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#0070【フランス革命の勃発(フランス、18世紀後半)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

今週はフランス革命前期に活躍した人物を取り上げます。
まずフランス革命勃発の経緯について概説します。

1789年に起きたフランス革命は、現代社会の根幹である「民主主義」や「法の支配」といった概念をもたらしたものであり、筆者は人類史上、十指に数えられる大事件だと考えています。

フランス革命は、直接的にはフランス王室(=国家)が対外戦争(アメリカ独立戦争支援など)等で拵えた多額の負債による国家財政の悪化をどのように立て直すかが発端となりました。

革命前のフランス旧体制(アンシャン・レジーム)においては第三身分と呼ばれる平民にのみ課税がなされ、第一身分の聖職者、第二身分の貴族には課税がありませんでした。

富は教会と貴族に集中していたため、破綻しかけた財政を立て直すために第三身分に重い税金が課せられ、平民たちはその日のパンにも困るほど苦しい生活に喘いでいました。

これ以上の第三身分への課税は限界が来ていることは誰の目にも明らかでしたが、第一身分と第二身分は自らに課税されることを避けるべく、「三部会」の招集を国王ルイ16世に要請します。

第一身分から300人、第二身分からも同じく300人、第三身分からは600人が選出されて開催される三部会において、この課税問題に決着をつけようとしたのです。

1789年5月に招集されました。

この三部会での伝統的な議決方法は、各身分ごとの意見表明でした。この方法に則ると第一・第二身分への課税問題は、第一・第二身分の2票 vs 第三身分の1票で否決となってしまいます。

第三身分は、身分ごとではなく全体投票での決議を主張します。そうなれば第一身分や第二身分の中に少なからず課税賛成派がいるため、課税可決が見込めるからです。

投票方法自体を巡って議論が紛糾してしまい、「三部会」は機能不全になります。

第三身分の代表者たちは、三部会に見切りをつけて第三身分だけによる「国民議会」の開設を決めます。議場に乗り込もうとしますが、兵隊によって封鎖されてしまって入ることができませんでした。

そのため、議場近くの球戯場(テニスコート)へと集まって、憲法を制定するまで国民議会を解散しないことを誓います。いわゆる「球戯場の誓い」です。

国王側は、この動きを封じ込めようと軍隊を差し向けることを決めます。

国民議会も軍隊を組織しようとしますが、圧倒的に武器が足りません。国民議会の兵士たちは武器を求めてパリ市内の武器が貯蔵されているところを荒らしていきました。

遂にはパリ市北東部にあるバスティーユ牢獄を武力で陥落させてしまいます。1789年7月14日のことでした。

バスティーユには政治犯・思想犯が収容されていたことから圧政の象徴とみられていました。この地を平民たちが落としたことをもって、フランス革命の勃発とされています。

パリは平民代表による国民議会の手に落ち、革命の火の手はフランス全土へと瞬く間もなく広がっていきました。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2
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