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正面突破が出来ないのは昔からというどうしようもない話

あなたはどんな小学生だっただろうか?

小学生の頃の面白いエピソードというのは、その人の核という性格を担っているような気がしている。

私が決まってあげるエピソードは、「人の宿題をすべてやってしまった話」「お皿を割って大号泣した話」「かけっこでいつも1番になる話」あたりで、今こうして「普通」には生きていけない私を象徴する話でもある。

人の宿題をすべてやってしまった話は、もう文字通りそのままで、「あ、出来ないならやろうか」と言って片っ端からよその人の宿題をやりはじめて、みんながさぼってしまい、親が担任に呼ばれたという話である。私としては悪気があったわけでもなく、親が呼ばれたことも多分当時は理解していなかったからそれほど大きなことだとは思っていなかったが、母的には印象に残るエピソードらしく今でもよく笑い話にされる。小学校教育に数年関わっている母は今でも他人の宿題をやりまくる奴には出会ったことがないそうで、それは変わった奴だなとしか言いようがない。私のことだけど。

お皿を割って大号泣もそのままだが、給食の配膳でお皿を割ってしまった自責の念にかられて大号泣するということを年に1回ぐらいしていた。高学年にもなればおさまってくるのだが、人一倍自分のミスに厳しいところがあるのはこのエピソードだけで十分にわかる。ミスをすることを誰が咎めたわけではないと思うのだが、小さい頃から責任感の強い子ではあった。

かけっこでいつも1番になる話には、「本当は足が速くないのに」という枕詞がある。正確に言えば、足の速さは中の上ぐらいだったんだろうけど、自分より足の速い人と並ばない組み合わせを考えて、何かと理由をつけたり測定で手を抜いたりして、調整をはかり、本番では1位になってくるという小賢しさ満載のエピソードである。当時の私は誰にもバレていないつもりだったが、流石に母は気が付いていたようで、「この子は足じゃなくて、頭で走っている」と思っていたらしい。勝負事で正面突破が出来ないことは今に始まったことではないのがよく分かる。それでいて生き方が器用じゃないから、どうしようもないと自分でもときどき思う。

この類似エピソードに「リコーダーを吹きたくないあまりプラカード持ちをかって出る」とかがある。いつも抜け道ばっかり探してきたから、努力が出来ないと喚くことが多いのは、もう致し方ないことだと私は思っている。

という訳で、こつこつと積み重ねるということが割と苦手だ。一時のひらめきや思い付きですぐに何とかしようとする。真面目さがないわけではないからそこが難しいところではあるが、ゴールがあると自分に見えている最短ルート以外のものをぶっ飛ばしがちになる。そのルートに必要であれば多分やるのだけれど。

キャパがないわけではないだろうに、物が覚えられない。必要だと自分が思っていないことが一番まずいから、今取り組んでいることは必要な正面突破だという覚書のためにこれを書いている。


グミを食べながら書いています。書くことを続けるためのグミ代に使わせていただきます。