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#0100【一人、学問の荒野を行く(頼山陽)】

『りーとんの歴史小話』編集長のりーとんです。

記念すべきNo.100は、幕末に大きな影響を与えた「頼山陽(らいさんよう)」を取り上げます。

頼山陽は、『日本外史』という日本の通史を書いた人物です。
これが幕末に大ベストセラーとなり、日本史ブームを引き起こしました。

頼山陽は、1780年に民間の儒学者だった父のもと大坂で生まれます。

その後、父の仕官に伴い広島藩で育ちました。彼自身も儒学を学び、漢詩の名手として名前を馳せていきます。広島だけでなく、江戸で勉学に励む機会が与えられるなど恵まれた環境にいました。

歴史の研究にも着手しますが、1800年に何を思ったか広島藩を脱藩します。

当時の日本は、各「藩(はん)」に分かれており、藩から離脱する「脱藩(だっぱん)」は藩主に対する罪とされていました。

一旦は広島に連れ戻され、自宅の座敷牢に4か月幽閉されるなどの罰を受けますが、藩主の計らいで浪人として生きることを許されます。

その後、福山や大坂へと拠点を移していきますが、32歳以降は京都に腰を据えて執筆活動にいそしみ、16年かけて全22巻に及ぶ『日本外史』を1827年に完成させました。

武家政権の歴史を概観した内容となっており、平安時代初頭の890年前後から完成時期の1820年代で著述が終わっています。

厳密な考証学にたつ歴史書ではなく、頼山陽が歴史上の出来事を論じることに重きを置いた書物であり「読み物」としての性格が強いです。

頼山陽が恵まれた環境を捨てた理由は、筆者の見解ですが、自由な論述活動のために、どこかの組織に所属することを嫌ったからだと思います。それは自分の最大の成果物である書物に「外史」と名付けたことからも伺えます。

すなわち、中央に対する在野の立場から歴史を論ずるという姿勢・意気込みをタイトルから感じます。

しかし、その優れた著作は野に埋もれることなく、内容を聞きつけた松平定信(寛政の改革で有名。当時はすでに隠居の身分)に求められて献上する運びとなり、日本外史の評判が世に定着することになりました。

最初は写本という形で徐々に広まっていきますが、頼山陽死後の1836年~1837年に初めて出版されて空前の大ヒットとなります。

格調高い文章と「徳を失った政権は滅びる」という大義名分論を軸とした全体を通した主張が、幕末の志士たちに受け入れられたのでした。

幕末から明治維新にかけて活躍した人物を輩出した松下村塾では、歴史の講義に『日本外史』を用いています。

しかし、この「徳を失った政権は滅びる」という主張は、江戸幕府といえども滅びることがあるということを示しています。幕末の志士たちに受け入れられたことにより、倒幕理論の根幹を担うことにも繋がりました。

幕府末期には、江戸幕府の権威回復のために反対派を弾圧する安政の大獄が起きました。

その際に、頼山陽の息子である頼三樹三郎(らいみきさぶろう)、松下村塾の主宰者である吉田松陰、大坂の適塾(福沢諭吉も門下生)の英才だった橋本左内が処刑されてしまいます。

以上、本日の歴史小話でした!

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