もともとは、講談社新書メチエで五冊に分かれて刊行されたもの。大学の講義をテーマ別にまとめ、中沢新一の当時の思想最前線を概観するものでした。五冊中、三冊を購入した(はず)。第一刊(『人類最古の哲学』)、第三刊(『愛と経済のロゴス』)、第五刊(『対称性人類学』)。また購入には至らなかった残りの二刊(『熊から王へ』、『神の発明』)も、読んだ記憶がある。でもどうして読んだんだろう。立ち読み?
二〇数年前、札幌にいた時、北大附属病院に喉の疾患で入院していた頃、『対称性人類学』を精読した記憶がある。読みながら、わくわくし、興奮していた。対称性・非対称性で世界を見るその視点が衝撃的であり新鮮であり、開眼する思いであった。喉は原因不明の腫れが続き不安であったのだが、病院のベットで落ち込むことなく元気でいれたのも、この本のおかげによるところが大きい。
今回読み直すのは、この五巻が一冊にまとめられたもの。まるで辞典のように分厚く、机で自立します。合冊にあたり新たに書き足された序文から、抜き出し参照していきます。
ここでいう獲得した知的能力とは、チョムスキーの言う「併合」であろうか。
「今」かどうかは中沢新一の感ずるところだろう。中沢は人類がまだ進化すると思っている。
予言的なコメント。「宗教は(野生の)科学を抑圧することによって、人類の新しい地平を開いた」と言い切ってしまうところが中沢の潔さですね。「量子力学的世界観の生活と思考の全領野への広がり」がどのように具体化されるかというところで、「レンマ学」が補助線として登場するのでしょう。
たしかに、返礼義務のある贈与と交換は意味が同じではないかといった疑念が浮かびます。
ラカンの言う「現実界」が否応なく現前化してくるんですよね。実際は。
このあたりのことを、柄谷行人と対談してほしいところです。「交換様式D」が外から現れるという予測と、この「浮遊するシニフィアン」には似たところがあり、この構造を分析することで来るべきDを精密に推し測ることもできるのでは。阿頼耶識と精霊たちが戯れる妄想が広がります。
中沢は「もちろんこんなに野心的な構想を、大学の学部学生に向かってしゃべるのはあまりに申し訳ないと思った」ので、実際はここまでは話さなかったそうです。本文を読みましょう。
で、無論、肝は第五章『対称性人類学』です。中沢の真骨頂、大きな視座を設定されています。ここでは詳しく説明しませんが、皆さん、単著でもいいので読むべし。思考は進化します。