#0042【マキャヴェリ(イタリア、15C末-16C前半)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

今日は『君主論』の著者として有名なマキャヴェリを紹介します。

マキャヴェリは1469年にフィレンツェの貧しい家庭に生まれます。1469年には#0040で紹介したロレンツォ・デ・メディチが20歳でフィレンツェの統治を始めています。

マキャヴェリは青春時代をロレンツォ統治下で過ごすことになりますが、20代前半から後半にかけては、ロレンツォ死後の混迷する政治情勢とサヴォナローラによる神権政治を目の当たりにします。

サヴォナローラが1498年5月に処刑された翌6月にマキャヴェリはフィレンツェ共和国の官僚となりました。翌月には軍事・外交問題に携わるようになり、エリート官僚の道を進みます。

1502年にソデリーニという人物がフィレンツェ共和国の実権を握り、マキャヴェリはその側近の一人として政権中枢で政治に関わりました。

フィレンツェにおける政治混乱は一旦収拾されていましたが、イタリア半島は各都市・各地方に分裂した状態が続いており、イタリアにおける政治的利権を争ってフランス・スペインを始めとする各国の思惑が交錯していました。ソデリーニはフランスと友好関係を築いて、この難局を乗り越えようとします。

しかし、1512年にフランスがスペインに敗れてフランス軍がイタリアから撤退します。後ろ盾を失ったソデリーニもフィレンツェから脱出しました。結果、スペインの援助を受けたメディチ家が舞い戻ってきます。

これに伴い、ソデリーニの側近であったマキャヴェリも失職し、投獄の憂き目にあいます。短期間で釈放されますが、政治の世界に戻ることが出来ずにフィレンチェ郊外の別荘に隠遁しました。

政治の実務経験を多く積みながらも政変の影響で職を失ったマキャヴェリは、その力を著述活動に費やし、『君主論』『政略論』『フィレンチェ史』を執筆します。

これは、政治の世界への復帰を目指してのアピールであったとされており、完成した作品はメディチ家に献呈されました。1526年になって再び官僚として政治の世界に戻ることができましたが、翌1527年に53年の生涯を閉じました。

メディチ家に献呈された『君主論』はマキャヴェリ生前には公刊されませんでしたが、手稿本の段階で多くの人の目に触れられ、議論を巻き起こしていました。

特に「目的を達するためには手段を選ぶ必要はない」の一節が有名となり、ここから、手段を選ばない狡猾な人物を指して「マキャベリスト」というようになります。たとえば、この歴史小話でも紹介した#0012【フーシェ】は近代史上最高のマキャベリストと評されています。

「目的のためには手段を選ばない」という言葉自体は確かに『君主論』に出てきますが、全体の文脈から読み取れることは「力なき正義は空虚だ」という思想だと私は感じています。彼の人生と置かれた環境からするとこちらの方がメッセージとしては重要なのではないかと私見ながら思っています。

彼自身と彼の思想、『君主論』を始めとした著作物の評価は、時代や立場によって大きく左右されていきます。

『君主論』は非常に示唆に富む書物ですので、勉強会等で深く掘り下げていき、皆さんと議論できたら嬉しいと思います。

以上、今週の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)

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https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2

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