような世界の変動に対して少しも用意を整えていないことであり、我々が省察し思惟しつつ、この時代において本当に台頭してきている事態と、その事態に相応しい仕方で対決するに至るということを、未だによく為し得ていないことである」(同上)

「ハイデッガーは、原子力のような技術が世界を支配することも不気味だけれども、それ以上に不気味なのは我々がそのことについて全然考えていないことだと言います。では我々は技術とどのよに付き合えばいいのか。ハイデッガーの答えは、技術を使わなければ人間は生きてはいけないのだから、技術を使うことは『然り』。しかし、その技術のほうが我々を独占し始めたら『否』である、というものです。ハイデッガーはそのような態度を『放下』と呼びました」(国分)

  •  技術の意味を我々も科学も知らない。原子力もAIも、その意味は隠されたままである。その謎に向かい、我々は開かれた態度を取り、「放下」しなければならない。そうすることで我々には「新しい土着性への展望」を得ることができるという。

  • 『野の道での対話』内の対話篇は『アンキバシエー』と題されている。「アンキバシエー」とは、「接近する」という意味と「対立する」という意味がある。

  • 「科学は考えない」(ハイデッガー)科学は考えることとは別のことをしている。


「来るべき土着性のために根底となり地盤となるものは、いったいいかなるものであろうか?我々がこのように問うことによって求められるものは、たぶん、極めて身近にあるだろう。我々がそれをあまりに易易と見過ごしてしまうほど、それほど身近に。なぜなら、身近なものにいたる道こそ、我々人間にとってはいつでも最も遠い道であり、そのため最も困難な道であるからだ。この道は、気遣いつつ思いを潜める熟慮の道」(ハイデッガー)

学者 実際私は放下という語が何を言っているのか、いまだにわかっていません。しかしそれでもだいたい次のように予感しています。すなわち放下が目覚めるのは、我々の本質がそれ自体をそもそも意欲ではないものの内へと放ち入れるということ。そのことへ我々の本質が放ち容れられる場合であると」
(『アンキバシエー』)

  • 放下は能動でも受動でもなく、また意志の領域の内には属していないとされる。

  • 放下は「意志の領域に属するものではない」

  • 能動態でも受動態でもない、中動態というものが世界や人間の性には存在している。

  • ハイデッガーは「する」「される」の対立の外部を考えようとしている。

科学者 それではそもそも我々は一体何を為すべきでしょうか
 学者  それは私も自分自身に問うていることです
 教師  我々は何も為すべきではなく、待つべきです
 学者  それはひどい慰めです」
(『アンキバシエー』)


  • 何か発信されてくるものを受け取ることができるような状態を作り出すこと。それが思惟であり、放下である。


「私達人類は、ほかのあらゆる生き物たちといっしょに、地球の表層部(地殻)を覆っている、厚さわずか数キロメートルにみたない、ごく浅い層にかたちづくられている「生態圏」を、自分たちの生存の場所としている。それは地球全体から見たら、じつにささやかな領域に過ぎない」(中沢新一『日本の大転換』)


  • 外部性の排除という理想。原子力も一神教も資本主義も外部性を排除する。

  • 客観的基準を出すことの危険性

  • 完全に自立したシステム、贈与を受けない生への強い希求

  • なぜ「贈与を受けない生」を求めるのか

  • 内部に逆流してきたリビドーエネルギーが誇大妄想や全能感をもたらす。その全能感に人は憧れを持つ。

  • 誇大妄想や全能感は世界への無関心と一体

  • 失われた幼児期の全能感への渇望

  • なぜ原子力が悪魔的な魅力を持っているかというと、それは人間の心の弱さに付け入ってくるから。悪魔はいつでも人の心の弱さを利用する。

 原子力技術は人間のナルシシズムを(悪魔的に)刺激する

  • 「真理は体験の対象」(スピノザ)

  •  「中動態では、主語は過程の内部にある」(エミール・バンヴェニスト)

  • 「主体は動作を支配するのではなく、みずからが動作の起こる場所なのである」(アガンベン)


「人間の知性は人間の欲望活動に比べて無力である。このことを我々は今後も繰り返し強調するだろうし、そうするのが正しいかもしれない。ただ、この知性の弱さというものには何か独特のものがある。知性の声はか細い。しかしこの声は誰かに聞き取られるまで止むことがない。何度も繰り返し聞き過ごされたあと、最後にはやはりそれを聞き取ってくれる人が出てくる。これは、私たちが人類の未来について楽観的であるのが許される数少ない点の一つであり、このこと自体が意味するところも小さくない」
(フロイト『ある錯覚の未来』)

 希望を捨てないフロイトの言葉。ああ、何故だろう、涙が出てくる。



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