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現代少女漫画論のためのノート

◯ジャンププラスと少女漫画 ジャンププラスが少年漫画的でない漫画(例えばアフタヌーンっぽいとか少女漫画っぽいとか)をたくさん載せているため、全ての漫画がジャンプという名前に集うことになりつつある。『正反対な君と僕』は明らかに少女漫画だし、『SPY×FAMILY』も白泉社の少女漫画といってもおかしくない絵柄と雰囲気だ。読み切りでも、『はしたないかしら?』などを描いた喜多川ねりまはノリが明らかに岡田あーみんなので、ギャグ方面での少女漫画要素もジャンププラスが吸収してしまえる。

    • 修行に行くにあたって

      (前置き:同人誌への論考をお断りしてしまったのに関わらず、このような自分語りの長文は書けるのか、という批判はあると思います。そこは自分の弱さです。申し訳ありません。) 3/16から、僧侶の資格取得のための修行に行くことになった。修行に行くのは出家なので、俗世から離れることになるので、劇的なものということができるのかもしれない。しかし、資格取得のため、と今書いたように、一定期間(約一年)行けば資格がとれるという、非常に世俗的なものとなっている。手続き的には世俗的になっているが

      • メモ:80年代以降の少女漫画史(『りぼん』を中心に)

        少女漫画史は、「24年組」、「乙女ちっく」などと、70~80年代初頭までは割と評論家が歴史化してくれているので、それ以降どうなっているのか知りたくても、意外に分からない。しかし、ネット上の記事やつぶやきを統合すると、おぼろげながら分かってくる。特に、『りぼん』がどのような道を辿ってきたのかは、かつての、あるいは現役読者の証言がけっこう出て来るため、浮かび上がってきた。矢沢あいの革新性を褒める記事で、『りぼん』時代の矢沢あいが語られるとき、当時の『りぼん』のことも語られていたり

        • 少女漫画誌『ちゃお』の今

          『ちゃお』。狭義の(ヤングレディースだったり分類不明瞭な漫画を抜いた場合の)少女漫画界のトップランナーである。 今や少女漫画絵と言われたら『ちゃお』の絵柄なのではないか。 ●2000年代『ちゃお』の輝き ただし、「ちゃお・りぼん・なかよし」で、他の二つと同じく、最近はあまり語られていない。やはり「知ってるちゃお」といえば、『きらりん☆レボリューション』(2004〜09年、アニメ化は2006~09年)、『極上!!めちゃモテ委員長』(2006~14年、アニメ化は2009~1

        現代少女漫画論のためのノート

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        記事

          少女漫画誌『なかよし』の苦境?

          少女漫画誌といえば、「ちゃお・りぼん・なかよし」とよくいわれる。『なかよし』はその中でも、「読んでいる人はオタクになる」としばしば語られ、オタクを自認する人たちにとって思い入れが深い雑誌だった(ただ、その歴史観は、『セーラームーン』(1992〜97年)から2000年代末までのごく短い間しか通用しないものだと思うのだけれど...)。 「『なかよし』?知ってる知ってる。『セーラームーン』とか、『カードキャプターさくら』とか、『しゅごキャラ』とか...。」 そういう風に話を進め

          少女漫画誌『なかよし』の苦境?

          少女漫画誌『りぼん』の現在

          ●『りぼん』は「地雷系」化したわけではない 先日、Twitterでは、少女漫画誌『りぼん』の表紙が「地雷系」だということでちょっとした話題になっていた。 実際は、『りぼん』の連載漫画が「地雷系」でメンヘラ化しているということではなく、ハロウィンの季節なので「地雷系」コンセプトだっただけだった(表紙で連載作品のヒロインが「地雷系」ファッションになっていても、内容はそれと全く関係がない。*)。 *面白いのは、ホラー漫画『絶叫学級』のキャラクターもそのファッションなこと。作品

          少女漫画誌『りぼん』の現在

          男の人に薦める少女漫画

           「少女漫画論が少ない」とか、「男も少女漫画を読め」とか、「少女漫画は恋愛ばかりでつまらない」とか、「いや男も読めるんだ少女漫画にも色々あるぞ」と言って出してくるのは一昔前のでじゃあ最近はどうなのか分からないとか、(特にインターネット上では)少女漫画について散発的に話題になってはうやむやに終わる現状があります。それを整理しつつ、今回は「男の人に薦める少女漫画」について書こうと思います。 ①少女漫画を取り巻く言説(おおよそ「24年組」から90年代前半まで)  ネットで「少女漫

          男の人に薦める少女漫画

          最近の少女漫画(ちゃおりぼんなかよし)

           『ちゃお』、『りぼん』、『なかよし』は有名な少女漫画雑誌ですが、ここ10〜20年は意外に歴史化されていないので、(独断と偏見で)主要作と思われるものを列挙してみます。たたき台にしてください。(作家論で語れそうな作品には作者名を付しました。) ◯『ちゃお』の代表作 2000年代... 『きらりん⭐︎レボリューション』(中原杏) 『極上!!めちゃモテ委員長』(〜2010年代) 『姫ギャルパラダイス』(〜2010年代) 『ちび⭐︎デビ!』(〜2010年代) 2010年代..

