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1日1分歴史小話(無料メルマガ)

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#史記

#0225【風は蕭々として(荊軻、史記の世界)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は中国史記の世界から刺客列伝に登場する五人を紹介しています。 前回の最後に取り上げた聶政の事件から220余年が経ちました。時代は国力を増大化させた秦の下、急速に中華統一への流れが加速していきます。 (前回:No.224【ただ恩義に報いるのみ(曹沫、専諸、聶政)】) 燕(現北京近郊)の国の太子(王様の後継ぎ)は、秦王政と同年代であり幼馴染でもありました。中華統一へと邁進している秦の勢いに恐れをなした燕は、自国の太子を

#0224【ただ恩義に報いるのみ(曹沫、専諸、聶政、史記の世界)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は中国史記の世界から刺客列伝の五人を紹介。今日は、前回紹介した予譲の時代よりも前の人物を二人、後の人物を一人取り上げます。 (前回:No.223【士は己を知る者のために死す(予譲)】) まず、曹沫(そうばつ)ですが、この人物は以前No.145で取り上げた【管仲(BC7世紀前半)】と同時代であり、魯(ろ)の国(現中国中央部に位置)の将軍でした。 No.145URL https://note.mu/1minute_hi

#0223【士は己を知る者のために死す(予譲、史記の世界)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 中国最初の正史と言われている史記には、刺客列伝という五人の「刺客」を集めた箇所があります。今日は、予譲(よじょう、生年不詳ー没年BC453年)という人物を取り上げます。 予譲は、智伯(ちはく)という人物に仕えていました。その前に二人に仕えましたが、うだつが上がらない状態でした。一方、智伯は予譲を尊敬して遇していました。 智伯は優秀な人物で、自分の勢力を拡げようと戦乱の中国(始皇帝の統一より約250年前)において知略をめぐら

#0198【改革者の末路と改革の栄光(商鞅②、中国)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は中国の史記から壮絶人生を紹介していますが、商鞅という人物の続きです。 (前回:No.197【才知を活かす若者(商鞅①、中国)】) 新天地の秦に辿り着いた商鞅は、秦の王様のお気に入りの側近に近づきます。 彼の執り成しで王様への面会の機会を得ますが、その際に商鞅は、側近に三度の機会を設けて欲しいと依頼します。 側近は、商鞅に対して、あなたが優れた知恵者であれば一回で済むのではないかと訝しみますが、商鞅がそれなりの謝礼を

#0197【才知を活かす若者(商鞅①、中国)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は中国の史記から壮絶な人生を歩んだ人物を紹介しています。 今回は商鞅(しょうおう)を取り上げたいと思います。 商鞅は本名を公孫鞅(こうそんおう)といい、公孫が姓です。商は、彼が後に領地としてもらった土地名です。 徳川光圀のことを領地にちなんで、水戸光圀と呼ぶようなイメージです。 ここでは商鞅で通したいと思います。 さて、この商鞅、若い頃から優秀な人物でした。特に中国戦国時代における黄河中流域にあった新興国家「魏(ぎ

#0196【信念に生きた理想の兄弟(伯夷・叔斉、中国)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は中国の史記から壮絶な人生を歩んだ人物を紹介していきたいと思います。 最初は、伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)の二人の兄弟を取り上げます。 この二人の兄弟は理想的な兄弟として、中国史記だけでなく論語や儒教の世界で取り上げられています。 彼らはまず、兄弟で王位を譲り合うという姿を見せます。 父親は、長男の伯夷よりも三男坊の叔斉をとても愛しており、長幼の序を乱してでも叔斉に王位を継がせようと考えていました。 ちなみに

#0147【復讐の果てに(伍子胥、史記の世界)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今回の史記の人物シリーズ最後は、伍子胥(ごししょ)を取り上げて締めくくりたいと思います。 時代は前後しますが、彼は中国南部の楚に生まれます。一族は代々楚の重臣でしたが、伍子胥たちは敵対派に貶められてしまいます。 伍子胥の父が囚われの身となり、楚の君主から「父の命が惜しくば首都に出頭せよ。」と命令が届きます。 伍子胥には、兄がいました。伍子胥は、「これは罠です。行ったところで父も救われない。犬死です。国外に亡命して復讐を目

#0146【名戦略家の身の処し方(楽毅、史記の世界)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 史記の人物特集第二弾は、楽毅(がっき)という人物を取り上げます。 前回の管仲と同じく、三国志の諸葛孔明が尊敬する人物として挙げている人物です。 楽毅は、部類の戦略家、戦術家として知られています。 生まれは中国中央部だったと言われていますが、活躍の場は現在の北京周辺にあった燕(えん)という国です。 楽毅が燕に仕える前に、燕は一時期斉の属国となっていました。新しく君主となった人物の父は斉に殺害されており、何とか復讐を果たし

#0145【衣食足りて礼節を知る(管仲、史記の世界)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週の歴史小話は中国最初の正史と位置付けられている史記から特徴ある人をご紹介したいと思います。 第一回の今回は管仲(かんちゅう)です。 彼は中国東方の現山東省(山東半島周辺)にあった斉(せい)という国の宰相として、活躍した人物です。 彼には一人の親友・理解者がいました。 鮑叔(ほうしゅく)といいます。 ちなみに中国には伯仲叔季(はく・ちゅう・しゅく・き)というものがあり、長男を伯、次男を仲、三男を叔といい、末っ子を季

#0129【名参謀の意外な行動力(張良)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は古代中国から「高祖劉邦の三英傑」を紹介していますが、トリは張良(ちょうりょう)です。 張良は高祖が天下を取るにあたっての参謀役を務めました。 知恵者として数々の献策を行いました。企業でいえば経営戦略部や企画部担当役員といったところでしょうか。 天下統一後は、第一線を外れて隠退して仙人修行に励みます。これも現代に置き換えるとベンチャー企業を起業してIPO(株式公開)後にアーリーリタイアメントを実践したような感じでしょう

#0128【後顧の憂いなし、後方支援の重要さ(蕭何)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は古代中国から「高祖劉邦の三英傑」を紹介しています。 二回目の今日は蕭何(しょうか)を取り上げます。 No.127の韓信は「武」の人であり、戦場で功績を挙げた人物でした。蕭何は、後方にいて補給や根拠地の内政問題に全力を挙げていました。 彼は高祖劉邦と同郷の人物であり、高祖の若い頃から知り合いであり信頼が厚かったです。 高祖が秦を滅ぼし首都咸陽で入城したときに高祖やその部下たちは豪壮な宮殿や宝物庫にクラクラします。

#0127【耐えるときに耐えてこその勇気(韓信)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は古代中国から「前漢時代の高祖劉邦を支えた三英傑」を紹介します。 BC221年に秦の始皇帝によって統一された中国は、始皇帝の死後数年で瓦解し、その天下は項羽と劉邦の二人の間で争われることになります。 BC202年に劉邦が勝利し、彼は皇帝に即位します。 以後、前漢の高祖と呼ばれるようになります。 彼には三人の優秀な部下がおり、彼らのお陰で天下が取れたと考えられております。 項羽は戦場に出ては最強を誇りましたが、若さゆえ