『ニッポニアニッポン』の「なにか」(あるいは、おんぷちゃん)

建国記念日。紀元節と言いたがる人もいる。このようなナショナリズム的な記念日には、あのことを思わずにはいられない。

それは、天皇のことである。

最近、他者について気になっている。ただの他者では、生身の人間同士なので、心が通じず、誤解で傷つけ合ってしまう。そのため、絶対的な他者(大文字の他者と言った方が良いのか?)を求めずにはいられない。絶対的な他者は、傷つけない。安心感を与えてくれる。絶対的な他者に包まれることで、生きていて良いと思わせてくれる。そのような存在は、神や仏が仮定されるが、天皇も当てはまる。

阿部和重『ニッポニアニッポン』は、ストーカーを行って故郷を追放された引きこもりの少年・春生が、人生の一発逆転を期して、佐渡トキ保護センターに侵入する話である。

自らの名字との関連性からトキへのシンパシーを感じ、保護センターに閉じ込められて、人間の都合で繁殖させられるトキを救おうという理由付けはあるものの、結局は自分のためである。トキを救うなり殺すなりで、自分の人生を変えたいというエゴである。それは、(特に)インターネット上に多数存在する、何がしかのイデオロギーを掲げつつ、実際はただ単に優越感に浸りたいがためであるという人々の思考回路と同様であろう。

ただし、トキにこだわり、佐渡まで行動を起こしに向かうという点は、もはや優越感どころではない。祈りに近い話である。単行本の帯に記された「トキ=俺=日本」という結び付け方には、短絡的ではあるが強い意志が伺える。トキは希少動物であり、それがナショナリズムと深く関わり(なにせ学名がニッポニア・ニッポンである)、雛が生まれるかどうかで日本人が大騒ぎするのだから、現在の皇室、そして天皇と容易に連想して繋げることができる。

トキへのこだわりは、天皇へのこだわりなのだ。

しかし、春生は元々は同級生の本木桜をストーカーしていたわけであり、こだわりの対象が好きな女の子からトキへスライドしたに過ぎず、強い意志を向ける対象は何でも良かったのかもしれない。

結局、佐渡トキ保護センターへの侵入の末に、疲れ果てた春生は、「運命とは、全く無意味なものだ」と悟る。女の子だろうとトキだろうと天皇だろうと、絶対的な他者への志向は、根本的には無意味なのかもしれない。

自分のために何かに強い意志を持ったとして、疲れれば雲散霧消してしまうのだ。

そのような無意味さに、どう立ち向かうのか。それをかすかに示すものがある。

トキに到達するための行動の途中でたまたま出会う、瀬川文緒という少女。佐渡に大事な用事があってやって来た彼女を、春生は成り行きで案内することになってしまう。瀬川文緒に出会ったからといって、佐渡トキ保護センターへの侵入を思いとどまるわけではない。せいぜい本木桜の面影を感じるだけだ。

瀬川文緒が、『おジャ魔女どれみ』の、「瀬川おんぷ」をもじったキャラクターであるという小ネタもあるが、それも特に関係あるようには見えない。

しかし、そこから何も生じないがゆえに突破口なのかもしれない。そう、瀬川文緒は「なにか」なのである。絶対的な他者ではない、なにか。あたたかい交流が生まれたら、傷つけ合ったりする、他者としての関係でもない、なにか。他者以前の、なにか。

瀬川文緒を掴むこと、それこそが天皇などの絶対的な他者に依存しない道を見つける鍵なのである。

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