          最近の少女漫画(ちゃおりぼんなかよし)

          2010年代の少女漫画(オタク的な視点から)

          少女漫画についてネットで議論になる度に、誰も最近の少女漫画の名前を出さないという事態が起こります。24年組や白泉社のSF系の少女漫画はよく名前が上がるのにも関わらず。特にここ10年はなかなか語りに上がってこないので、どのようになっているか(アバウトですが)記録していこうと思います。 ◯集英社 『りぼん』...オタクとの接点はあまりない(『さよならミニスカート』がジャンプ+に転載されて話題に)。 『別冊マーガレット』...『君に届け』や『アオハライド』がヒット。アニメ化も

          2010年代の少女漫画(オタク的な視点から)

          少女漫画の現在地〜三宅香帆氏の記事から考える〜

           書評家の三宅香帆が書いた少女漫画の歴史(昭和から平成にかけての変遷)が話題になっている。  三宅氏は、「平成の女の子たちは、「弱い男の子」に恋をした」というように、少女漫画に描かれるヒーローが「弱く」なっていると考察している。昭和の少女漫画(例えば『エースをねらえ』)は、男性が「白馬の王子様」として描かれている一方で、平成の少女漫画(『セーラームーン』がその嚆矢だとしている)では、「ヒーローが、「強い男」でなく「弱い少年」になってゆく」らしい。そして、最終的に以下のように

          少女漫画の現在地〜三宅香帆氏の記事から考える〜

          日常系ー連合赤軍を超えてー

           政治の時代に、観念に囚われた人々の亡霊が漂っている。  観念は突き詰めればお互いを殺し合うことになる。そのため、最初から私たちは転向させられる時代に育った。「やっぱり民衆が大事」、「やっぱり生活が大事」と、早い段階から突っ込まれる。むしろ、自分でそのように突っ込みを入れる。転向した状態でスタートするようなものである。  そのような、ラディカルにやりたい人にとっては苦しい時代(リベラルでやることを求められる)に、むしろ観念を完全に捨ててしまうことで何かに対して踏みとどまろ

          日常系ー連合赤軍を超えてー

          外山合宿第15.9999...回レポート(のようなもの)

           活動家の外山恒一の主催する教養強化合宿に行ってきた。現在の停滞状況から脱出したい一心であった。大学生活において撤退に撤退を重ね、このままでは引きこもりになってしまうという巨大な危機感。それに伴ってか、心が「政治の時代」へと戻っていく。自分が60年代に闘って死ぬという妄想で自閉しながら日々を過ごしてしまっていた。しかし、特権的な行動に踏み出させてくれる狂気は一向に訪れない。このままでは駄目なのだ。『われらの時代』においてフランスに出発することを熱望する男よろしく「出発」を決行

          外山合宿第15.9999...回レポート(のようなもの)

          青春ものについてー未来にキスを、青春ヘラー

          https://twitter.com/sr_ktd/status/1460808944830464000?s=21 霞ちゃんがほんとのお兄ちゃんを見てないのは、全然悪いことじゃなくて、それは希望なの。(『未来にキスを』)  北出栞氏の、ノベルゲームについての講義の話で、これが忘れられない。人と人は偶然コミュニケーションが成立するだけであって、記号的、確率的である。だから二次元も三次元も関係ない、と。コミュニケーションする相手を全人格的に理解することはできない、する必要も

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          負けヒロインに関する抜き書き

          負けヒロインという概念の誕生にまつわるものとして興味深い記述を、村上裕一『ゴーストの条件』から引用する。 この作品(注:『To Heart』)は端的に言えばノベルゲームと恋愛シミュレーションのキメラとして生まれた(76頁) 前者の代表作といえばコンシューマーゲームである『弟切草』(一九九二)『かまいたちの夜』(一九九四)といったサウンドノベルシリーズである。現在想定されがちなノベルゲームとは異なり、人物の立ち絵がなく全て影絵で表現されている。(76頁) (注:『To H

          負けヒロインに関する抜き書き

          いとこ/あの人

           朝食時に、テレビに映った家族。その一家を知っている。 「こんなに成長したのか。」 何年も見続けてきた。一家のうちの一人にいつも目が行く。最近、急に痩せた気がする。ストレスであろうか。しかし、あの人は微笑を絶やさないのだった。きっと気のせいだ。あの人がストレスを抱えていたとしても、私にはどうにもできない。考えたところで政治的なだけだ。 「それにしても…」 似ている、と呟こうとして自重する。誰かと比較するのはおこがましい。  家を出る。登校するのだ。 通学路の途中に

          いとこ/あの人

          感傷マゾ的短編『8月15日』

           焼けつくような日差しに当てられて、なんだかぼうっとする。暑い。けれどもセミの声は風情がある。抜けるような青空。そして白い雲。どこまでも広がっているような空。全てが空に溶けて還りそうな気がする。港の近くで、海の青も眩しい。堤防の上に誰かがいる。一人の少女。白いワンピースを身にまとい、麦わら帽子を被っている。そして編み込まれたサンダルを履いている。それはどこかで見た夏の光景。少女は片手で麦わら帽子を押さえながら、僕の方を振り向いて言う。 「ラジオで大事な放送があるから、聞きに

          感傷マゾ的短編『8月15日』